元二世が思う「キリスト教」

※この記事はキリスト教を半分批判する目的で書いています。信者の方は多分悪魔の使いだなんだと言われると思いますが、二世の発言を尊重できない方が悪魔だと私は思います。


私がキリスト教で奪われた物

友情関係

特に最悪だった。親はよく仏教徒の友達の母親と喧嘩していた。友達と遊ぶことは許可してくれていたが、私が友達の家に遊びに行った時、私が仏壇に興味を持ったことで二度と遊びに行くことを許可してくれなかった。小学5年生くらいの時だった。中学生になると、私はいじめを受けた。キリスト教信者であることに加え、携帯すら持たせてもらえなかった、更には友達と遊ぶことを許可してくれなかったことで、どんどん孤立していった。しかし教会には友達がいる。私はそのせいでどんどん教会に依存していった。

思想

私は自分の性格がはっきり言って嫌いである。周りの人を信用出来ないし、自信が無い癖に見栄っ張りで、何でも否定から入る。最低の性格だと思う。こんな俺でも元々は誰かのために、とか周りの人は全員優しいなんて思えてた時期もあった。それが「キリスト教」というカルト集団である事を悟った時、私は自分以外の人を信用することが怖い。そして、まだ思想が神中心の部分がある。神を否定する言葉を聞くと、反発心が起こる。進化論を聞くと創造論を唱えたくなる。まだ私は神を信じているというのか。あのカルト教を。

実らぬ恋

私は告白したことはあるが付き合ったことは無い。告白はただ好きだと言い、でも付き合えないという謎の告白だ。誰も得をしない告白だ。なぜそんな告白をしなければならないのか。キリスト教の教えでは、信者以外の者と恋愛関係を持つことを禁じているからだ。本当に好きな人、愛したい人が悪魔の手下であると考えなければならない。私は何をすれば良かったのだろうか。誰か本当に教えて欲しい。過ぎた時間は元に戻せない。諦めきれず、キリスト教をぬけた時に告白しようかと思ったが、もう私は19歳だ。付き合おうなんて容易く言える年齢では無くなってしまったし、自分の性格が嫌いになった以上告白する自信なんてもうない。

悲観・極度の自己主義

どんな人間であれ、最先端技術をどれだけ使用しても人はいつかは死ぬ。仕方の無いことだ。キリスト教を始め宗教とは、「死んだ後こうなる」ということを教える物だ。死んだ後に後悔しないようにと宗教では様々な教えを解く。そして布教活動を行う。キリスト教は神を信じなければ地獄、信じれば天国へ行けると言う非常に尖った宗教である。そう。キリスト教を信仰しなければ地獄へ行くということを生まれた時から永遠と教え込まれる。根拠などもちろんない。彼らの言い分は、「聖書に書いてあるから」「人は死ぬことを恐れるから」ということだ。人の人生を左右するのにあまりにも根拠が薄すぎる。ふざけている。人が死ぬことを恐れるのは死後の世界についてではない。今ある環境を手放したくないからだ。だから今ある環境をいつでも手放せる高齢者は早く死にたいと言うし、さっさと手放したいと思うから自殺者が出るのだ。
何をやっても必ず死ぬ、どれだけ成功しても必ず死ぬ。だったら悪事を働こう、何をしても報われないんだから死のう。そんな考えになってもおかしくない。平気でそんな布教をできる神経とそれを規制していない法律に対して、私は非常に違和感を感じる。

18年という歳月

私は18年間、自分ではなく神のためにという思想で生きてきた。いざ抜けたらどういう思想が芽生えるか、私は18年間一体何をやってきたのだろう、と思う。私は来年就職するので、たった2年しか自分のための青春を謳歌できなかった。返してくれ。私の青春を。返してくれ。私の時間を。返してくれ。私の人生を。

キリスト教で得られるものとは

極論、無い。(信者本人談)

キリスト教で得たものは全て神からの恵みであるというふざけた思想が当たり前である。
そう。つまり得られるものは神の恵み。自分自身何かを身につけたりする、「自分の物」は無いということになる。

神の恵み?

布教活動で自信が無い時、神に祈れば力を与えられるという謎の効果が得られるらしい。学校の進路選択、金銭など最低限必要なものは与えてくれるらしい。しかし私が知る限りほとんどの信者は借金をしている。なんなら教会自信が借金をしている。与えられるとは?矛盾もいい所である。

自分でも、他者でもなく、神。

唯一得られるものと言えば自己肯定感が高くてウザイ奴が自己ではなく神を肯定できるようになることだろう。まぁ最初のうちだけですぐ自己肯定に変わるから一瞬だけのようだ。

私は酷い人ですか?

神も、親も否定したい。

私は親の思想を否定したい。しかし親いわく「私の思想は神のものだ」という理論らしく、すなわち神を否定することは親の存在を否定することになるそうだ。
親の存在を否定するのは子供として最低だと言われる。逆を返せば我慢してキリスト教に入っておけという理論となる。
我々元二世が親を大切に出来ないのは、これまでの人生を奪われたからでない。親が神と一心同体だという理論を信じているからこそ、存在を否定せざるを得ないのだ。
私は、酷い人間ですか?
そうですか。

宗教は否定するが、死後については知らない。

特にキリスト教の場合、否定すると「じゃああんたは死にゆく人に希望を与えられるのか」という意見である。無理だ。なぜなら私は答えを知らないからだ。彼らは自分の教えが本当だと心から信じているから、真実だと言えてしまう。私は否定はするが希望を与えることはできない。
私は酷い人ですか?
そうですか。

親を泣かせた

私の母親は、私を妊娠している時にひどいつわりを患ったそうだ。その中で、「この子が神を信じないならこの子を殺してくれ」と本気で祈ったらしい。今私がしていることは、、、
私は酷い人ですか?
そうですか。

なぜ宗教から抜け出せたのか

自分のために生きることについて知った

高校時代、私は初めてアニメを見た。漫画を読んだ。図書室においてあったので、幸いにも読むことができるようになっていたからだ。
暗殺教室、俺ガイルなど色々と読んだ。彼らは充実していなかったものに自分で行動して付加価値を付けていったのだ。
かっこいいものもあるし、面白いのもある。時には卑怯なものもある。それを含め自分のために生きることに素晴らしさを見いだせたのかもしれない。

色々恵まれた

大学に入り、友達が増えた。しっかりと理解しようとしてくれる友達ばかりだった。そして、一番はDiscordサーバーの成長である。もう2000人を超えようとしているDiscordサーバーは、私の意に反して大きく成長を遂げた。キリスト教の教えで、ぶどうの木というたとえがある。キリストが。「わたしはぶどうの木であなたがたは枝だ。」「あなたがたが木から離れると、成長が止まる。そして落ちた木は拾ってもらえるが、そのうち捨てられる」という教えだった。そう、宗教を離れたら世間からも捨てられるのだ、という教えである。真っ赤な嘘であることが分かった。

キリスト教の教えは害悪そのもの

最後に、死んだ後天国にいけるという名目で釣るキリスト教の恐ろしい教えを紹介して締める。

信じれば天国、はい終わりなんてもんじゃない

「信じなさい。以上!」まだこれなら理解できるし、リスクもない。しかし、それでは終わらない。当たり前だ。金を取りたいのだから。

布教はほぼ強制

信者は布教を強いられる。チラシを配ったり、訪問したり、挙げ句の果て親戚の葬式で自分の宗教について語り出すことまで肯定される。拒否はできるが、信仰的でないと牧師から注意を受ける上、除名処分なんてこともある。
大雨の中でもチラシを配らせられるし、片道3時間かかる土地に行かされることもある。もちろん給与なんて出ないし、なんなら高速とガソリン代を請求してくる始末だ。では対価はなんだろうか。「死んだ後神から褒美をもらえる」とぬかされる。当時は何も考えていなかったが、今となってはどれだけ頭がおかしいか分かる。

狂っている。

「日曜日は無理してでも礼拝を優先せよ」「体を壊しても布教をせよ」嘘であって欲しいが、本当に教えられているのである。死んだ後肉体はどうせ残らないから、体を壊しても布教をしろと言われる。頭がおかしい。
大学受験を諦めて毎週ある日曜日の礼拝に行くバカもいるし、日曜日だけでは飽き足らず土曜日水曜日も学び会という名目で仕事終わりのへとへとの体で説法を聞かされる。もはや拷問だ。

死後については考えるが、今の環境については考えない。

第二コリントの5章13節にこう書かれている。
「もしわたしたちが気が狂っているなら、それは神のためであり、気が確かなのであれば、それはあなたがたのためです。」
神のためにという思想であるが故、気が狂っていることが正常であるという教えになる。死語については考えるが、今の環境について考えるな。という非常にふざけた教えである。

キリスト教の教えはかなりひどい

食事に関して制限はないが、各々の行動はかなり制限がある上、非常にふざけた教えもまかり通る。宗派によっても異なるが、ここでは私が通っていた所の教えを掲載する。

  • 子は体罰を与えて教育せよ。(箴言13章24節)

  • 同性愛をするな。同性愛は汚れている。(ローマ1章26~27節)

  • 酒を飲んでも構わないが、酔うな。(エペソ5章18節)

  • 世の中はクズ人間しかいない。(ローマ1章29節~31節)

  • 結婚前は絶対に性行為をするな。(ローマ1章29節)

  • 結婚後は絶対に性行為をしろ。(ヘブル13章4節)

  • 子供は絶対に産め。(テモテ第一2章15節)

  • 男性は、布教活動に身が入っているなら結婚するな。(だるいので省略)

  • 男性は、布教活動に身が入らないなら熱心な信者と結婚しろ。

  • 女性は、布教活動はしていいが信者の男性に口出しするな。

  • 復讐を絶対にするな。

  • 異なる宗派の人間は救いようがないので挨拶すらするな。

  • お前らは何もできないゴミ人間だから救われたんだ。感謝しろ。

  • 神に逆らう者は国であろうとなんであろうと反発し、命を捨てても布教せよ。

私の思想に神が入っている以上、私はこの思想を切っても切れないのだ。これ以上被害者が出ないことを心から願う。安易に宗教に入ると痛い目を見るのはあなただけではない。しっかりと覚えておいて欲しい。

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