第八回

テーマ「文章組手」3500文字 形式:小説

 瞬間、新井薬師駅から半径3kmが焦土と化した。土煙が晴れるまで5分は必要だった。その間に追撃すれば、ポンチャックマスター後藤の命を奪うことは道に咲くたんぽぽを踏みにじるよりも簡単だっただろう。
 あまなつ通り商店会、通称【あまなつ】が動かなかった理由は愛ではない。憐憫ではない。情けではない。生物としての本能、警戒からだった。初夏の粘る大気を消し飛ばす突風は地球意思がこの戦い、文章組手の結末を早く見せろと望んだからだ。あまなつは【天使】と呼ばれる所以でもある大きな羽を広げ、不浄な魂のように迫ってくる土煙を吹き飛ばす。うっすらとポンチャックマスター後藤の姿が見えた。主に防御に使われる太い一双の腕が見える。主に攻撃に使われる二双の腕は見当たらない。先程の爆発に耐えきれなかったのだろう。

「マスター、防御文章も使えるのですね」

 美しい絵画を目の当たりにした時にでる感嘆。それと同じ呼吸から生まれた言葉は本心だった。ここまで楽しませてくれるのか?ここまで本気を出させてくれるのか?傷一つ無い、完璧な調度品と同じ美しさを持つあまなつは、この後、血まみれになり、地面に這いつくばり、命乞いをする自分自身を想像した。想像の中の自分自身はヴェールに包まれたように不確定な形をしている。なぜなら想像でしか知らないからだ。あらゆる相手と文章組手を行ってきた。シェイクスピア、フロイト、始皇帝、シヴァ神。あらゆる相手を文章で屠ってきた。文章で生きていくと誓った生物ならば避けては通れないからだ。

「では、攻撃文章……テーマ!自己紹介!国立大学を卒業後、東証一部上場企業へ入社。激務と過労により双極性障害に罹患、通院・投薬しつつ勤務を続けるも、パワハラに遭い仕事をバックレて失踪のち退職。その後はフリーターを経て上京…」

 ポンチャックマスター後藤は笑みを隠しきれなかった。文章組手中の笑顔はブラフスマイルとも呼ばれ、対戦相手への挑発に使われる。そしてブラフスマイルを出した側は長くとも2分以内には物言わぬ肉塊、いや、全身が文字化し文天する。モニターを通して文章組手を観戦していたヘミングウェイは席を立った。自分がベットしたポンチャックマスター後藤の命が消えるのを確信したからだ。

「結末まで見たほうが……いや、読んだ方が良い。ポンチャックマスターは……ここからが強い」

 ヘミングウェイを止めたのは真っ赤なスーツでパイプを燻らせる人物。一本しかない腕には呪詛のように細かい入れ墨が彫られている。そう、紫式部だ。

「何を言っている?私は大損だ。プライベートビーチを売り払わなければならない。帰らせてもら……」

 ヘミングウェイは、笑顔が消えた紫式部が指差すモニターを見つめた。紫式部は文章組手500000033161681勝の記録がある文豪だ。そんな伝説が食い入るようにモニターを見ている。モニターを見てヘミングウェイは笑った。初めての射精に喜ぶ11歳児の笑顔。これ以上の快感が世界にあるのだと確信したあの時の顔。

「お前に賭けて良かったよ」

 ヘミングウェイが椅子に座り直した時、部屋から気配が消えていた。奴は直接見に行ったのだろう。それだけの力がこの組手にはある。

 ポンチャックマスター後藤は母親の顔を思い出していた。自らの文章で文天させてしまった母親を。それ以来、攻撃文章は封印していた。いや、通常文章すら封印していた。文章組手を挑まれた時は防御文章だけで切り抜けてきた。

「誰も受け止めてくれないんですよ。でも、それが正しいことやとわかってます」

 その時のポンチャックマスター後藤の顔に感情が込められていなかったと語るのはポンチャックマスター後藤の幼馴染、アントン・パブロヴィッチ・チェーホフだった。チェーホフと後藤はお互いに大阪府堺市出身。幼い時は共に石津川で鮒を釣るなどして遊んだ仲だ。

「後藤が文章に目覚めたのは母親が受精した瞬間さ。そう思える程の力だった。母親を文天させちまって2年後か……あいつはどこかに消えちまったんだ」

 ポンチャックマスター後藤は戦い続けていた。自分自身と戦い続けていた。多くの文筆家と文章組手を繰り広げていた。しかし、防御文章を繰り返すだけで一度も攻撃文章を行うことは無かったと公式記録に記されている。ポンチャックマスターの武器は猛禽類の足にも似た4本の腕だ。文章力の向上により肉体が変化するのは諸兄らもご存知だろう。そしてその身を守るのは厚い殻に覆われた蟹のような腕、全身を覆い尽くす鱗。もはや人間と呼ぶに躊躇する存在と化していた。

 文章による変容は文筆家の持つ「ジャンル」によって異なる。ではポンチャックマスター後藤のジャンルはとは何か?彼は隠している。肥大し続ける攻撃性、人に本音を届けたい思い、その全てを隠し、中間小説のジャンルであがき続けている。なぜ、彼は隠しているのだろうか。そして防御文章のみに留めるのか。ポンチャックマスター後藤の文章組手戦歴は150戦0勝。では150敗なのかと問われればそうではない。150戦すべて勝負付かずなのだ。
 テレビやyoutubeなどで配信される文章組手をご覧になったことがある方ならばご存知だろうが、文章組手は文筆家が文章力をぶつけ合う殺し合いである。スポーツや武道とは全く違う行動で構成されている。そして組手の終わりには、必ずどちらかが死んでいる。時には両者が死ぬこともあるが、それは文章組手という公営ギャンブルの花として容認されている。

「マスター、防御だけで切り抜けるのは無謀ですよ。ちゃんとやってくださいよ」

 あまなつの言葉は100%正しい。この組手を見ている人間全員の総意である。今現在もあまなつの攻撃文章がポンチャックマスター後藤の体を切り刻んでいる。あまなつの文章力から生まれた翼は優雅に空を舞う物ではないのだ。目の前の文筆家の命を刈り取る一振りの鎌なのだ。文字通り空気すら切り裂く羽がポンチャックマスターに襲いかかる。硬い鱗を纏うポンチャックマスター後藤はこの程度では倒せないことはあまなつも理解している。組手開始と共に発動した超攻撃文章「人生最後の旅に出る」を耐えたのだ。665454471212回行ってきた組手であれを耐えた文筆家は存在しない。まさか文豪レベルの使い手か?そんな一瞬の疑念が文章組手を作り上げる崇高な場に現れた。ブロードウェイ・ミュージカルに着飾った子供が闖入してしまったようなアクシデント。瞬間、ポンチャックマスター後藤はもう一度笑った。それに気がついたのはポンチャックマスター後藤自身のみ。人だけでなく、地球に存在する獣、微生物、機械、どれもが認識できない速度でポンチャックマスター後藤が動いていた。文章を溜めて、溜めて、溜めて、溜めて出す。母親を文天させてから溜め続けてきた。最初に文章を溜めはじめた時、俺は水中におった。薄ぼんやりとした水中で、俺の名を呼ぶ存在がおった。そして、光の世界に生まれ落ちた。それから数年後、母親が俺に文章行為をやってみろと言った。俺はやった。そしたら誰もいなくなった。堺という街が消えた。

「俺は家族と奈良公園に行ってたから消えたのは家だけだったよ。東大寺の近くだったかな。遠くに光の柱が見えたんだ。旅行に来ていた外国人がジーザスって言いながら光の柱に祈りを捧げていた。俺もよ、祈っちまったんだ。長く生きてるけど、本気で祈ったのはあの一回だけさ」

 チェーホフは昔話を語る老人のような口調でそう言った。

「俺はわかったんだよ。ポンチャックマスター後藤は、長文タイプだってことが。あれから45年だ。その間、ずっと文章を溜め続けていたならどうする?俺は幸運なんだよ。あの時は奈良公園、今はサンクトペテルブルクにいる。幸運を噛み締めたよ」

 ポンチャックマスターは宇宙に居た。太い防御用の腕がキャノン砲のように変容している。ひらがな、カタカナ、漢字、数字、アルファベットが地球に存在する水の総量を超え集まってくる。口を開くと、それらがポンチャックマスター後藤の体内に入り込み、腕の先端が光りはじめた。

「死ぬなよ」

 45年ぶりに現出した光の柱は、関東全域に存在する文明を消し去った。超高温でもない、超低温でもない、超質量でもない、これが、長文をこえる、超文。そしてあまなつへの弔文なのだ。

 関東で呼吸をしているのは文豪レベルの文筆家のみ。それも防御文章が間に合った「本物」の文豪だけだ。ポンチャックマスター後藤もそう感じながら新井薬師に再度降りる。鼻先をくすぐる存在を感じゆっくり目を開くと、白い羽がふわりと落ちていく。文章組手はまだはじまったばかりだ。

「あまなつ、防御文章も使えるんだな?」

 純文学、中間小説、私小説、ノンフィクション小説、エッセイ、論文、ミステリー、ホラー、ラブロマンス、ライトノベル、官能小説、SF、歴史、青春、児童、経済、政治、時代。

 多種ある文章がルール無しで戦った時、部数ではなく目突き金的ありの「文章組手」で戦った時、最強の文章は何か?今現在、最強の文章は決まっていない。

~次回掲載は未定です。掲載が決まり次第、紙面でお伝えします~

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