「アイドル」のお手伝いをすることとなったお話ーそこで感じた疑問ー
今回も、前回のnoteと同じく大学院進学や文系学問、文系院生とは一切関係ありません。
期待せずご覧ください。
私は昔から、好奇心だけは人一倍あるんだと思います。
これは研究者にはある意味大事な要素かもしれません。
そうでなくては、「自分の大好きなこの分野を究めて研究者になっちゃうぞ!」なんて思いもしないはずです。まず、そんな「人生をかける」ほどのテーマに出会えたことも、生来の好奇心があったからかもしれません。
そんな私が数年前、とある少女に出会います。
彼女の「私、アイドルになりたい」という一言。偶然にも私は、これまで見たこともない「アイドルという世界」を見に行くことができるのではないかと思いました。私のスタートはそんな好奇心から。
それに、この「アイドルになりたい」と語る少女の手伝いをしようと思った理由は、彼女の「私は、私の理想とするアイドルになりたい」という希望や、「『アイドル』そのものへの問い」を彼女が考えていたから。
私は「研究」という周囲に理解されがたい人生を送ってきました。「研究者」という狭き道でも、それでも自分の理想とする世界を目指して走ってきました。
アイドルなんて狭き道、周囲の反対もいくらもあるなかで、「自分のやりたいことをやる」と貫こうとしているその少女の姿は、私と似たものを感じました。
それに共感できるものがありました。
そして、「アイドルとはなんなのか」という問い。それが、私自身にも共通していました。
人々を惹き付けてやまない「アイドルなるもの」、人々が思いを寄せる「偶像」の原型は、突き詰めれば美術や神話の中の女神にだって見出すことができるでしょう。例えば、矢田部英正『美貌の文化史ー神と偶像(アイドル)』(中公文庫)という本なんかもあります。
確かに、よく考えてみると、現代の「アイドル」とは何なのかよくわかりません。
「疑似恋愛対象」などと、一般には言われます。田島悠来さんの研究などはよく知られているところでしょうか。
【アイドル】
崇拝される人、物。あこがれの的。
より具体的に、その「アイドル」とされる当事者たちや、その現場ではどうなのか。いわゆる「アイドルのライブ」の現場に足を運んでみると、確かにそこに「アイドル」はいます。
その共通点を探してみると、「観客の前で、衣装を着て踊っている」「ファンたちが応援している」。すると、それが「アイドル」なのか。
では、高校や大学生のチアリーダーグループと何が違うのでしょうか。
お客さんが0人だったらどうなのでしょうか。
SNSで自撮り写真をアップロードしたり、動画配信アプリで人気を得ることなのでしょうか。
そうすると、人気を博している大学ミスコンの少女たちやユーチューバーは、アイドルとは何が違うのでしょうか。
そうした「場」や「行為」が「アイドル」ということなのでしょうか。
でも、よく考えてみるとわかりません。
「私の夢はアイドルになること」と公言する少女が、有名アイドルグループのオーディションを受験して、合格後のインタビューで「夢だったアイドルになれた思いは?」との質問に泣きながら答えている姿を見たことがあります。
すると、「アイドルグループに合格=加入すること」が「アイドルになる」ということなのでしょうか。
これらは一種の「アイドルという職業」を指しているんだと思います。
しかし、例えば副業禁止の職に就く人が、休日に「アイドルライブ」に登場し、副業禁止であることを公言して収益を一切受け取らなかったらどうなるのでしょうか。れっきとして「アイドル」活動をしているようにみえます。(※実際に、「学歴の暴力」というグループには職場が副業禁止であることを公言しているメンバーがおられました)
アイドルとは「職業」なのか、「場」や「行為」なのか。
ここまでをまとめると、その少女は明日にでも「アイドルライブと銘打つライブにエントリーし、歌って踊って、1円でもお金をもらう」ことができ
れば、「アイドルになる夢」成立なのかもしれません。
でも、それでは納得できないものがありました。
少女は「私は、私の理想とするアイドルになりたい」と悩んでいました。
おそらく、学問的な考察や、目の前の現象の考察としての「アイドル論」は多くあるのだと思います。
対して、「当事者としてのアイドル論」もあるのかなと思うと、(私は歌って踊りはしませんが)、ある意味当事者としてそれを体感してみるのも面白いのかもしれません。
前の記事にも書きましたが、そうした学問的な考察や当事者としてのアイドルが皆一同に集まったら、どんなお話が聞けるのか。
これもいつか企画したい試みの一つです。
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