ジーピーオンライン10大出来事

みなさま、こんにちは。ジーピーオンライン広報チームです。

創業20周年を記念してお届けしているnote企画。
今回は創業から現在までの歴史に残るできごとを振り返っていきます。
まだまだ20年という思いですが、創業時3名から始まり従業員数100名超えが迫ってきた現在に至るまでには、嬉しいことや二度と起こってほしくないことがさまざまにありました。

今回のランキングは全スタッフにアンケートを実施し、集まった100件にも及ぶエピソードの中からこれぞ!というものを選出しました。
ここからは代表の豊永にも登場してもらって、さっそく順番に見ていきましょう!

1.オフィスの酸素濃度が低下。酸欠の危機?!

旧谷町四丁目オフィス(大阪)では社内に酸素量を計測する機器を設置しているほど、狭いオフィスのキャパを超える人が仕事をしていました。スタッフ数が増えるにつれ、会議室を壊してオフィススペースを確保したり、さらに上の階に会議室を借りたりしてなんとかやっていましたが、それでもすし詰め状態のため、酸素濃度が低下してよく機器から警報が鳴っていました。夕方頃になると酸素を吸うために、窓を開けて身を半分乗り出している人がいましたね。

ーー谷町四丁目のオフィスということは、私が入社するより前ですね。…これって実話なんですか?

豊永:実話ですよ!当時は業務が忙しく移転準備をする余裕がなかったので、すし詰め状態でした。酸素計で空気中の酸素濃度を測っては「豊永さん、まずいです!」と言われて急いで窓を開けて換気していました。

ーー今の堂島オフィスでは考えられないですね。

豊永:そうですね。今はみなさんが集中して業務にあたってもらえるようにパーソナルスペースを広く設けていますし、こういうことは今後は起こらないでしょうね。当時は業務が大変でしたしスタッフの皆さんには申し訳ない思いですが、思い出としてはとても印象深いですね。当時からいるスタッフはこのことをいまだに定期的に話題にしています。

2.金縛りのソファ

入社したての頃は仕事が終わったから帰るのではなく、終電が来たので帰るというのが普通でした。徹夜も当たり前で、谷町四丁目のホテルによくお風呂だけ入りに行きました。徹夜するときは出前を頼むことが通例だった気がします。
オフィスにはめちゃくちゃ汚いソファがあったのですが、徹夜の際にそこで仮眠をするとみんな金縛りにあっていました。夜中にいつも同じ箇所から異音がすることもあったし、たぶんナニカ居たと思います。
今は定時で帰ることの方が普通になってきて、昔頑張って辞めずにここまでやってきてよかったなとふと思うことがあります。

ーーまたまた谷町四丁目のオフィスの話ですね。なにやら不穏なタイトル…

豊永:10年ほど前の話ですね。金縛りは初めて聞きました!(笑)
このソファが本当に汚かったので、僕はソファではなく椅子を並べて寝ていたから知らないのかもしれないです。
当時は毎日仕事に追われ徹夜も当たり前の環境だったので、本当に過酷でした。就業時間も長いし息するのもしんどいし、当時の過酷な環境で頑張ってくれたスタッフの皆さんには感謝しかありません。今では労働環境も整備され、残業時間もかなり減ってきました。スタッフ一人ひとりのキャパシティを超えないよう、業務量を適切に割り振るよう心がけています。
ちなみに僕は出張時の新幹線の中で必ずと言っていいほど金縛りにあいます。

3.ワクワクのオフィス移転

谷町四丁目オフィスが手狭になり、豊永さんの「今年こそは移転するで!」という口癖に聞き飽きてきたころ、とうとう引っ越すことになりました。文化祭前日の教室のような慌ただしくカオスな荷造り(業務が忙しすぎて、仕事している人と引っ越し作業している人が入り乱れていた記憶です)を終えて、翌営業日に新しいビルに出社すると、広くて清潔な空間、大きなデスク、ホテルのようなトイレ(温水が出る!メイクルームがある!)、エレベーターが6台ある、コンビニがある、他のテナントは有名企業、エントランスに2階ぶち抜きのクリスマスツリーがある…など、これまでのビルとギャップが有りすぎて衝撃でした。存在感のある芝生エリアに子供のようにワクワクしたのを覚えています。
当時はまだ人員拡大計画中でデスクも半数以上余っていたので、人は来るのか、家賃は払えるのか…と陰ながら経営を心配していました(笑)。

ーーやっぱりオフィス移転は外せないですよね!どのような思いで堂島オフィスに移転されたのですか?

豊永:堂島という場所を選んだのは、広告代理店などをはじめとしたお客様のオフィスが集中していたから、という理由が一番大きいですね。往訪・来訪など、お客さまとのコミュニケーションがとりやすいことを重要視しました。谷町時代は自転車移動が多かったので、営業メンバーはスーツのお尻に汗じみをつくりながら往訪に行って大変だったんですよ(笑)

ーーオフィスの内装も先進的ですよね。

豊永:芝生エリアやカウンターテーブルなど、スタッフの皆さんにリラックスしながら仕事していただける、働きやすい空間作りを意識しました。だから、お昼休みに芝生でお昼寝したりピラティスをしているスタッフがいると、少し嬉しくもあります。お客さまが来られたときに入り口のガラス部分からちらっとオフィスを見て、「芝生あるんですねぇ」なんて会話の糸口になってくれたりもするので、つくって大正解でしたね。

4.インフルエンザパンデミック!

数年前の冬、オフィス内でインフルエンザが大流行しました。ぱたぱたとマネージャー陣から倒れていき、2/3ほどのスタッフがお休みする事態に。その中でインフルエンザに罹らず乗り越えた人たちは、「みんな休むから忙しいわ~」と言いながら、どこか嬉しそうで誇らしげな顔をしていました。
39度の熱を出しながら家で仕事をしていたのも、今となっては良い思い出です。

ーー噂には聞いたことがありますね。想像しただけで絶望です!

豊永:これは本当に大変でした…。新型コロナウイルスの影響で今ではみんなマスクや手洗いを当然のようにしていますが、当時はそこまでうるさく言われていない時でした。一人が発症すると恐ろしい感染力で次々倒れていきましたね。インフルエンザだと1週間ほどお休みいただくことになるので、残されたスタッフの方たちの負担は大きかったと思います。

ーー大きな声では言えませんが、この時社内にインフルエンザを持ち込んだインフルエンサーは豊永さんでは…と人知れず囁かれています。

豊永:……犯人探しはやめましょう!この事件をきっかけに、ジーピーオンラインではインフルエンザワクチン接種の半額を会社が負担する制度ができました。怪我の功名、的な。雨降って地固まる、的な。違うか。

5.待ち焦がれた東京オフィス

東京オフィスができるまでは打ち合わせのたびに東京出張をしていて、週に3回日帰りで東京に行くこともありました。毎回始発に近い電車で帰りは終電の新幹線という日々。オフィスもないので、マクドナルドなどの電源があるお店で打ち合わせの合間に仕事をしたりと劣悪な環境でした。東京オフィスができて本当に良かったです。

ーー今では当たり前のように機能している東京オフィスですが、東京進出の陰にはとてつもない苦労があったんですね。

豊永:東京オフィスの立ち上げ前後は本当に大変でした。ただでさえ新幹線移動で疲れる上に、東京は大阪ほどビジネス街が密集していないので、お客様のオフィスを回るだけでも移動距離が長くて大変。またコネクションもあまり無かったので、顧客開拓に苦労しました。それに加えて、入社してくれたメンバーも未経験者が多かったので、教育という面でも一からのスタート。当時大阪から東京へ転勤して、東京オフィスを軌道に乗せてくれたスタッフには感謝でいっぱいです。

6.力をあわせて勝利を掴め!大運動会

ジーピーオンラインには社員旅行があり、旅行先で「全員参加の運動会」を開催することが何度かありました。いくつかのチームに分かれてリレーや尻尾取りゲーム、大縄跳びなどをし、優勝したチームには賞金も出ていました。普段運動する習慣のないスタッフにはきつい種目も多く、なかなか本気の運動会でした。何年も使っていないスポーツシューズを押し入れから引っ張り出して持参したところ、競技中に靴底が剥がれ、みんなの前で見事にすっ転ぶという、個人的にも思い出深いエピソードもあります。急な運動にはそんな危険性もありますが、チームワークを大切にするジーピーオンラインらしい催し物だったと思います。

ーージーピーオンラインと言えば、全員集まっての社内イベントですね!アンケートでもたくさんのエピソードをいただきました。

豊永:人数が増えるにつれ、不足しがちな社内のコミュニケーションを図るためこういった社内イベントを開催するようになりました。昔は新入社員が企画・運営を任され、お花見やBBQ、社員旅行など毎年さまざまなイベントがおこなわれていましたね。ときにはBBQではなく鯛しゃぶをしてみたり、スタッフ自作のムービーで各部署を紹介したり、東京メンバーがダンスを披露してくれたり…。岡山に自転車レースをしに行ったこともありますね。レースはむちゃくちゃしんどかったですが、文字通りみんなで力を合わせてゴールを目指し、頑張ったのは良い思い出です。

ーーコロナ禍でそんなイベントも開催できず、寂しい限りです。

豊永:そうですね。でもオンラインでなんとか代替イベントができないか模索はしています。2020年の忘年会では初の試みで、各自スマホでアプリをダウンロードしてビンゴ大会を開催しました。これからも、スタッフの皆さんに楽しんでいただけるようなイベントなどを考えていきます!

7.無料アプリ部門1位に!

まだスマホが出たてのころ、これからアプリの時代が来るよな!という話になり、広告代理店とタッグを組んでアプリを開発することになりました。この時作った「フリックフリークス」が無料アプリ部門1位を獲得。テレビにもとりあげられて、グループ会社であるトンガルマン設立のきっかけになりました。
アプリ開発は未経験のメンバーばかりで構築をスタートし、あーでもないこーでもないとわいわい作るのはとても楽しく、1位をとれたという結果も残せたので、とても良い思い出です。

ーー1位なんてすごい!テレビにも取り上げられたなんて知らなかったです。

豊永:広告代理店の働きかけもあったとは思いますが、リリースから1週間くらいは無料アプリ部門の1位をとっていました。それまでどちらかと言えば日陰でしこしこWebサイトを作っていた僕たちが、一躍脚光を浴びて浮かれていたことを覚えています。ちなみにこの時僕の新しい能力がひとつ発見されたんですよ!このフリックフリークスは暗算&パズルのようなゲームだったのですが、僕の暗算がやたら早いっていう。

ーーソウナンデスカ。他にもアプリ開発はされてたのですか?

豊永:東京でも同じく広告代理店とタッグを組んで、「ユメミール」というアプリをつくりました。これは見たい夢を見られるというアプリですね。例えばお金持ちになる夢を設定しておくと、レム睡眠になったタイミングでお金がじゃらじゃら鳴る音を出してくれるんです。これもテレビにもとりあげられたと思います。

アプリ

8.台風直撃!天災の脅威

2年前位に大きな台風が来て公共交通機関はストップし、スーパーから保存のきく食料品や生活必需品が不足しました。住んでいる地域によっては停電も発生しており、一人暮らしなのですごく怖かった記憶があります。
また、オフィス近隣に住んでいるスタッフ以外は出社できなくなり、スタッフ間で連携して対応をおこなう様子をみて、予想できない緊急時ほど対応力・チーム力が試されるなと改めて感じたのを覚えています。

ーー台風や地震で出社できなくなったこと、ありましたね。

豊永:他府県から通勤しているスタッフもたくさんいますので、公共交通機関が麻痺すると出社自体が難しくなります。徒歩で出勤できるスタッフには出社してもらい、自宅待機のスタッフと連携をとりあって仕事を進めていました。かくいう僕も普段は車通勤ですが、1時間ほどかけて徒歩で出社した覚えがあります。

ーー予想できない緊急時と言うと、新型コロナウイルスの流行もそうですね。

豊永:そうですね。ジーピーオンラインでは緊急事態宣言が出たタイミングで、全社的にリモートワークを導入しました。ほぼ全員が在宅勤務になるというのは初めての経験でしたが、円滑に業務を行えるようさまざまなツールを導入して対応しました。その後正式に制度としても確立しましたね。リモートワークを取り入れスムーズに業務がおこなえたことは、これからの時代を乗り越えるための大きな武器になると感じています。

9.嬉しい悲鳴!お問い合わせ件数急増

これまでは、仕事になりそうな新規のお問い合わせは月に1~2件来れば良い方でした。2年程前にブログの更新や各種媒体への出稿をするようになって以降、お問い合わせの件数が少しずつ増えていき、今では「新規お問い合わせの対応で忙しくなる」という経験までする事態に。嬉しい悲鳴をあげつつ、露出効果の大きさと重要さを実感しました。

ーー2年前に経営企画部が発足し、広報やマーケティングの活動が始まりました。徐々に成果があらわれていますね!

豊永:経営企画部が動き始めてから、2020年度は問い合わせ件数が1年前に比べ3倍に増えました。これは当初目標としていた数字ですので、達成できて本当に良かったです。それまでは自然と認知度があがるのに任せていましたが、しっかり予算を確保し能動的に自分たちをアピールすることで、これだけの反響があるのだという驚きと実感がありました。認知度をあげていくことは営業面でも採用面でも重要な要素になるので、引き続きブランディングに力を入れていきたいと思います。今後の課題としては採用ですね。おかげさまで営業が好調な分、制作のリソース不足が目立ち始めています。即戦力ディレクターいつでもお待ちしています!

10.社長交代

10年目の時に創業者から豊永さんに社長が交代するという話になり、当時デザイナー兼ディレクターとしてプレイヤーだった豊永さんに社長なんて無理なんじゃないかと心配になるスタッフが多数発生。私も心配&ちょっと生意気にも物申してしまったのですが、今ではすっかり社長されていて失礼なことをしたなと反省しています。

ーーちょうど10年前ですね。私は社長じゃない豊永さんは想像がつきませんが、当時のことやこの10年を振り返っていかがですか?

豊永:ちょっと誰やこれ書いたの!しばく!嘘です。
真面目に答えますと、やっぱりその時は不安や戸惑いを感じていましたね。当時から役員ではありましたけど社長となると会社の顔になるわけですし、それまでとは全然違ったプレッシャーがありました。今振り返ると、当時の自分は肩書だけ社長になったけど中身は変わらずでした。実務や実践を通じて、また“心配&生意気にも物申して”くださるような周りの人たちのおかげで、客観的に自分や会社を見てこれたのかなと思います。何が足りないのか。どういう考え方でやるべきなのか。そうやって10年間失敗を積み重ねながら成長してきたのだと思います。

ーー今や誰もが認める、私たちの誇れる社長です!では最後に、社長としてスタッフへのメッセージをお願いします。

豊永:僕はもともと内向的な性格なので、あまり人前に出ることが得意じゃないし、知らない人と喋ることも苦手なんです。でもこの10年間の社長業を通じて、そういう自分でも変わることができるし、成長することができるんだと感じています。だからスタッフのみんなにも成長することを諦めないでほしいですし、変化を恐れないでほしいと伝えたいですね。僕も次の10年、20年に向けて、もっともっと成長し続けます!


以上、20年間の10大出来事をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
こうして振り返ると、酸いも甘いも経験したことで、組織として成熟してこれたのではないかと思います。これからもジーピーオンラインは成長を止めず、さまざまな経験を糧にしながら、一歩ずつ前へ前へと進んでいきます。

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