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「自由で開かれたインド太平洋」の意義とは

「自由で開かれたインド太平洋」は現代の日本外交において欠かせない政策であり今や多くの国の外交方針にも採用されている。
大まかに説明すればこれは16年のアフリカ開発会議で当時総理大臣だった安倍晋三元首相が提唱した概念であり、
簡単に言えばインド洋と太平洋を一体化してアフリカからアジアまで広がる1つの海として考えて安定と繁栄を考えようというもので、
「法の支配などの普遍的な価値観の定着」「高品質のインフラ整備による経済繁栄」・「平和と安定の確保」を構想実現の3本柱で構成されている。
詳しくは外務省のHPを見て欲しいし細かい成立の経緯は関連書籍やレポートで散々語られてるのでこれ以上の説明は省略したいと思う。

対中包囲網が目的ではない

FOIPは中国の一帯一路に対抗する対中包囲網のように語られる事もあるが実際その様な意図はそこまでなく寧ろ中国の協力も求めてる。
勿論一帯一路での債務の罠で縛ったりインド太平洋の安定を著しく脅かす台湾有事が本当に起きたならFOIPは結果的にはそうした性質となるが、
そうでないのならば中国もFOIP実現の重要なプレーヤーだし事実として日中は昔からソマリアの海賊問題で協力関係だった。

決して「全く新しい概念」でも無い

その話題性からどうしても全く新しく感じるか内容としては寧ろシーパワーを重視しながら国際関係で現実的なアプローチを取る明治維新からの伝統的な日本外交に沿ったものである。
戦後外交に限っても吉田ドクトリンや岸信介の対米自主外交、70年代のデタント期に自主外交の模索の中で生まれた福田ドクトリンや環太平洋連帯構想、冷戦後の橋本龍太郎政権時代に提唱されたユーラシア外交、そして第1次安倍政権の基本方針であった自由と繁栄の弧など色々とあった戦略外交の流れで生まれたものであった。
政策実現の3本柱にしても普遍的価値観の定着は冷戦後の旧ソ連諸国やCLV諸国に対しての「民主的発展のためのパートナーシップ(PDD)」が価値観外交という方針に結びついたし、シーレーンの確保も総合安全保障や中曽根航路帯などもあった。また戦後の日本は憲法9条によって軍事的な裏付けに限界があるのでODAや円借款の活用しインフラ整備を積極的に行われてきた背景もある。
そもそも「インド太平洋」という概念自体がFOIPが話題になる10年近く前の第一次安倍政権末期のインド国会演説で既に提唱したものだった。

「自由で開かれたインド太平洋」という名前が付いた事こそが最大の意義

ではFOIPという構想は無意味なのかと言われたらそんな事は全く無い。「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」という言葉が日本だけでなく世界中の外交文書で使われてる事実そのものが最大の功績であり意義だと言える。
その点については安倍政権の元祖外交方針である「自由と繁栄の弧」についての麻生太郎外務大臣(当時)の演説を引用したいと思う。

つまり私がきょう申し上げようとしている新機軸は、実を申しますと新機軸でもなんでもありません。16、17年前から日本外交が少しずつ、しかし地道に積み重ねてきた実績に、位置づけを与え、呼び名をつけようとしているに過ぎないわけであります。 
ですが、位置づけがないと、自分で自分が何をしているのか意味がわかりません。名前もない政策は、国内外の人々に、記憶すらしてもらえません。だからこそ、言葉が必要なのであります。そこを自覚して、明確な言語を与えようとした点に、あえて申しますなら本当の新機軸がございます。

「自由と繁栄の弧」をつくる
拡がる日本外交の地平
外務大臣 麻生太郎日本国際問題研究所セミナー講演

これはそのままFOIPへの評価に当て嵌まる。つまり政策の名前はユーラシアの外周をぐるっと結ぶ「自由と繁栄の弧」だろうと日米豪印を四角形で結ぶ「セキュリティーダイヤモンド構想」だろうと2つの海を繋ぐ「自由で開かれたインド太平洋」なんでも良い。対象地域の差はあれどやっている事は基本的に何も変わらないからである。
しかしグローバルサウスの盟主として国際社会の存在感が増してるインドへの関与が明確であり当時の米国のトップであるドナルド・トランプ大統領を筆頭に多くの友好国に外交方針として受け入れられたからこそ「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」は高い評価を受けているのである。

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