処方薬依存症患者の家族になって②

借金がきっかけで判明した弟の処方薬依存症。行動のブレーキが効かなくなり、何を差し置いてもそれを欲してしまうという症状は、アルコール依存や違法な薬物とも共通しています。

私は弟と別々に暮らしていたので、彼に一体何が起きているのか、最初は全然わかりませんでした。というのも、依存症は「否認の病」と呼ばれるくらい、本人が認めたがらない病気なのです。周りからみれば害しかない薬物も、本人は救いを求めてすがっている薬。だから、実態を知られて止められるのが怖いのです。私は、弟の症状の全貌をだいたい把握できるまでに3か月くらいかかりました。本人が酩酊状態で泣きながら電話をかけてきたときに突然語り出し、常連のクリニックが10か所近くあり、それらをローテーションして通っていることをやっと知りました。

弟は休職が続き生活が困窮していましたが、少しでもお金があるとクリニックに行って薬をもらって飲んでしまう。本人はなんとか仕事を続けたいので、「お金を私に管理してくれ」と頼んできました。両親は、私を窓口にして援助をすると言ってくれたので、生活保護に相当する額を日割りで計算し、1週間分ずつ入金する方法を取りました。

依存症の支援でよく出るワードに、「底つき」という言葉があります。それは、「もう、この依存を続ける生活無理だわ。お手上げ!」となるタイミングのことです。依存症患者は、依存をやめたくないがために周りの人にめちゃくちゃウソをつき、取り繕います。でも、だんだんボロが出てきて、取り繕いきれなくなり、大切なものを失ったり、人が離れていったりと、人生のピンチが訪れる。そして「もう、依存症を認めて治療するしかない。」と思えるタイミングが非常に重要なのです。

私は当初から、いろいろな相談機関に電話をかけまくり、いろいろな専門家の話を聴きました。そして状況を説明すると、「早く仕事を辞めさせて、治療に向かわせた方がいい。親から経済的な援助をして、じりじりと治療のタイミングを先延ばしにするのは良くない」とよく言われました。つまり、早く底をつかせろというわけです。

でも、ベースにうつ病があり、しかもこれだけ仕事にしがみついている彼からいきなり仕事を取り上げたら、治療に向かうどころか死んじゃうかも・・と思っていました。そういう本人の性格や状況をまるごと受け止めて、そのうえで家族はどうしたらいいかを一緒に考えて下さったのが、家族支援の専門家の先生でした。その先生はこれまでの話をゆっくり聞いてくださり、家族を労ってくれて、今後の見通しも教えてくれました。そして家族の会に呼んでくださり、ともにたたかう仲間と出会うことができたのです。そこから、月に1度の家族会に通うことになりました。

家族が依存症になったら、その依存症になった本人をまずどうにか専門機関につなげようと考えるのが普通です。でも、今振り返ってみても、最初にすべきことは、「家族が専門機関に相談すること」。そうすることで家族の生活が守られ、最終的には本人が専門機関につながるための一番の近道のような気がします。嫌がる本人に縄を付けて専門機関に連れていくことはできませんが、家族が自分で行くのは簡単です。もし家族の依存症を疑ったら、まずは家族相談に行くことをお勧めします。

今回私は、姉という立場だったのも良かったと思っています。もしこれが親だったら、子供のつまづきは自分の育て方のせいだと思ってしまったかもしれません。ほどよい距離感があったことで、客観性を保てたような気がします。次回は、家族会のことを書いてみようと思います。(つづく)


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