映画「エレファント」感想 銃撃事件と高校生たちの「我々」意識

アメリカの高校で実際に起こった銃撃事件を基にした映画。

この事件について調べてみたが、加害者の二人はいじめに遭っており、その対抗としてグループを結成していたらしい。

登場人物のなかには、ただ楽しそうな生徒も、楽しそうに見えて問題を抱えている生徒も、ただ辛そうな生徒もいる。他人に露骨な悪意を向ける者もいれば、友達とのおしゃべりのなかに悪意が滲む者もいる。いたって普通ではあるものの、それぞれのカットの長さと、登場人物に関する情報量の薄さゆえ、観る者があれこれ想像することになる。

犯行に及んだ二人と、他の登場人物の数人を通して伝えられていたのは、強い「我々」の意識だったのではないかと思う。グループのなかでは強い結びつきがあるが、その外の人間には「我々」の基準が当てはめられ評価される。それらはある種、自分たちとの差異を超えた他者への無関心であろう。

客観的な条件としても、主観的な動機としても、なぜ二人がこの事件を実行できたのかと疑問に思うシーンがあった。それはやはり(少なくとも映画のなかでは)彼らが集団として孤立していたことではないかと思う。彼らの行動に継続して目を向け、何かを察知できる者はほとんどいなかった。また、一人ではなく二人だったからこそ、特定個人ではなく「我々」ではない他者を無差別的に攻撃する願望や、大量殺人に及ぶほど猟奇的な意識を増幅させることになったのではないかと思う。

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