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なぜ美術教育の基盤にデッサンがあるのか、”「非言語化情報」の探り方”

「目の見えない人は、なかなかケガをしない。むしろ目の見える人のほうが、いしにつまずいたり、ものに突き当たったりしてよく怪我をする。なまじっか目が見えるがために、油断をするのである。乱暴になるのである」 松下幸之助「道をひらく」の”手さぐりの人生”より

こんにちは。グランドデザインの大崎です。ふと今までを振り返り、美大受験の勉強をしている際に過去の自分が聞きたかったことをまとめました。テーマは「なぜデッサンが必要なのか」です。美大受験を目指し、デッサンに苦戦している人は一度読んでみて欲しいです。

デッサンについて_アートボード 1

”デッサン”の解剖 「デッサン=リアルに描く」ではない?

上の図は自分の視点でデッサンというものを解剖した図となります。この図を大きく分けると①姿勢②分解と再構築で構成されています。

Q「どうすればうまくなりますか?」に対して、予備校講師は「よく見ろ」と言うことが多く、当時は「なんで答えを教えてくれないのか」と思っていましたが、今思うとこの①姿勢②分解と再構築を生徒自ら見つけてもらうことを促していたのではないかと思います

では、なぜそういう抽象的な教え方になりがちなのか。それは答えを見つけてもらう以上に、「①姿勢」に秘密があるのではないかと思います。

①姿勢について

注意深く。真剣に。慎重に。愛を持って。魂を注いで。手探りに。この部分はとても大切なのにどうやら歴史上の誰も可視化できていないようです。それは細部に宿る「神」、「愛」を料理に込める、インクに「魂」を注ぐ、という共通概念が「神」「愛」「魂」という抽象概念でしか言語化できていない部分が物語っています。

可視化できないことを伝えることは難しいので、生徒自身が自ら気づく必要性があるのでしょう。

この部分を「無いもの」としたり、何か他のものを信じすぎおろそかにすると”油断”になるのではないかとおもいます。(データマンがデータに気を取られて人を見ず、熱意と情熱を持った主人公に負ける)

②分解と再構築について

①姿勢を用いて、得られる行動が②の分解(A)と再構築(B)です。

分解(A)

問題解決を測る上で、対象を要素ごとに分解。デッサンでいうと同じモチーフを「シルエット」「陰影」「塊感」「印象」など別視点で見ることですね。個人的に受験生時代に参考になったサイトも貼っておきます。

石膏デッサン『ジョルジョ』の捉え方
https://seed-art.com/kawano/lec/d_recture/81_hint_jol/81_hint_jol.htm
文字通り、このサイトは一つのモチーフをあらゆる視点に”分解”しています。

再構築(B)

分解した要素のパラメータを調整し、ブラッシュアップしていく。デッサンで言うと最終的に紙と鉛筆で描かれる成果物を指します。リアリティのある紙面は最終的なアウトプットであり、そこにいたるまでに観察と分解こそがデッサンの本質なのではないかと思います。


サイクルを繰り返す

ここで終わらずに、再構築したものをふくめた再検証と観察、再構築をいかに繰り返すかで最終成果物のクオリティが上がっていくのではないでしょうか。ただ、注意すべきはどちらも忘れないということでしょう。「姿勢」のみを重視して、「分解と再構築」を怠ったり、逆に「分解と再構築」のみを重視して、目に見えないものを無視し油断をするとこのサイクルがとまってしまうのではないかとおもいます。

まとめ

このアプローチはあらゆる制作活動のブラッシュアップに当てはまります。そういう意味でも作品作りの基礎をデッサンを経て掴むことを推奨しているのでしょう。自分自身いつ何に油断をするか分からないので手探りに常に初心者のような気持ちで励みたいです。


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