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HAPPY EASTER🎵

今日はイースター。
主イエス・キリストが十字架につけられ、3日目によみがえられた日です✨

昨日までグズグズと雨が降ったりやんだりしていた天気が、今朝はうそのように晴れ渡り、空気の澄んださわやかな朝になりましたね。
まるでこの真っ青な空も、イエス・キリストの復活をお祝いしているかのようです。

イエス様のお墓を見に行って、イエス様の姿はそこになく、ただ亡骸を包んでいた亜麻布だけが残されているのを最初に発見した女性たち。
その日の朝も今日の日のような、こんな晴れ渡ったさわやかな気候だったのかもしれません。

もしかしたら「え?イエス・キリストの復活を本当に信じてるの?」と驚かれる方もいるかもしれませんが、私たちクリスチャンは完全な歴史的事実として、100%このことを信じています。

というか、普通なら信じられないようなこの奇跡的な事実こそが、まさに私たちの信仰の根幹であり、それがもし事実ではなかったとしたら、私たちの信仰は全く意味のない空しいものになってしまいます。

コリント人への手紙 第一15:16~22

 もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。  そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。 そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。

キリストは復活されたのち、天に昇って行かれるまで40日間にわたって500人以上の弟子たちの前に姿を現されました。

最初は半信半疑だった弟子たち。愛する主を失ってただただ悲嘆に暮れていた弟子たちも、イエス様が何度となく目の前に現れ、魚まで食べて見せてご自分が本当に生きた体で復活されたことをお示しになったことで、初めの悲嘆は一気に大きな喜びへと、そして確信へと変わっていきました。

ルカの福音書 24:36~39

これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなた方にあるように。」と言われた。
彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。
 そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」

11人の弟子たちに最初に姿を現された時、たまたまその場に居合わせなかったトマスが、主の復活を信じることができず他の弟子たちに食い下がった言葉が印象的です。そんな疑い深いトマスにはトマスが納得できるような方法で、主は再び現れお言葉をくださいました。

ヨハネの福音書 20:24~29

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
そこで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスはイエスに答えた。「私の主。私の神よ。」
イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

復活の主イエス・キリストは、今も神の右に立ち、再びこの世に来られるまでの間、この世界の行く末を天から見守ってくださっています。
この信じられないような喜びを、奇跡を一人でも多くの方にお分かちしたいと思います。

ヨハネの福音書11:25

わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。