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小沢健二「モノクロマティック」NHKホール

今回、自分にとっては約2年ぶりのオザケンライブ。当選してからずっと楽しみにしてたのに、札幌の自宅から東京・NHKホールに向かう私の足どりはすこしだけ重かった。

理由はいろいろあるのだが、書けることでいうと、4月に久しぶりにステージでパフォーマーとして歌を披露したのだが、狭いハコだったのもあり酸欠になり(肺炎の後遺症)、息が全く続かず、お客様と共演者の方々に申し訳なく数日間むせび泣いて撃沈したり、

去年からどハマりした大喜利の場数を増やすため、札幌在住のラッパー・MC松島さん主催の大喜利大会に参戦してみたものの、惜しくも予選落ちして撃沈したり(とても勉強になったし楽しかったけど)、

時々出させてもらっているまるBARでもなんかしらんけどテンパって撃沈したり(お客様も店長のしろっぷひろしさんも皆さん優しく誰にも怒られてないのに)などなど、

とにかく新しいことや体質的にむずかしいことや苦手なことにあえてチャレンジしてはひとり静かに撃沈を重ねており、別に結果を高望みしていたわけでもなかったのだが、昼間も仕事しながらだったため、おそらくシンプルにがんばりすぎて疲れてしまったのだろうと思う。

ちょっと油断すると、心の中のIKKOさんが「死にたみ〜〜〜!!!」と指をぶんぶん振りながら内股小走りで迫ってくるのだ。

かといって特に暗く陰気はなってはおらず、気分転換と自愛職人としてのブレはなく、必要最低限の仕事や家事や活動や約束はそれなりに楽しんでこなし、日々のちいさなあたりまえに感謝し幸せを感じながらも、ある一定ライン以上のインプットやアウトプット、そして人との心の深い部分での関わりがストップしてしまい、朗らかに健やかに、デフォルトで病んでいた。

奈落の底へ向かうための要らん思考力やエネルギーを発揮させないよう、私はおそらく自動制御的に虚無モードに突入していた。

そんなこんなで5月9日の直前まで、ずっとほんのり虚無で静かにこころが死にかけていた。

開演、小沢マジック


だがわたしは来た。NHKホールに。
開演10分前にまだPARCOらへんを
ウロウロしていて半泣きになりながら。

なんとか入場できてからは、開演時間ちょうどくらいに席に着き、受付でもらった缶バッグを開けると、SNSでの噂通り
ランダムで柄違いのネクタイと、銀のホイッスルと、音量調節もできてネクタイに装着する工作式の紙ホルダー?、知らない曲の歌詞カード、耳栓、説明書が入っていた。

正直、SNSで皆さんや小沢くんの「工作楽しんでね」などの投稿を見ても、はぁ〜工作苦手なんだよなぁという気持ち(小沢くんごめんなさい!)でいた。

わたしは説明書を読むことが病的に苦手で、文字での説明も、図解も、それらを脳内で3Dで組み立てることがまったくできない。

案の定、?マークを頭上に浮かべ
首を傾げながら苦戦していた。

幸い、開演時間はやや押しているらしく、まだ会場が明るいうちに試行錯誤していたら「わからない人がいたら教えてあげてくださいね」のアナウンスどおり、となりの親切な方が見かねて手伝ってくれた。やさしい!

できあがってみるとアラ簡単。そしてかわいい!一転して、なにこれ吹くの!?えー楽しい!ワクワク!早く吹きたい!さぁこい!いでよけんじ!!と開演を心待ちにしてる自分がいた。

我ながらチョロい。
でもそこがわたしのいいところでもある。

開演前から小沢マジックが炸裂していた。

そしていよいよ開演。

ライブで聴くと魔法っぽさが倍増する
「フクロウの声が聞こえる」
で静かに始まった。

渦を巻く 宇宙の力
弱き 僕らの手をとり
強くなれと 教えてくれる
ちゃんと食べること眠ること
怪物を恐れずに進むこと
いつか希望と絶望が一緒にある世界へ!

フクロウの声が聞こえる/小沢健二


どこまでもまっすぐで素直な言葉。
疑うことをしらない、淀みない信頼。

オザケンの生の声を通じて出る言葉たちは
やはりいつもどおり強力な魔力をぶっ放ち、
早速その風圧に吹き飛ばされそうになった。

セットリストはよく覚えていないので
それを楽しみに今これを読んでくれてる方には大変申し訳ない。

つよく印象に残ったことだけ残しておきたい。

東京とオザケン

オザケンの曲には東京の地名がよく出てくる。自分は札幌生まれ札幌育ちで東京に住んだことはない。

東京近郊で生まれ育った人には肌で感じられるようなフレーズだろうが、地方民としては羨望と「なんかいいなぁ」という気持ちで十代の頃から聴いていた。

「東京の街が奏でる」の東京公演を観に行った際、はじめて東京で聴く東京のオザケンソングにものすごくテンションが上がったのを覚えている。

今回も、東京の地名がたくさん出てくる曲を東京で聴けるよろこびを2年ぶりに思う存分味わった。ライブも東京ばかりでいいなぁと思い続けてきたけれど、この楽しみ方は地方民だけの特権かもしれない。

フクロウ〜の曲フリで「子どもたちの波動からできた曲です!」みたいなことをサラっと言っていた。波動という言葉をこんなにあっさり使ってもヤバさがまったく出ないのはなぜなんだろう?

神様や宇宙というワードもオザケンの歌詞の中にはたくさん出てくるが、それもうたの中に自然に溶け込んでいて違和感も変な宗教臭さや気持ち悪さもなくスッと入ってくる。やっぱりオザケンはすごいや。そんなことを考えた。

もちろん、スピリチュアル的用語や小沢健二に対して強めの嫌悪感や先入観がある人にとってはまた違う印象なのだろうが。

これもまた小沢マジックだと思った。

胎内記憶?

個人的な話になるが、
わたしの母はわたしの誕生前、出産予定日直前まで今回の会場であるNHKホール、代々木公園のすぐそばに住んでいた。

子供の頃から、東京に遊びに行くたびなぜかその近辺の道を知らないはずなのに知っていたり、通るとものすごーく懐かしい気持ちになることが昔からあり、今回もそれがあった。そんな誕生前に元ご近所だったNHKホールでのライブ。何気に初めてだった。

まさに

導くよ!宇宙の力 深く僕らを愛し

フクロウの声が聞こえる/小沢健二

さらに

愛すべき 生まれて育ってくサークル

天使たちのシーン/小沢健二

がしっくりきた。
(天使たち〜確か2曲目で早くてびっくり!)

目を閉じて、まるで母のおなかにいながら聴いてるかのような心地良さに身を委ね、音や声の振動を全身で感じながら小さくゆっくり、揺れながらこの一瞬一瞬をかみしめていた。

わたしはあいにくこの時代で生きてる記憶しかないため想像でしかないが、

おそらく、小沢健二というアーティストの音楽は、どの時代に生まれていても好きになっていたと思う。

もしあと50年生まれるのが早すぎたり遅かったら、こうしてあたりまえのように同じ空間で生演奏と生歌を聴ける機会なんてなかったかもしれない。

中1の息子がビートルズを聴いてる感覚で
昔の音楽として家で聴いて
楽しんでいただけかもしれない。

こんなにライブ映えする曲ばかりなのに!
オザケンの曲は、生の演奏と歌で聴くと
どれも毎回新鮮でちがっていて、
良さが何倍も何十倍も染み渡る曲ばかりなのだ。

そして神聖さと愛と笑いと涙の空間。
こころの交流。うたやホイッスル、
手拍子や声援、アイコンタクトや
表情での意識疎通。

一方通行ではない、最高に楽しい共同作業。

そう考えるとなんてぜいたくで、
ありがたくて、しあわせで
豊かな時間なんだろう、と
ひとりじわじわと幸福感に包まれた。

しかも、同じく十代の頃から大好きで
LIVEに通い詰めていたスチャダラも
いっぱい出てきて
たくさんジョイントしてくれて。

全員決して若くはないのに、
元気に4人揃って歌って演奏してくれている。

こんな光景、あと何回観られるんだろう?
もしかしたら最初で最後かもしれない。

もちろん、もしもの
たらればアナザーワールドを
わざわざ持ち出さなくても
至福の時間には変わりないのだが、
スチャ集合と胎内記憶?のおかげで
なんだかより一層、刹那的で
いとおしい時間に感じた。

「小沢とスチャが揃ったライブ、いつか観たいなぁ」と願っていた16歳のわたしに
こんな最高な日がくるよ!と教えてあげたい。

なぜあんなに虚無ってたんだっけ???
生きてるだけで十分じゃんね?と、
こんなに喜びを感じられる心がまだ
残っていたことがわかって嬉しかった。

こんなにも
「生命の熱をまっすぐに放つように」
歌い弾く、自分よりずっと歳上なのに
超パワフルなオザケンやスチャを前にして

疲れなんてだいぶ早めに吹き飛んでいた。
やかましかったネガティヴIKKOも
ポジティブIKKOに変わり、
「オザケ〜〜〜ン!!!」
(どんだけ〜〜〜!!!のリズムで)
と指を振りながら笑顔になっていた。

存在と音楽と言葉だけで
すべてを肯定されたような、
ゆるされたような心地よさ。

ああ、来てよかったなぁと
しみじみ感じていた。

ちゃんと生きてきた人たちとの温度差

さらにもうひとつ、冒頭で少し触れたようにわたしは生きること全般が得意な方ではない。あらゆる持病や病気のキャリアを持ち、障害由来の感覚過敏で行ける場所や行動が限られたり、以前は対人恐怖がひどく、全人類への怖さがずっとあった。

今ではいろんな福祉制度や周りの優しい人たちに助けられなんとかたのしく生きているものの、生活面では

まだ毎日何かしらやらかしては緊急事態が発生し、緊張し、パニくり、怒られ、謝り、三日に一度は駅の落とし物センターに問合せ、急いで走ってケガをしたりと、毎日が大冒険で、ひとりで生活とたたかっており、わりと毎日しっかりどっぷり疲れている。自分に。笑

疲れと生きづらさのあまり何もしたくない!できない!動けない!はいむり〜^o^と無気力に襲われる日も多く、集中力にムラがあったりもするため、やってきたことの数や実力のわりには何も立派に成し遂げられてないし、何するにもトロいし、結果らしい結果も出せていない。そしてそれを恥ずかしいだとかみっともないとすら思えないくらい、ただただ生きることが大変で必死なのでそこで悩むことすらできないレベル。

そんな感じなので、若いうちからバンドでメジャーデビューして人気となり、東大を出て渡米を経て結婚をし二児の父になり、仲間やご縁を大切にして良い味出してる良きパパでありカッコイイおぢとなった今のオザケンやスチャダラ、同じく健やかにキャリアや家庭を築き、何の迷いもなくあの頃は青春だったね〜と語れる同世代のファンの人たちに対して温度差や劣等感を勝手に感じていた。オザケンという存在は時々まぶしすぎて、地底人には直視するのがつらい。でもそこがまた好きなのだ。

昔を懐かしむ余裕もないし、あの頃はよかった、と思える時期もない。ブギーバックだってずぅーっと聴いてるからなんにも懐かしくない。

息子を産み、離婚するまで子育てを必死で頑張ったことくらいしか誇れることがない(もう1人の自分は十分でしょ!と言うが)それも途中で終わっているし、過去なんて振り返りたくもない。前科こそないものの、できることならメンインブラックのあの光る棒で消してほしい記憶のほうが圧倒的に多い。油断するとすぐ入院するし。動いてるより寝てる時間の方が圧倒的に多いナマケモノのような人生。

いまがいちばんしあわせというか、マシ。まだまだ人生あがりなんて思えない。何者かになろうという幻想からは抜けた気がするけれど、何もやり遂げられてない感が今もずっとある。なのに優先順位もつけらんないから仕事より婚活よりなぜか大喜利を頑張っちゃう。笑

側からみたらただの狂人に見えるかもしれない。そんな他人の目すらもはや気にならないほど体力気力の消耗も早く、なんかずっと疲れている。それがデフォルト。

そんなだから、朗らかに順風満帆に歳を重ねてきた人たちとはやはりどうしても相容れないものを感じてきた。大人としてちゃんと生きてる人たち。憧れるし尊敬もする。

でも実際には、ご本人には嫌がられそうだが、たとえば永野さんみたいな、どれだけ成功していても空虚な目をして世を恨み人を恨んでる(ように見える、ビジネスだとしても)人の方にどうしてもシンパシーや親近感を感じてしまう。笑

けれど。オザケンマジックはそんな
スネ子のわたしをも、やさしく包みこむ。

「ある光」という曲が始まる前の「この曲では好きにホイッスル吹いていいよ!」「ホイッソー!ホイッソ!ホイッソ!ホイッソ!ホイッソー!」「歌って!しぶやー!」という煽りで何かが弾けた。

どんなふうに歳を重ねてきたとか
何歳とか今がどんなんとか無関係に
そんなのなんでもいーから!吹け!歌え!
と言われた気がして

みんなで一斉に
ぴぃぃぃいーーーーーー!!!!と
大人気などまったく無く
ホイッスルを吹きまくり、

絶対に往年のファンしか歌えないような
マニアックな曲も台詞部分も皆で完璧に
大合唱してるうちに、

演奏者のひとりとしてこのライブを作ってるんだという、なぞの責任感や連帯感のようなものがムクムクと湧き出てきて、

ああ、ここにいる皆さんと
同じ時代に生まれてよかったな……

いま赤ちゃんや子供じゃなくてよかった。

今日この瞬間、45さいで
ここに来くることができてよかった。
ヘンテコな凸凹人生でも、死なないで
生きてきてよかった。

と心から思えた。

また、
「流動体について」に出てくる

並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしてるのかな?

流動体について/小沢健二


じゃないけど、
もし母と父がわたしの産後も札幌に戻らず
東京で暮らしていたら?
あのNHKホールのそばで育っていたら?

それはそれできっと全然ちがう人たちに
囲まれて、ちがう学校で、職場で
わくわくしただろうけど、

どのみちわたしはきっとオザケンや
パーフリやスチャダラやカジくんなど
渋谷系と呼ばれた音楽を大好きになって、

どの世界線でも、今日、
このNHKホールに来ていた気がした。

それってなんかすごくすてきだ。
どの世界線にもオザケンがいる安心感。
すべての世界線への、肯定。

小沢くんとオザケンファンの皆さんへ

※ここから急に手紙調に変わります
※こんな長文書いたの久々すぎてわけわかんなくなってきた笑


さいごのアンコールでは

無限の海は広く深く
でもそれほどの怖さはない

流動体について/小沢健二


のところでみんなが歌ってくれると
どうしてもグッときてしまう、と
涙で声を詰まらせていた小沢くん。

何度も繰り返して歌っていましたね。

小沢くんもまわりもわたしも、
歳とって涙腺ゆるんでるもんだから
みんなして泣いたのもなんだか可笑しくて
良き思い出となりました。


小沢くん。
そしてオザケンファンの皆さん。

わたしたち、みんなで歳とったんですね。
みんなで歳とるって
なんだか楽しくていいね。笑

そんなふうに思わせてくれる
すてきな時間と空間を
ありがとうございました。

いつか誰もが 花を愛し歌を歌い
返事じゃない言葉をしゃべりだすのなら
何千回もの なだらかに過ぎた季節が
ぼくにとても いとおしく思えてくる

天使たちのシーン/小沢健二

まさにこれでした。

たくさん引用してしまってごめんなさい。
私の拙い語彙力よりも
小沢くんの表現のほうがあまりにも
ドンピシャで伝わりやすいもんでつい。

彗星のラスサビを皆で大合唱したあと
ひとり静寂の中、アカペラ?で
しっかり、しっとりともう一度
歌ってくれたのも
すごく嬉しかったし良かった。

合唱も楽しいけどあそこは
しっかりと聴きたかった部分でもあったので

やぁあん!わかってるぅぅ!!さすが!!
と唸った(えらそうにすみません)。

何度も同じ曲や強調したいフレーズを
まだやるんかーーい!!!笑
というくらい、あきれるほどのしつこさで
繰り返すのは昔からだけど、

小沢くんの今いちばん歌いたい、
あるいは伝えたい部分はここなのね!

というのがわかるし、
くり返すことで更に
言葉のパワーが増していくのが
いつもすごく好きです。

さて。次は武道館!
愛すべきオザケン仲間が
見事に当ててくれたおかげで
行けることになりました。

「たたかいに、もどろう」


いつもの締めの言葉「生活にもどろう」
より、わたしにはすごくしっくりきました。

それまでまた
撃沈する日も、ネガティヴIKKOが
迫り来る日もあるでしょうが、
この日の気持ちを思い出しながら
武道館でまた離脱ぅー!する日まで
生活とたたかいます。

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