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頭よりも足を使え!?現代アートの楽しみ方

「現代アートってよく分からない」

現代アートを前にしてこう思う人は多い。みんな”現代人”なのに、食わず嫌いはもったいない!分からないなりに深く考えることも、逆に脳みそのスイッチを切って駆け回るのも、現代アートは許してくれる。



そもそも現代アートって何?

現代美術(げんだいびじゅつ、英語: Contemporary art)またはコンテンポラリー・アートとは、歴史の現代を借りた用語で、美術史における今日、すなわち20世紀後半の第二次世界大戦後の1950年以降から21世紀までの美術を指す。(Wikipediaより)

現代アート(現代美術)の定義はこれだけ。つまりこの100年足らずの間に生まれた、美術作品全般に対しての名称なのだ。「現代アートって」と一括りにするとかなり主語が大きいことになる(なのでこのnoteも主語がデカすぎますね。気楽に読んでください)。

言わずもがな、現代アートにも色々なものがある。環境問題、政治や国際問題、ジェンダー、家族や個人的な感情…身の回りのすべてが作品のテーマになる。鑑賞者にとって親近感を覚える作品もあれば、目から鱗の鋭い視点のものもあるだろう。

作品に添えられた解説文や作家のインタビューを手がかりに、思索するのはとても良い時間になる。

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瀬戸内芸術祭で見た作品。深いテーマに考えさせられた記憶はあるが、どんなことを考えさせられたのか全く覚えていない。感想はちゃんと書き残しておいたほうがいいね…



別に深く考えなくたっていい

ほんの数年の間に、SNSが猛スピードで発達した。Instagramは日々のキラキラを切り取った投稿で溢れかえる。SNSのおかげで、現代アートの敷居がぐんと下がったように思う。

軽薄だ、世の中インスタントなものが多すぎると嘆いても、もはやこれが私たちの日常だ。

美しいものと一緒に写真を撮って何が悪い。もちろん作品のテーマを深く考えることも大事だが、楽しみ方はひとつじゃない。

綺麗な写真や面白い写真を撮るために遠方に足を運ぶ。なんて健康的な動機と行動だろうと思う。

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金沢21世紀美術館に恒久展示されている、レアンドロ・エルリッヒの『スイミング・プール』。これは2017年に撮った写真だが、下手すぎる。友達と上と下、二手に分かれてお互いを撮影するのがベストかも。



歩いて感じる現代アート

先日、石川県金沢市に行ってきた。金沢に訪れるのは4回目だが、昨年新しい現代アートの美術館ができていた。弱冠32歳のコレクターが経営するKAMU kanazawa(カム カナザワ)だ。21世紀美術館から徒歩数分のところに本館があり、2021年3月現在、市内に合計4館がオープンしている。

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レアンドロ・エルリッヒの作品は、KAMUの本館・KAMU Centerにもある。階段が永遠に続いているように見えるインスタレーションだ。本当は寝そべって落下しているような写真が撮りたかったが、寝そべるのは禁止。友達とギャーギャー言いながら撮影してはしゃいだ。(次のお客さんが来たら、ちゃんと交代しました)。


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同じくKAMU Centerにある、どぎつい色の陶芸作品。作品に失礼だが、友達と空間をイイ感じに画面に収めることばかり考えていた。


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建物一棟をまるまる使った、KAMU Black Blackのインスタレーション作品。写真ではわかりづらいが、爆音のサウンドに合わせてレーザーやストロボがけたたましく明滅する。自分では制御できない音と光に浸る、合法的なトリップ…。作者はベルリン在住というのも納得のセンスだ。こういうの大好き。


21世紀美術館、KAMU Center、KAMU Black Blackとてくてく歩いて美術館を回る。たちまち美術鑑賞はアウトドアな遊びになる。

2019年に瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)へ訪れたときも、とにかく歩いた。1日2万歩くらい歩いた。

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直島にある草間彌生の彫刻作品。草間彌生作品は、目がチカチカしてあんまり好きじゃない。色の組み合わせも好みじゃない。でも穴が空いていて中に入れるし、撮影のポージングも遊べて超楽しかった。お盆で死ぬほど暑かったけど行って良かった。


よく「筋トレすると病まない。ポジティブになる。」と聞くが、歩いて美術館やギャラリーをハシゴするのも、似たような効果がある気がする。程よく体が疲れると、頭がスッキリして素直になれる。

歩いて、撮って、触って、全身でアートにぶつかってみる。
考えるのはそのあとでも遅くない。


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