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ナタ! レジャー? ストリート!

 ナタが目前になった。原神最初期の足跡PVやセレベンツから名前だけは出ていて、しかしナタ出身のNPCは世界中探しても見つからず謎に包まれていた、あのナタが。戦争の国、炎神の国、モンドの反対側。原神で「最も遠い」国が。

 長いこと足跡PVのイアンサが唯一の考察材料で、その名の元ネタからモチーフはラテンアメリカだと予想されていた。あるいは広く取って南北アメリカ。スメールのちゃんぽん感をみるに「残り全部」まであろうか(事実アフリカ系の固有名詞も混じっているらしい)。

 そうした状態で、我々が従来想像していた「ナタ」は未開の蛮族社会のステレオタイプそのものだった。彼らはルーズな服を着ていて、獣の牙や羽で飾り付けていて、終わりのない戦争に明け暮れている。トーテムを彫り、焚き火を囲い、長く深い韻律の歌で氏族の伝説を語り伝えている。溶岩煮えたぎる火山の洞窟で剣を鍛えている……。

 ステレオタイプを思い出したところで、7月5日に訪れた衝撃を振り返ろうか。

 スポーティだぁーーーーーーーー!?

 全く思ってもいなかった方向から殴ってくる衝撃的なビジュアルだ。マップ全体の色遣いからしてポップで鮮やか。切り立った岩崖にはビビッドなストリートアート。それでいてトライバルな雰囲気も両立させている。スタレZZZと大型SFタイトルを立て続けにリリースしたHoyoverseの中でも一際キマったアートだ。ホヨバの最先端をとくと見よ。


トライバルとストリートの融合

 実はナタ情報が全くないという話はとっくに古く、フォンテーヌから1年かけてじっくりと新情報が公開されていた。筆者が画面酔いで水仙十字軍を断念しモチベを失っている間にもナタ情報は増えていたのだ。バイダ港(スメール雨林北部のクソしょぼい港)でもナタのステレオタイプを揺るがす興味深い言及があったらしい(知らなかった)。

 曰く『ストリートアートやら競技やら…流行りのものを好んで』いる。『最先端の衣装を着て』いる。原神世界の住人でさえステレオタイプを抱いていて、我々と同じように驚かされている。

服飾の現代性

 靴底に注目してほしい。ソールはゴム系の質感で深い切り欠きがあり、要するにスニーカーのそれだ。いわゆる中世ヨーロッパ風ファンタジーでは絶対に登場しないマテリアルだ。頭にはスポーツバイザーを付けている。

 そして重要なことに、この岩ロリの衣装は実用一辺倒ではない。上着を腰に巻いて長袖をなびかせるのは何の必要があってのことか。つまりファッションなのだ。見せる文脈で服を着ている。

 こちらは現代的な縫製のディティールを作り込んでいるのが一目瞭然のカット。生地の厚みまではっきり。明確に、意図的に現代性を取り入れたデザインになっている。

 こうした衣装は従来の原神世界観からは逸脱している。原神っぽくないという感覚は実に正しい。ではそこに見いだせる意図とは何か。ナタを語るにあたって絶対外せない何かだ。

 服装はカルチャーを直截的に説明している。ナタにあるのはステレオタイプな未開社会ではない。あるのはこの衣装に相応しいストリートの文化なのだ。

 彼らを見てから改めて足跡PVのイアンサを振り返ると、衣装の見え方が以前とはまるで違っているはずだ。頭飾りや牙を繋いだネックレスにこそエスニックを感じるが、残りの大部分がもはや民族衣装には見えない。

六部族のグラフィティ

 ナタプレビュー動画で特に印象的なのは至る所に描かれたグラフィティだ。いわゆるトライバルなデザインではなく、都市で見られるような落書きめいた、インパクトのある書体の書き文字だ。

 そして部族毎に固有のスタイルでグラフィティを描いていることまで伺い知れる。ナタには六つの部族があり、プレビュー動画に登場したのは岩・水・草の三部族。順番に見てみよう。背景に注目。

 一枚目と三枚目の矢印を見比べるのが分かりやすいか。一枚目、岩部族のグラフィティはニ色でパッキリ、矢印はうるさいくらい跳ねている。それに対して三枚目、草部族の矢印は実直でシンプル。部族の性格の違いが見て取れる。

 部族が固有のグラフィティを持っている。土地の至るところにグラフィティを描く。ということはグラフィティで領有権を示しているわけだ。ナタが「戦争の国」であることを思い出すと、ここにはストリート文脈での「抗争」を連想せずにはいられない。グラフィティの上書きはご法度、喧嘩を売る行為だ。

 部族社会という概念にストリート文脈を混ぜて「戦争の国」を再定義しているのが全然なかった発想で、本当に面白い。

レジャー、余暇的であるということ

 もう一つ印象的なのが水少女のレジャーっぽさ。バルーンのサメに乗って水上を滑っていたり、川辺で釣りを楽しんでいたり。水タイプのジムリーダーっぽく見えるのも、こういった余暇的・アクティビティ的な性格からもたらされる感覚なのだろう。

 レジャーというワードはナタの印象をよく説明しているように見える。彼らの文化は生きること・戦うことに対して直接的ではない。文化の中心にあるのはむしろ無駄な、必要性にかられていない、誇示的な活動だ。それは競技であったり、流行りを追うことだったりする、というわけだ。


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