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お前らはカヤを誤解している。カヤジェネはある。

 時は最終編1章、いろいろあってカヤ防衛室長はカイザーPMCと結託して先生を拉致する。調子に乗ってたカイザーはついでにカヤも監禁、キヴォトスを手中に収めんとクーデターを決行したが、なんだかんだで脱出した先生にボコられて散る。儚くも先生の危機を演出できたのがハイライトだった。カヤはしれっと救出された。

 最終編での出番はこれで終わりかと思われたが、大団円後のエピローグで衝撃の再登場。

「寝首を掻くような人と再び手を、ねぇ……」
「凡人なら、ためらう判断でしょうね。」
「ですが、凡人ができないことを成し遂げてこそ「超人」ですので。」

「超人とは、そんな凡庸な人間と一線を画すものです――引き続きよろしくお願いしますね、ジェネラル。」

 エッッッッ!?

「クックックッ……流石だ。プレジデントが見込んだだけのことはある。」
「真の大人は、大義のために昨日の敵とも手を取るもの。」
「私はつまらん感情に振り回され、計画を台無しにするバカじゃあない。」

「では、これからも頼むよ。防衛室長。」

 あら^~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!

 懲りずに手を組む2人! お似合いのバカ! 脳のカップリングを司る回路がビンビンに刺激される! こいつらが足を引っ張り合いながらドタバタするところが見たい!

 この小物2人の関係性に言いしれぬ“良さ”を感じ、さらなる供給を求めてTwitterの海に飛び込んでみたのだが、どうも世間の反応は冷たい。荒野のような雰囲気だ。なんで?

 関係してそうなのはカヤへの評価だ。最終編1章でのあまりの小物っぷりに、底が浅い、救えない、もう味のしないヴィランという印象がついてしまったらしい。え~?

 たしかに最終編では、カヤはほとんど出オチみたいに「大人に搾取される子供」として消費されてしまった。「大人に搾取される子供」といえばブルアカの根本原理であって、既にお腹いっぱいのこの類型に抽象化されるというのは、ゴルコンダがベアトリーチェを侮辱するところのマクガフィンに成り下がることを意味する。「シナリオの導入にでてくるやつ」だ。

 舞台装置として人格が頭の片隅に追いやられてはカップリングも見出されない。ひどいはなし。

 ここで筆者、使命感に燃える。カヤはまだ味のするヴィランである。しゃぶり方を布教しなければ。

不知火カヤと「超人」「大人」

 まず誤解を解かなければならないのだが、カヤは大人になろうとして背伸びしている子供ではない。これだけ理解しておけば味がする。

 ジェネラルとのやりとりで、カヤは「超人」という、慎重に選ばれた、「大人」ではない単語を使っている。

「ですが、凡人ができないことを成し遂げてこそ「超人」ですので。」

 この「超人」ときいてニーチェの哲学に飛びついてはいけない。もちろん単なるすごいひとでもない。まず特定の個人に思い至るべきだ。

 連邦生徒会の文脈では、「超人」という言葉は連邦生徒会長そのひとを指す。

「でも、あなたが連邦生徒会長のような超人になれるわけではない。」」

 連邦生徒会長といえばアロナにクリソツ、ものすごく失踪中の、謎多き人物である。リンが連邦生徒会長に並々ならぬ感情を抱いているのはご存知の通りだが、ここでカヤが「超人」を強調することによって、同じくらいの矢印がカヤからも向けられていることが明らかになった。

 この矢印を理解すると、最終編1章でリンを追い落とそうと画策していたのも嫌な質感が出てくる。連邦生徒会はすごくドロドロ。

対「大人」というテーマ

 さておき、カヤは「超人」になろうと背伸びしているのがジェネラルとの会話から読み取れる。「超人」が指すのが連邦生徒会長ということは、結局は生徒の立場であって、「大人」ではない。すると、カヤにとってジェネラルとの付き合いは、「大人の真似事」ではない。あくまで「生徒と大人」の範疇ということになる。

 一度痛い目を見たのに再び手を組んでいるのだから、無知ゆえに騙されているわけでもない。「大人に搾取される子供」というブルーアーカイブの根本原理を知っていて、あえて「生徒と大人」として接している。

 カルバノグの兎編でのミヤコの台詞まで絡めてみるとまた味わい深い。「大人を信じない子供」という態度が提示されたストーリーの黒幕が「生徒と大人」に自覚的だとすれば示唆的なものがある。そういえばシャーレは連邦生徒会に生えた「大人の率いる組織」だね。

「……先生。私たちは、あなたのような大人が一番嫌いです。」

 そう、この関係性は並々ならぬのだ。最終編1章時点ではマクガフィンに過ぎなかった関係から、エピローグの短い会話によって生々しい「なんかありそう感」が滲み出てきたのだ。

 連邦生徒会長が未だ謎に包まれているから、推移的に、カヤの考える超人の在り方、生徒と超人と大人の関係、ひいてはカヤとジェネラルの関係性までもがミステリアスな空気を帯びている。ある意味今が一番香り高い。匂いを感じろ。

笑えるようなバカバカしさ

 そもそもカヤもジェネラルも抜けたところのある小物なのだ。いきなり「私は超人です」なんて言い出したカヤは文脈を知っていても滑稽なものだし、「私は(中略)バカじゃあない」構文で大敗を喫したジェネラルが同じこと言ってて笑わないのは無理だ。このバカさが愛おしい。

 大人の集団であるカイザーはいつでも生徒であるカヤを騙くらかすことができる。これは絶対的な力関係だ。「大人に搾取される子供」の根本原理は覆せない。

 ところが、そもそもカイザーPMCは生徒と比べて悲惨なほど弱い。監禁されたカヤを救出したのは私兵として動かしている超エリートFOX小隊だった。もう一回カヤが裏切られてもまたなんとかするだろう。なんとかなっちゃう。

 こうして生徒が詰まない「やりたいことをやってみる」「間違えたらやりなおせる」状況は、一周回ってブルアカが提示する笑えるような日常だ。腕力で悪い大人をはねのけるというと便利屋にも通ずるものがある。

「あ、アル様が、ちゃんと挨拶して…… し、しっかりと計算してくるようにって……だ、だから……。」

 カヤとジェネラルが仲良く協力している未来は見えない。お互い裏切る気満々なので当然なのだが、所詮小物の集まりだから、よほどの事がなければ深刻な事態にはならない。それまで仲良く喧嘩するシナリオフックを愛でていたいものだ。


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