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椎名林檎(と東京事変)のお話

   こんなどストレートなタイトルにして書き始めるととてつもなく長くなる予感しかない。論文書けそう。でも自分の中でまとめておきたい。ということで、 私にしては少し愛が重めの、ただ存在の再確認というスタンスで書こうと思う。

   そもそもいつどうやって好きになったのか。これが残念なことに記憶にない。とりあえず椎名林檎を先に知ったのは確かで、記憶にあるのは小学校中高学年の頃、歌詞の意味なんか1ミリも考えず「ここでキスして。」を部屋で高らかに歌っていて母に怪訝な顔をされたということ。そりゃ10歳そこらで「あなたしか見て無いの〜よ今すぐ〜に此処でキッスして〜」なんて叫んでたら変な顔もされるわ。しかしこの時まだお母さんはガラケーだったように思うんだけど携帯を借りてYouTubeをみていた記憶もあって色々と混同しているのかもしれない。とにかくこれが一番古い記憶。スマホを手にするのは高校生になってからなので、中学生時代はTSUTAYAでアルバムを借りては、歌詞カード片手に寝っ転がりながらCDプレーヤーを使ってひっそりと聴いていた。今思うとこの時Apple Musicかなんかでやたらめったら聴きまくるよりアルバム一枚ずつ聴けたのは私にとって良かったのだと思う。なんといっても椎名林檎はアルバムアーティストだから。
   東京事変は中学生で聴き始めた。「群青日和」か「能動的三分間」が初めと思うけどこれも決定的な記憶はない。覚えてるエピソードとしては、野田洋次郎とTAKAのラジオトークをYouTubeで聞いていて、その時紹介された超かっけえ、という曲が東京事変の「電波通信」だった。しかしこのトークは音声のみ。電波通信という耳慣れない単語を私は上手く聞き取れず「原発なんちゃら」??と思い中々検索に手間取った。やっとのことで見つけたこの曲のライブ映像は、照明ビッカビカでメンバーの顔もほとんど分からん、歪みギャンギャンで何がどうなってる!?という感想だったけれど、単純な私は確かにかっけえ、とまあ不思議な高揚感に包まれた(今思えば多分違法アップロードの動画でしたね)。その後ネットでメンバーについて調べ、晝海幹音が読めず、伊澤一葉との二人がどうも覚えにくかった記憶がある。

   これらの話の時は今ほどどハマりしていなかったと思うんだけど、何がどうなって今に至るのか自分でもよく分かっていない。ただこの二つの音楽に出会っていなかったら、まるきり今の自分と同じ中身ではなかったことは確かで、好きになっていく過程の中で知覚した様々なものは一時の感情だけに留まらず自分の根本的な所にも影響している。もっと言えば今自分の周りにいる人も違ってたかもしれないのだ。じゃあどこが好きなのか、書こうとして今思ったけれど、これ絶対椎名林檎と東京事変で分けた方が良かった、やらかした。
   このタイミングで一つ言えるのは、私は椎名林檎と東京事変をはっきり区別しているということ。本人は作り手は同じだし、みたいな事を仰っていた気もするが。東京事変となると当たり前だけど五人で一つのバンドであってそこでの椎名林檎は(良い意味で)埋もれるなあと感じるし、バンドサウンドというのは勿論、あの五人での音楽はやっぱりソロと異なると思っている。これは前に東京事変のライブビューイングを観ても思ったことだ。

   ということで、とりあえず椎名林檎について。好きなところ…好きに書き始めといてなんと答えれば私の中で正解になるのかが掴めないな。まずいえるのは「自分の作りたいものではなくて今どんな音楽が求められているかで曲を作っている」という姿勢だ。ここで面白いのが本来なら私は、自分の作りたいものを作る人をいいな、と思うという所。その真逆をいく椎名林檎に惹かれるのは何故か、と考えてみると、それが本当に徹底されていてブレないからと、その届けたい対象が一人の女の子であったりと、決して広く流行にのるという意味ではないからだ。ただ最初にその事を知った時は衝撃だったし少し悲しくなったのも事実。2014年に放送された椎名林檎X西加奈子の「SWITCHインタビュー達人達」で語られた椎名林檎の、本当に自分の好きな音楽はこういうのではない、ライブ中悦に入ることは出来ない、仕事と割り切っているといった話の数々。これをリアルタイムで見ていた私は、そうか、こういう人なのか、と初めて椎名林檎の中の人を見た気がして複雑な気持ちになった。音楽を褒められても仕事を褒めてもらえていると感じる、というのにはじゃあこの「好き」はどう伝えればいいの?とか思ったり、ライブ中の笑顔もどこまで演技で本当に楽しんでいるのか分からない、と悶々となった記憶がある。今はこの時からの六年間で新たに知った沢山のことがあるし、こんな疑問は見当違い、野暮だとさえ思っている。ただ、だからこそ二十周年のライブでDVDに収められた、他アーティストとデュエット中の心底楽しそうな表情とか、「もっとぽつねんとしていると思っていました」とMCで感極まる姿には驚いたし、ファンやってて良かったなと思えた。話が逸れたけれど、椎名林檎はSNSを駆使して常に、その時必要とされている音楽を探してはまさにリクエストに応えるように曲を作っていると思っている。まじで職人技。だからこそ人によってこれは私の曲だ、となるんだろうし「人生のサントラ」になり得るんだと思う。その揺るぎない"あるといいながある"のスタンスが、私が多分この先ずっと椎名林檎の音楽を聴き続けるであろう理由の一つ。だってこの一枚のアルバムを知っていたらこの先大丈夫って思わせるなんて、もの凄いことだ。やりたいようにやるから、俺についてこい!のアーティストもそれはそれで魅力だと思うけど、椎名林檎はどこまでも隅っこの一人に寄り添い、しかし同時に聴く人を本当に選ぶ。そのファンとの呼応が素敵だなと思っている。

   長いな。しかも思ってたより重くなっちゃった。まあ常にこんな重く考えてるわけでもないので、ここで私の思う椎名林檎はどんな人ってのを一言で言うとするならば、私は「お茶目な人」だと答える。あんなに茶目っ気たっぷりな人知らないし、賢く気高くありながらユーモアを忘れない人は最強だと思っている。なんで未だにメンヘラのワードが使われるのかよく分からない。次に挙げるとするなら「真面目」かな。これは特に仕事に対してで、椎名林檎は絶対にあらゆる作品の品質をおとすことをしない。初期の林檎さんのインタビューを読んでいたら今と全然違うこと言ってたりするけれど、音楽を作る上での芯の大事なところは全くブレていない。一貫している。だからこそ私は椎名林檎の作る音楽に半端ない信頼を寄せている。もう何度読んだか分からない、椎名林檎のインタビューをまとめた本「音楽家のカルテ」で印象に残った林檎さんの言葉がある。 

才能を使い切って見せてくれる人には、こちらも感性を使い切って感じたい。

ここでは話している立場が違うけれど、ライブに行く時なんかは毎度この言葉が頭をよぎる。五感を使い切りたいと思う。音楽をこんなにも真剣に受け止めて考えるようになったのは間違いなく椎名林檎の影響だなあと改めて感じたな。まだまとめたいことは歌詞とか歌声とか実演のこととか色々あるしこの五倍は書けるけど流石にもう目が疲れるのでそれはまた今度にしよ。東京事変も。多分。

(※上の画像は2015年のアフターMステで林檎さんが描いたもの。うま。)












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