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行きつく先に

シナリオとアドリブ。という話なんだろうか。いくつものシナリオの準備がアドリブとなる。いやアドリブは鍛錬の先にあるゾーンだともいう。どこまでが予定調和でどこからが偶然なのか。どちらにしても予測通りにいかないから現実は面白いのだけど。

僕は退いた。そのつもりでいる。一生が50年からついに100年となる時代が来る。どこまで現役でいつから引退するか?なんて常識は変わってくる。期待を裏切って成果を上げることに意気を感じる。それが億劫になった。期待の範囲で目標を達成する方が正直楽だ。なぜかって?失敗しても期待した人のせいにできてしまうから。成功しても「私の言った通りでしょ」の範囲では最高の評価を受けられる。

それも楽しいのかも

僕はこれだけは言いたい。人の願いを形にすることが好きだ。さらに自分より強い人の言うことには抗ってしまう。納得できないまま動けなかったし、腹落ちしたら周りが全員敵でも構わなかった。それはエゴだったのかな。でも今はここまでが自由の範囲で満足し始めている。時間は限りがあるから。ミッション達成も無限には待ってくれない。うんそうだね。スッと諦めようと思った。それを楽しもうとしている。

衰える中で光るもの

随分と老齢に聞こえるかも。手数が減ってきて嘆くより、出せる手数を磨いていくのもいいものだと気づく。それは可能性が無敵状態の30年前とは違う。二十歳前夜の僕には考えもしなかった境地に笑えてくる。限られた条件だからこそ非凡なる凡になれることを実感している。的が絞られると小さな変化に敏感になれるんだよね。範囲が狭いから深く気づけるというのかな。

意外性より再現性

ずっと憧れていた。ドラマティックだし。たった一回の奇跡に興奮したかった。これが不思議と変わってくる。複雑なフレーズを弾けることより、単純な音色で聴かせることに魅了されてくる。体力や根気の衰えも言い訳としてある。でもたまにしか鳴らない音より自然と何度も奏でるられるもの。技量の範囲でしっかり表現できるもの。いや、それしかできなくなるのだが。それでいい。それがいい。そろそろ






















期待されるままに。人の願いであるならその自分になってみるのもいいよね。そこは生涯現役で。自分を探す旅はここが到達点なのだろうか。結論をはっきり持てないままの夜。それも悪くないと思って眠りにつく。おやすみなさい。







ここまでお読みくださって
ありがとうございます

トチロー







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眠れない夜に

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