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日々を綴る(1)

2023年、あけましておめでとうございます。

新年を迎えて新しい気持ちで何かを始めようとしたり目標を立てたりするのって不思議だよなあ、と思いながらも、やっぱりわたしも何か気持ちを入れ替えて取り組んでみたい気持ちになっています。今年は書くことを続けたいと思っていて、とりあえず書きたいことを書きたいように書いてみようということでnoteを開きました。どんな言葉が出てくるか自分でもわからないまま、書き始めています。

年末に釧路へ行ってきました。天候に恵まれて、途中の峠だけはちょっとどきどきしながらの運転だったけれど、とても快適な道のりでした。わかってはいたけど個人経営のお店はほぼ休みで、前から「行ってみたいなあ」と思っているところへは全然行けずに終わりました。
わたしが前回釧路を訪れたのって、2022年4月23日なんです。あちこち行ったのち、ホテルへチェックインしてテレビを点けたときのことを、今でもよく覚えています。でも、今こうやって思い出しながら書いていて、そのあとのことはあまり覚えていないかも、と気付きました。ぼうっとしたまま、ネットとテレビに流れ続ける内容がほぼ変わらない情報を眺め続けていたような、そんな記憶だけが残っています。

しばらく釧路へ行っていなかったこととそれはまったく関係ないのですけどね。記憶を上書きして忘れたい、みたいな気持ちもまったくないですが、今回は、ホテルへチェックインしたあとはテレビは点けずにPCでラジオを聴いていました。FMあばしりから流れてくるすっかり聴き慣れた落ち着いたトーンの声と楽しくなるメロディーをBGMに、ホテルの部屋からの景色を楽しみました。日没後のどんどん色が変わっていく空。とても良い時間を過ごすことができました。

この日の夜、別の場所で少しだけ言葉を綴りました。
年末なので、2022年の振り返りと感謝を伝え、2023年につなげる内容にしたいと思っていて、でも、2022年という年を振り返る中で、わたしが前回釧路を訪れたあの日のことは絶対に無視してはいけない、と思っていました。
「あえてそこには触れない」という選択をする人もいるでしょう。その選択は尊重します。「わざわざ言葉にしなくたってずっと考え続けているに決まってるじゃないか」という人もいるでしょう。確かにそうかもしれない。言葉にしたところで、現実は何も変わらないのかもしれません。思い出すのがつらいという人、置かれている立場によっては、いろんな事情が絡まり合って語ることが難しい人もいるかもしれないとも思います。
わたしだっていつもそこに触れるわけではないです。でも、少なくともわたし自身はオホーツク海を眺めることが大好きで、毎日とは言わないけれど海岸で過ごす時間を楽しんでいるから。この美しい海を眺めるたびに、どうしたってやっぱり頭の中をよぎるから。きちんと、伝えておきたかったんです。忘れていませんということ、忘れてはいけないと思っているということ。

言葉を発するときは、いつだってどきどきしています。今書いているこの文章は、上のように「意図をもって綴った言葉」とは少し違って、ただわたし自身が書きたいから書いているだけなのですが、じゃあなんでネットで公開するんだと言われたら自分でもその理由はよくわからないままだし、誰が読んで誰がどんな反応をするか、しないか?も、まったくわからないです。わたしは、考えたいのかもしれません。そもそも考えることに対する苦手意識があって、書くにしても話すにしても、いつもどこか「自分の言葉じゃない気がする」と感じてしまうんです。とにかく言葉にして表現するのがうまくできない気がしているので、その行為をもっと繰り返して、慣れて、少し飛び越えてみたいのかもしれません。
書くのと話すのを両方いっぺんに取り組むのはちょっとしんどい気がするので、どちらかというと気持ちが進む方、「書く」の方に舵を切ってみることにします。

話が逸れました。
でもこれまでよりは素直に書けたような気がしています。こんな感じで、日課になるように、続けてみたいと思います。続かないかもしれないけれど。やりたいようにやってみます。

そんなわけで、釧路。
斜里から釧路までは約130km、車で2時間半くらいあれば着く距離。2023年は、釧路での思い出を増やせたらいいなあと思っています。


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