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こだわり

今回の投稿は『グラフィックレコーディング Advent Calendar 2019』の記事です。

noteを始めたとき、グラフィック・レコーディングを学び始めたばかりの人の役に立つものが書けたらいいなーなんて思ってたけど、そうするとネタも続かないようで。
そんなワケで、役に立つものは他の方にお任せして、誰の役にも立たないようなこともつらつらと書こうと思う。(カレンダーの前後も濃い〜方たちに挟まれてるし。)
今回は「こだわり」について。

グラフィック・レコーディングに限らないが、言葉を書くとき、似た言葉でもその意味合いの違いを結構気にしている。例えば…

・「書く」と「描く」
・「聞く」と「聴く」
・「可視化」と「見える化」
etc…

ちなみに
可視化:見えていないものを見える状態にすること
見える化:常に見えている状態にすること
と使い分けている。

あと「グラフィック・レコーディング」と書くときは「・(中黒)」をつけたい派。
「グラフィックレコーディング」という一つの言葉にすると何かそれに特別な意味を持たせたくなるけど、自分にとっては「絵を用いた記録」でしかなく、それ以上でも以下でもないので「・」をつけて単なる形容詞の「グラフィック」としている。
(でも「・」つけてる人ってほとんどいないみたい。英語表記は「Graphicrecording」ではなく「Graphic Recording」なんだけどな。ちなみに「Recording」は名詞だと思っている。)
「グラレコ」という略称もほとんど使わない。使うときは多少の皮肉を込めて使っている。

多分これらの違いは他の人には大した影響もないのだろうけど、気になるのだから仕方がない。めんどくさいヤツだ。

でも、例えば登壇者のスライドに、自分が思うニュアンスと異なる表記が使われていたとしたら、その時はスライドの表記を書く。
紙に残すのはグラフィッカーのこだわりではなく、話した人の想いだから。そこを丁寧にひろうのも、またこだわり。

グラフィック・レコーディングを描く(書く)ことは「誰でも描ける!」「絵心なくても大丈夫!」かもしれないけど、人の想いを描くことはそんなに簡単なものではないよなー、とも思う。少なくとも自分はそう思っていて、今でも若干の恐れを抱きながら場に臨んでいる。

最後に。
人の想いを描きたい人に『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメをオススメしておこう。

「人の気持ちはとても複雑で繊細で、誰もが全ての思いを口にするわけではなく裏腹だったり、嘘をつく場合もあり
正確に把握するのは、私にはとても困難なのです」
-ヴァイオレット・エヴァーガーデン

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