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曜日の束縛

家を出て、路地から通りに出る際に、いつもの光景と違っていたことで「曜日の違い」に気づいた。

私はヘルパーさんを頼んで外出するので、ほぼ決まった曜日に出かけるのだが、先日はたまたま違う曜日に出かけたのだった。
いつもなら古紙回収日で、所定の場所に紙や段ボールが束になって置かれているのに、その日は缶やペットボトルが置かれていたので、「そういえば今日は木曜日だった」と気づいたわけだった。

私の日常は何曜日の何時にヘルパーさんが訪問介護に入る、外出は何曜日、訪問リハビリは何曜日の何時に、というふうに進行している。
だから違う曜日に違う予定が入ると、それだけで「曜日感覚」というものが狂うのだ。
いかに考えずに惰性で生きているか思い知らされる。

毎日朝、家を出て会社に行き、家に帰る人たちは、どんなふうに曜日感覚を得ているのだろう。
会社での勤務の内容だろうか、社食のメニューだろうか。
そういえば、海軍カレーは兵隊達に曜日を知らせるために、毎週金曜日をカレーにしたことから始まったのだとか…では調理人はどうやって曜日感覚を保っていたのだろう。

いや、そもそも曜日感覚なんてものは人間の本来の生活に役立つのか。
毎週月曜日に獲物を捕らえ、火曜日に火を起こす、水曜日に調理して、木曜日に食す…いやいや1週間の歌じゃあるまいし。
曜日の概念はかなり昔からあったようで、それに従って現代の私たちは曜日に縛られた生き方をしている。
私は時々、曜日や時間から自由になりたい時がある。


自分時間で生きられたらいいなぁ。


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