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風にもなれる

「ああ、学校、行きたくなーい」
 アキナは叫んだ。いや、叫ぶような口調だが、声は小さかった。
 となりで、ユイカが吹きだす。
「キナちゃん。ここ、学校だけど?」
 ふたりは登校したばかり。6年生のげた箱の前にいた。
「そうだよね、来ちゃったよね」
 アキナは恨めしそうに上ばきを落とし、蹴りこむようにつま先を入れた。
「どうしたの? キナちゃんは5月病?」
「5月に関係な……くないか。先月、PTA総会ってのがあったでしょ」
「キナちゃんのパパ、会長さんなんだよね? うちのお母さんがいってた、あいさつしたって。なんか、すごーくいい声で……」
「それ! それが問題!」
「え、どれ?」
「近所のおばさんにまで、『パパさんの声にみんなうっとりしてたんだってねぇ』とかニコニコされるし! ひどくない?」
「ひどくないよ。さすが親子だなって……」
 ユイカはそこで口をつぐんだ。アキナのしかめっ面に気づいたのだろう。
 ユイカの言いたいことは、アキナにも察しがついた。
 この小学校では毎年クラス替えがあるから、一学期は自己紹介から始まる。
 アキナは今年も胸を張って、「わたしは声優を目指します!」と宣言した。
「声優の魅力は、声の力で何にでもなれることです。夢は大きく! わたしは主役を演じたいです! 妖精と冒険するお姫さまや、正義の味方の仮面少女になりたいんです!」
 と、力説さえした。
 先生もクラスのみんなも感心したのか、無言で目を見張っていた。あっけにとられて、言葉が出なかっただけなんだろうか。
「パパの声がほめられるようになったら、『お父さんが声優なの?』っていわれたりするんだよ。パパなんて、家ではパソコンの前で黙って仕事してるだけなのに!」
 アキナのママは看護師だ。ママが出勤して、パパがお留守番。幼いころにそういったら、「おうちで仕事してるんだけどなぁ」とパパが苦笑いをした。留守番ではないことを、今ではアキナだって知っているけれど、仕事の内容はよくわからない。お客さまの情報だからね、といって、パソコンの画面をのぞかせてくれないからだ。
「わたし、主役になれない運命だったんだ」
「運命……?」
 ユイカはポカンとし、アキナはうなずいた。
「どうしてわたしが小さいころから『キナちゃん』って呼ばれてるか、知ってる?」
「かわいい呼び名だから?」
「イトコのお姉ちゃんが『アキ』って名前だからだよ。わたしたちのおばあちゃんがね、『アキちゃん』がふたりだとややこしいから、『アキナちゃんのことは、キナちゃんって呼ぼうかな』っていったせいなの」
「『キナちゃん』だと主役になれないの?」
「『アキ』はもういるから、あんたは『キナちゃん』ね、なんて、脇役っぽいじゃない」
「そうかなぁ?」
「ユイカも『イカちゃん』って呼ばれたら、わたしの気持ちがわかるよ」
「イカちゃん! 泳ぐのがうまそう!」
 ユイカはいつも前向きだ。前向きすぎて、アキナはたまに追いつけない気持ちになる。
 イトコのせいで呼び名が決まったとはいえ、そのイトコのことは嫌いじゃない。雑誌や動画を見せて、幼いアキナに声優について教えてくれたのも彼女なのだ。
『ほら、見て。あの役もこの役も、同じ声優さんが演じてるの。声優って、声の力で、冒険するお姫さまにも、正義の仮面少女にもなれる仕事なんだよ』と。
 以来あこがれて、力強い声が出せるように腹筋運動を欠かさないし、ハキハキ話せるように早口言葉の練習だってしているアキナなのだが……。
 夢は大きく! と声を張り上げたことが、今ごろになって、はずかしい。アキナはうつむき、上ばきに向けてつぶやいた。
「放送委員にもなれなかったし」
 昼の放送や運動会でのアナウンスを担当したかったのに……6年生なら最優先でマイクの前に座れるのに……「さすがね、アナウンスもうまいわ」といわれたかったのに……。
 図書委員になってしまったのだ。じゃんけんに負けて。
「本好きな子がなるべきだよ、図書委員は」
 ユイカみたいな子がね。
 心で付け足す。これは八つ当たり。アキナも自覚している。しっかり者のユイカは推薦され、先に学級委員に決まっていた。
「けさは、一年生の教室に行かなきゃいけないし」
 朝読の時間に、お母さんたちが絵本の読み聞かせをしにくることがある。今週は、図書委員も特別参加する。高学年の委員が順番に一年生の教室を訪ねて、本を読むのだ。
 図書委員になるつもりはなかった。本好きでもない。アキナはしかたなく、自分の部屋に残っている幼いころの絵本を選んできた。
「『3匹のこぶた』にした。お姫さまなんか出てこない話のほうがいいし」
 どうせ、なれないんだから。
「でも……『3匹のこぶた』の読み聞かせなんて、幼稚園みたいって思われるかな?」
 わらの家を作ったお兄さんのこぶたは、こぶたを食べようとするオオカミの息で家を吹き飛ばされる。木の家を作った二番目のこぶたも、オオカミに家を吹き飛ばされる。兄たちは、末っ子のこぶたが作ったレンガの家に逃げ込んでいく。
「力を合わせたこぶたの兄弟がオオカミを撃退する……そんな、何のひねりもない『3匹のこぶた』なんだよね、わたしの絵本」
 アキナの言葉に、ユイカは笑った。
「それでいいんだよ。ケンちゃんを思い出して。手足は生えてきたけど、まだしっぽがとれてないオタマジャクシって感じでしょ」
 ケンちゃんは一年生。ユイカの弟だ。
「オ、オタマジャクシ?」
「卒園して、まだ2か月だもん。やっと小学校に慣れてきたところだよ。そうだ、2か月ぶん小学生っぽく読んだらいいんだよ!」
 ユイカがアドバイスしてくれたけれど。
 2か月ぶん小学生っぽく……って、どんな読み方?
 アキナは、ぼうぜんとするばかりだった。
   ○
「そして、3匹のこぶたは、ずっとずっと、なかよく暮らしました。おしまい」
 そういってアキナが絵本を閉じると、教室が拍手でいっぱいになった。
 アキナは「あれ?」と顔をあげた。拍手の音が近いせいだ。それもそのはず。いつのまにか1年1組のみんなはアキナのもとににじり寄ってきていたのだった。
 教室の後ろの、机を寄せて作ったスペース。
 はじめ、1年生たちはそこに行儀よく並んで体操座りをしていた。今は、アキナを囲んで押しあいへしあいしている。ふと見ると、担任の先生も笑顔で手をたたいていた。
「もう一回、読んでー!」
 誰かがいい、みんなが口々に「もう一回」「もう一回」と騒ぎだした。ちょうど鳴りだしたチャイムがかきけされそうな声だった。
   ○
 その日の昼放課、一輪車に乗ろうと校庭に出たアキナを、ユイカが走って追ってきた。
「聞いたよ聞いたよ、キナちゃん! 読み聞かせ、盛り上がったんだってね!」
 1年1組にはユイカの弟、ケンちゃんがいるのだ。
「今ね、ケンちゃんが来て、教えてくれたの。『こぶたさん、かわいかった!』って。おうちが飛んだときは、ゴオオオ、ヒューッて音がしたし、オオカミがこわくて泣いちゃった子もいるんだって」
 アキナは、おずおずと確かめた。
「楽しんでもらえたのかな?」
「そうだよ! 熱演だったんだね!」
 答えようと口を開いたが、何もいわずに、アキナは首をかしげた。
 熱演したんだろうか?
 初めての読み聞かせで、夢中だったから記憶がない。絵本に書かれた文字を読み上げるだけで精一杯だった気がするのだ。
 でも、あの大きな拍手は覚えている。
「キナちゃんの声も、すてきだったんだと思うよ。お父さんから受け継いだんだもんね」
「声じゃない……」
 思わずつぶやいた。不思議そうな顔をするユイカに、迷いながらアキナはいった。
「受け継いでるとしたら……読み聞かせ」
 ママが夜勤のときは、パパがベッドの横でアキナに絵本を読んでくれた。こわい話ではおびえて泣き、笑い話のときは眠さが吹き飛ぶほど笑い転げた。
「絵本を読んでるうちに、パパの大熱演をまねしてたのかも」
「それで風の音まで出せるなんて、すごいよ」
 オオカミの息の音だけどね。
 そういおうとして、思い直した。
 ゴオオオ、ヒューッ!
 これは風の音。
 ユイカみたいに前向きに考えよう。
「イカちゃん」
「なあに?」
「わたし、声優を目指すことにした」
「ずっと前から知ってるよぅ」
 ユイカのゆかいそうな笑い声を聞きながら、アキナは心でつづけた。
 声優になります!
 声の力で、こぶたにも、オオカミにも、風にもなれるから。


(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2019年度5月号掲載)


このシリーズを書いていた当時、若い声優さんと知り合いました。彼女をモデルにさせていただきましたが……ごくごく一部を除いて、内容的には「創作」です。「フィクション」です。発表媒体的に「将来の夢」ネタは、けっこう書いた気がします。そうそう、次号もある意味、それです(予告?)。 

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