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日々を綴る(18)

2月を迎えました。この季節といえば、なんといっても流氷です。1月中旬を過ぎた頃からいつも以上に海の様子が気になるようになってきて、仕事前や休憩時間中に海岸へ行く頻度が増えました。1月下旬になってもゴーッという海鳴りがよく聞こえて(自宅から海までは1.5kmくらいあるけれど自宅から一歩外に出るだけでよく聞こえる)まだだなあ、とわかっていても見に行ってしまう…みたいなことをひたすら繰り返していました。

あるときからその轟音が聞こえなくなって、海岸へ行ってみると、波の雰囲気ががらりと変化しているのがわかります。波がないわけではないですが、荒々しさが一気になくなります。流氷の姿は見えなくとも、いま自分が見ているさらに北に流氷があるのだ、と、その気配を確かに感じる瞬間です。

そんな様子がここ1週間ほど続いているのですが、なかなか流氷本体の姿を見ることができていません。ウトロでは一度けっこうしっかりと接岸していましたがまた少し沖へ離れてしまっているようです。向こう側にあるのは間違いないのですが、最後の一押しがちょっと弱いみたいです。でもわたしたちはこちら側から眺めて待つしかないわけで、そういうふうに振り回されるのも悪くないなと思っている自分がいることに気付いたりもします。

いまに始まったことではないのですが、最近は本当に何かと情報過多だなあと感じています。情報が豊かであることは決してネガティブなことではなく、いろんな物事が活発に動いているからこその現象だと思うので、取捨選択していけばいいだけのことで、実際取捨選択しているつもりなのですが、最近は関連する情報も多数くっついて流れてくるので、あれはあまりよくないなあと感じています。

…と文句をこぼしても仕方なく、わたしは今日もまた海を眺めに行きます。毎日違った色を見せてくれて心を穏やかにしてくれるオホーツクブルーは、わたしの精神安定剤のようなものになりつつあります。


2023/2/3のオホーツク海。シャーベット状の波がシャリシャリと音を立てていました

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