ちいかわ

 ここ数年ほど、おぞましい何かに付きまとわれている感覚がある。個人の人格の問題だと思っていたけど、最近は、どうやらそうではなさそうだという確信に変わった。もっと大規模に、そして日増しに、狂気じみた道徳が世界を包摂していっているようなそんな息苦しい恐怖が、肺の中まで侵食してきている。そもそも、ちいかわが持て囃される時代が正気なわけがないじゃないか。アンチとまではいかないが、実は、ちいかわに対してはSNSで見かけるようになった頃からずっと、モヤモヤしたものを抱えている。まず、時代に求められて生まれたキャラだということは、何となく理解出来た。そして理解するだけで、ちいかわを前にして、何の感情も起こらず、そして一切の変化を感じないことに驚いた。同時に、これほど何ももたらすことがないキャラは逆にすごいので、この作品にはとてつもない配慮と工夫が施されているのだと感じた。素直に愛でている友人や同年代の人を見ると、私は一足先に老害に踏み込んでしまったのかと、少し落ち込んだりもした。しかし次第に、これは割と幼少の頃から備えていた私自身の感性にヒントがあるように思えてきて、だから自分の感情の整理も兼ねて、何となく書き起すことにしてみた。私はちいかわの何が怖いのだろう。思い返すと、一番最初にちいかわに出会って起こった反応は、身構えるということだった。得体がしれないだけでなく、何故か、気を許してはいけないと、そう直感した。サンリオほどの厚いメルヘンの皮を被っている訳でもなく、突き抜けたグロさもパンチもない。あの、何故か子供ウケの良い奇妙な存在な何なのだろう。長年、歯茎に刺さった魚の小骨のような異物感で揺さぶりかけてくるあの世界と、どう付き合えば良いのか分からずに困り果ててしまっている。カオスな作品は嫌いではない。しかし何というか、ちいかわから漂ってくるのはカオスというよりは、ある種の不気味さなのだ。それもオカルトな不気味さというよりは、色んな意味で人間の卑しさを感じる不気味さであり、だから、大人がキャッキャと喜んでいるのが本当に信じられない。もっと言えば、例えば楳図かずお等のサブカルのオカルトとも一線を画していて、言葉を選ばす言ってしまうと、どうしても、サンドバッグ的な概念に見えて仕方がない。そして、それが今の時代によくマッチしていることも踏まえて、不気味だと感じる。これだけ人気があるのだから、私の感性が世間から外れているだけだと言われてしまえばその通りで、だからそれはもしかすると、時代に歓迎されなくなってきていることの証拠なのかもしれない。しかしまあ、子供の頃から、良くも悪くも表通りからは外れ続けているから、度々こういった時代錯誤が起こるのはもう諦めている。今や私も立派な妖怪人間。だから、妖怪人間とゾンビが蔑み合うみたいなトンチンカンなことは、いい加減もう見たくない。こういう些細なわだかまりが、平常化しつつある異常気象で浮かされた夏の、ただの脱水症状であることを願って、朝晩必ずコップ一杯の水を飲んでいるダン坊でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?