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性癖学:おっぱいサイズ学〜おっきいおっぱい編〜

さて、お待ちかねであろうおっきいおっぱい学だ。

そもそもなぜ人間はおっきいおっぱいに魅力を感じるのか、という話だが、
そもそもの根源は我々が四足歩行していた遥か昔、優秀なメスを見分けるのに着目していたのは尻だったと言われている。

性行為はそもそも子を成すための行為であり、健康な子を産める母体を選べる個体が優れた血筋として残っていく。
肉付きのいい、かつ所謂『安産型』の尻を持つ健康的なメスを好むオスが生き残っていった。
こうして、巨尻が魅力のあるメスの象徴的な存在だった。

恐らくおっぱい好きは、現代における「足フェチ」のような特殊性癖の類であっただろう。

そして人類が二足歩行を始めたあともその信仰は続くが、一方で問題が起こる。
二足歩行だと、尻の膨らみが目立たないのだ。
更にそれに衣服が拍車をかけ、隠されることが増えた。遠目からいいメスを見分けることが難しくなったのである。

そこで、オスたちは肉付きのよさや健康的な身体かの判断を、乳房に委ねるものが出てきたのだろう。

胸は二足歩行する上では目につきやすい上、衣服で隠されたとしても大きさがある程度判別できる。
これが、男がおっきいおっぱいを好きな大きな要因であることは想像に難くない。
本能において、優秀なメスを見定めるパラメータとして用いられてきたのだ。
根源的な欲求と言っても過言ではないだろう。

かといって、これでは性癖としての巨乳好きとは言い難い。

そもそも世間一般的な巨乳好きというのは、シンプルに女性らしさを身体に求めているように思える。

男性にはあり得ない身体的特徴である、体の細さ、乳房の膨らみ、腰のくびれなどの上半身の美しさ、均整の取れた体つき、柔らかいシルエットなどを併せて、
その最も目に入る部分である乳房を論っているように思える。

自らの男性的性欲をぶつける対象に女性らしい身体であることを求めているだけであり、当然と言えば当然の性癖なのである。
根源的な本能の話はおいておこう。

しかし、それだけでは満たせない部分があり、『小さくては満足できない』と考えられるからこそ、きっと巨乳好きは存在し続ける。

よって、巨乳好きが求めるものは、そうしたただ大きさという部分とはまた、別にあると考えられる。

ここで筆者の考えを述べておく。

『動き』である。

おっきいおっぱい好きとしては欠かせない部分であろう。
抑えても抑えきれない弾力、全てを包むような柔らかさ。

それを表現するには静止画だけでは限界がある。巨乳キャラには欠かせない部分だと筆者は感じている。

それを象徴するかのように、巨乳キャラには総じて動きなどの効果音がつきものだ。

ぷるん、たゆん、ぽよん、ばるん、たぷん、どたぷんなど、揺れの効果音のバリエーションだけでもかなりの数に及ぶが、やはりそれぞれで受けるイメージがちがう。

ぱつんぱつんやムチムチなども似た部類の言葉ではあるが、これは胸以外にも用いられる表現であるし、場合によっては男性にも使われる。

これは内容物が洋服に与える影響としての効果音なので仕方のない部分ではあるが、改めて日本語のオノマトペの力は凄まじいものだと感じる。

効果音だけでどんな大きさなのか、硬さなのか、動きなのかのイメージを変化させることができるはずだ。

日本人はニュアンスや語感というものを非常に重要視する民族であると言われるが、

さらにそこにこだわりの強さと差別化という要素が加わると凄まじい種類になる。

更に凄いのは、それらを全て日本人は集団的無意識として判別しているというところ。

例えば、ちゃぷん、とぷん、という効果音なら液体を想像するのではないか。

なのになぜたぷん、だと球体に近いものが弾むような音だと認識するのだろうか。

かつ、巨乳は揺れたからと言って「たぷん」と実際に鳴るわけではない。ぽよん、とも鳴らない。揉んでも、むにっ、とも鳴らない。

実際は無音に近いのに、なぜそう鳴っていると感じてしまうのか。

原理は分からないが、この感覚が日本人は非常に発達しており、それを共通の感覚として持っている。

それをフルに使っているのが所謂エロ漫画であり、こと動きの表現となるとコマの中があらゆる効果音で埋め尽くされる。

一時期ツイッターでバズった画像で、エロ漫画の効果音だけでエロいのか、というものがあった。

黒塗りの画像にエロ漫画で使われる効果音が描いてあるという奇抜なものだったが、これだけでも、筆者の感想としては正直非常にエロかった。

興味のある方は検索してみると良い。

こうして考えてみると、所謂普通の巨乳好きというものは、

「揺れるような大きさ」のおっぱいが好きなのだ。

「柔らかそうな動き」のおっぱいが好きなのだ。

大きいおっぱいのキャラを描くとき、表現するときには、特に意識した方がいいのは「動き」ではないか、

という筆者の考えを最後に、おっきいおっぱい編を一段落させていただく。

次回は、「とんでもなくおっきいおっぱい編」をお送りする予定である。

遅筆はご容赦いただきたい。

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