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第42試合「品格」

期間が開いたが、前回の続きを書こうと思う。
前回は「横綱の品格」について書いた。
要約すると「相撲は格闘技だと思っている白鵬に横綱の品格と言う暗黙の了解を押し付けても分かる訳がない」と言う事である。
ただ、それじゃあ仕方ないね~。とは言わない。それ込みで大相撲なのだ。では、どうしたら良いか?

対策としては
1.暗黙の了解ではなくルール化する
2.横綱だけでなく全力士に適応する
3.力士全てに暗黙の了解をしっかり落とし込む

まずルール化の件だが、バーリトゥドゥであってもルールは存在する。
だから大相撲でも全てルール化すればいい。
ただし、大相撲を神聖なる国技と捉えている日本人には酷かもしれない。
ましてやこれを推すと大相撲協会の法人化が取り消しになる可能性がある。
格闘技化する事で利益団体と捉えられるかもしれないからである。
そうなったら大相撲を運営出来なくなる。

次に挙げたのが、横綱だけだから不公平になると言う観点からである。
ならばロードレースの様に全力士共通のものにすれば誰も不平はない。
ただ、これを行うと小兵の力士が不利になっていくのが目に見える。
大相撲のジュラシック化は免れないし、日本人力士の減少もありうる。

最後は横綱だからではなく大相撲に関わる全ての力士に教える事である。
品格について表に出てきたのは朝青龍が横綱になった辺りだと思う。
だが、朝青龍より前にも外国人横綱はいた。そう、曙と武蔵丸だ。
この2横綱に関しては全く品格に欠ける話は出てこなかった。
朝青龍と何が違ったのだろうか?そのカギとなるのは高見山である。

マウイ島で生まれ育った高見山にとって日本はシベリア並みの厳しさであった。稽古もそうだし、食事も慣れずに困っていたという。
そんな外国人の高見山が日本人に愛されたのは「日本人」だったからである。
高砂親方から日本人の心を教え込まれ、それを体現した高見山は外国人でありながら日本人であった。
そんな高見山が引退して東関親方を襲名した後、小錦・曙を育て上げた。
高砂親方から受け継いだ日本人の心を教え込んだ結果、小錦も曙も成長したのである。
2020年に行われた「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の席でも「国際化を進める上でも、国技であることを忘れてはいけない」と発言し、相撲は格闘技ではなく国技だと訴えた。

今回の品格に関して調べて行く内に、前にブログで書いた若手の話が頭に浮かんだ。
どんなに能力が有っても、心までは成長できない。
やはり心を育てるのは上に立つ者が必要なのだ。
朝青龍以降、協会が人気低迷の打開策として大相撲のショー化を推していき、国技に必要な心を教える時間を割いた結果が白鵬の件に繋がるのかもしれない。
つまり、大相撲協会が手を抜いた結果を白鵬に押し付けている様なものである。
この先も大相撲の国際化は続く。だからこそ再度「日本の心」を教える者が必要なのだ。

前のブログでもプロレス界は若手の人間育成が必要だと書いた。
形は違えど、後を託す若手の育成がその世界の未来を左右するのだ。
正直、興行や場所が盛り上がれば人間性なんて無駄なものだ。
だがその無駄こそが今、必要なのかもしれない。
角界もプロレス界も後世に素晴らしさを伝える為、今一度、無駄なモノを伝えるべきだ。

(敬称略)

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