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安産だと思って調子に乗ってたら38時間陣痛に苦しんだ話

私は昔から元気いっぱいで病気や怪我もなく入院したこともないごく普通の女でした。

結婚してすぐ妊娠発覚。

つわりに苦しみましたが11週目から吐き気がなくなりフルタイムでバリバリ働いていました。

お腹の赤ちゃんもエコーのたびに違う顔を見せてくれて、なんの問題も無くすくすく育ってくれていました。

ただ一つ気になる点が。

産院の先生曰く「身長が低い人は骨盤が狭いから赤ちゃんが出て来る時に出口で引っかかる可能性がある」とのこと。

私の身長は149㎝。体重は45kg。身長は低い方だがど標準体型。

身長が低くて困ったことは多々あるが、こんなところでリスクがあるのか…

「とはいえ可能性の話なので頭の隅に入れといて。このまま自然分娩で産みましょう。」

そう言われ気にしすぎも良くない。周りの人みんな安産だったしたぶん私も安産だから大丈夫だろう。と根拠のない自信がありました。

それから事は進み、いよいよ産休に入り妊婦健診も週1に。
順調かと思いきや

「赤ちゃんが思ったより大きくなってるから大きい病院でレントゲン撮ってきて。赤ちゃんが通れるか確認しよう。」

まじか…自然分娩じゃないのかな…帝王切開は怖い…

そう思いながら紹介状をもらい近所の大きな病院へレントゲンを撮りに行きました。
結果

「赤ちゃんギリギリだけど通れそうだね。ほぼ出口と同じ大きさだけど予定通り自然分娩でいきましょう。」

よかった〜!!ほらやっぱり安産じゃん!!心配させんなって!!(※根拠はありません)

そして来たる出産予定日。

出て来る気配が全くなくひたすらスクワットをする日々。意味あるのだろうか…

虚しくなってきた出産予定日から5日後の明け方4時。
トイレに行くとティッシュにべったり血がついていました。

これ不正出血じゃないよね?と思うぐらいおしるしがついてました。

それからは5分〜15分間隔で生理痛くらいの軽い痛みが。

朝仕事に行くために起きた旦那と両親に言うと全員仕事を休む連絡をしてくれていました。仕事が早い。笑

産院が開く9時に電話を入れたところ入院セットを持ってすぐに来てくださいとのこと。旦那と急いで向かいました。

産院に着いてすぐ内診室へ通され子宮口が2㎝開いてるからそのまま陣痛室へ入ってくださいと言われあれよあれよと分娩着に着替えさせられました。

その時点で陣痛は生理痛がお腹と腰に広がった重い痛みに変わりましたが元々生理痛が重かった私にとっては全然耐えれる程度。

陣痛ってこんなもん?みんな大袈裟すぎでは????

と思いました。これから人生で1番苦しむと知らずに…

12時のお昼ご飯は余裕で完食。先生が入ってきて「喋れてるくらいならまだまだかかりそうだね」と意味深な一言を残して出て行きました。

先生の言葉が気になりつつ、夜寝れなかったせいか横になるとすぐに夢の世界へ。

そして次に目を覚ましたのは感じたことがない凄まじい骨盤の痛みで目を覚ましました。

「いだい!!!!骨盤がいだい!!!!」

痛すぎて呼吸ができない!!

ちょうど16時の内診に来た助産師さんに痛みを訴えると

「あ、痛い?やっと本陣痛きたかな。今ね子宮口が4㎝!夜中に産まれるかな〜。呼吸止めると赤ちゃんが苦しくなるから止めちゃダメだよ。」

え、それだけ?陣痛ってこんな痛いの???

しかも内診をされるともっと痛い!!!!!

立ち合いは1人だけ可能だったので旦那が付きっきりで腰をさすってくれていました。

5分〜10分の間隔で来る激痛に点滴をつけていることを忘れ、ベッドの上で大暴れしながら耐えることしかできない。

次第に痛みは骨盤からお尻あたりまで降り、大きな岩がお尻から出ようとしている感覚。

夜ご飯を食べれるか聞かれたけど食べれるわけもなく横で美味しそうにご飯を食べる旦那を恨めしく思いました。

そして夜中の0時の内診。この時点で陣痛が始まって20時間。

「変わらず4㎝かな〜。最大で5㎝だよ!少しずつ降りてきてるから頑張って!」

変わってない…安産だと舐め切っていた自分をぶん殴りたい気持ちでいっぱいになりました。

ちなみにその時の写真がこちら。

陣痛20時間目。気絶。

これは気絶している時に旦那が撮影してくれていました。

もう暴れる元気もなく終わりが見えない痛みが5分間隔で襲ってきて悶絶→気絶→痛みで目が覚めて悶絶の繰り返しでした。

せめて目が醒めなければいいのにわざわざ起こされるほどの痛み…
痛みを少しでも和らげるために髪の毛を引き抜く勢いで引っ張っていたためボサボサ。

寝ずにそばにいてくれる旦那にも申し訳なく、涙やら鼻水やらで顔がぐしょぐしょでした。

うつ伏せの体制が比較的楽でしたが、赤ちゃんの心拍が下がるため助産師さんに仰向けに戻されうつ伏せになっては戻されるの繰り返し。

夜中に先生が内診に来てくれましたが5㎝しか開いておらずお昼に出るかなと告げられました。

そして気絶を繰り返すこと朝の9時。先生の内診にて衝撃の一言。

「変わらず5㎝しか開いてない。それどころか赤ちゃんが上に戻り始めてる。促進剤打っても今日産まれるとは限らないけどどうする?」

そんなことある?
旦那も私も絶望していると

「このままお産が進んでも体力が残ってない可能性もある。今日の14時から帝王切開入れるから考えておいてね。」

その言葉を聞いて即答でお願いしますと答えました。

とにかくこの激痛から解放されたい。
もうその頃にはまともに呼吸できておらず過呼吸に近い状態で陣痛5分→休憩1分でした。

それから陣痛室から病室へ移動。旦那も一睡もせずさすってくれていたため気絶寸前。

そこへ思わぬ朗報が。手術の時間を14時から12時に繰り上げましたとのこと。

とはいえあと3時間がとてつもなく長く感じました。

12時になり歩いて手術室へ。点滴に引きずられるように歩きゾンビのように手術台へ上がりました。

ブロック注射と麻酔を打つとあれだけ苦しんだ痛みが嘘のようになくなりいよいよ手術開始。

自分には縁がないと思っていた人生で初めての手術。恐怖が今更襲ってきてガチガチに震え始めました。

先生「これ痛い?」
私「なんかチクチクします…痛い気がする…」
先生「ほんと?これ麻酔なかったらのたうち回ってるぐらい痛いはずだよ」

もしかしてもうお腹切ってる?言わなくて良くない?痛いんだけど。

言いたいことが山ほどありましたが恐怖と疲労で何も言えず、ただ自分の手を握ってくれている助産師さんの手を握り返す事しかできませんでした。

恐怖に耐えるため目を瞑っていると先生がぐっぐっとお腹を押し始める感覚が。すると助産師さんが慌てたように

「うどんさん目開けて!!赤ちゃんが出てくる!!」

そう言われ目を開けて下を見ると頭を抱えた我が子が産声を上げて出てきました。

生きてた。よかった。私も生きてる。頭抱えるとかどんだけ出てきたくなかったの。みんな待ってたよ。もう旦那と2人の時間はしばらくなくなるなぁ。寂しいけど楽しみだな。やっと終わったんだ。

いろんな気持ちが溢れて涙が出てきました。

それからは一瞬でいつの間にか小脇に我が子を抱えたまま手術は無事終了。

結果先生から凱旋異常と診断されました。
だから出て来れなかったのか…

病室に戻ると疲れた顔の旦那に「お疲れ」と言われました。

1日目は起き上がらず安静に。食事も点滴から栄養補給。

2日目からお粥のような食事から始まり歩行練習。

術後のお腹の傷がとても痛く、まともに歩けませんでした。

しかも子宮収縮剤を打たれるのでもうどこが痛いのかわからないぐらい痛かったですが、個人的には陣痛に比べれば全然耐えられる痛さでした。

帝王切開は麻酔の影響で大体術後三日目ぐらいから激しい頭痛が始まります。

私のいた産院では三日間点滴を打って体に残った麻酔を体外に出すことで和らぐので産院によるかと思いますが、帝王切開をされる方は頭痛が始まってすぐ助産師さんに報告する事をお勧めします!(私は痩せ我慢して早くすれば良かったと後悔しました)

そんなこんなで無事退院。息子も夜泣きもなく手がかからないのでとても楽させてもらっています。

どんなに健康でも妊娠中が順調でも安産の保証はどこにもないことを痛感しました。
母親学級の時に聞き流していた凱旋異常にまさか自分がなるなんて…
人が産まれてくることを甘く見すぎていました。

出産から半年が経とうとしていますがあの壮絶な一夜を忘れることができません。

次回出産にかかった費用、子育て給付金などについて書こうと思います。

ここまでご覧いただきありがとうございました!

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