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海と川と時間と生命

ケニー金子さんとの対談を見て、もっと深く聞きたいことができたので、 高畑 将之 (Masayuki Takahata) ヤクさんと話した。
すごくおもしろかったので、忘れないようにメモ。

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そもそも、なんでヤクさんと話したかったかというと、
「フローを感じてリズムを合わせる」
という感覚が、どうも自分の日ごろ感じる川と海と違ってるように思ったから。

ケニーさんとの対談では、川についての話もあまり触れられていなかったのもある。
対談は、お互い同じくらいに知識や経験がないと、あまり深くは語り合えないから。

最近、物理学からみた時間についての本を読んだのも、理由のひとつでもある。
14歳のための時間論
時間は宇宙のはじまりと一緒で、ビッグバンからはじまり、拡張していく方向で流れる。
それって川と一緒じゃない?
川は、一方向へ流れ続けて、戻れない。
一旦バラバラになってしまったら、もう掴みなおすことができないところも。
一方、わたしの海のイメージは、水がひとところに集まって、漂っているようなかんじ。
だから「流れていく」感覚ではなかった。

雲から雨粒になった瞬間がビックバンだとすると、それが山頂から集まって川になる。
海へと流れる。
高いところから、低いところへ。
水の動きは一方向*だし、生から死へと向かうイメージも、すごく似ている。
(*一部、逆流したり湧き上がったりの動きはあるけれど、最終的には下流へと流れていくので、「一方向」とした)

ちなみに、生はビート。
リズムを刻むこと。
分子がみっちり詰まった状態から振動で粗密な状態ができて、波動が生まれる。
それが、リズムの始まり=生。
生はだんだんと、はっきりとしたリズムがなくなって、ランダム=死へと向かっていく。

海と川との関係はどんなかんじ?
そのモヤモヤを話したくて、ヤクさんと対話した。

***

わたしは、海は川と違って動いていないイメージ。
川は一方向へと流れる時間軸があるように思うんだけれど。
ヤクさん的に、海と川をどうとらえてるのかを訊いてみた。

話してわかったのが、そもそもの海のイメージがわたしとヤクさんとでは違っていた。
わたしは海を、湾内の水が動いていない静かな水辺をイメージしていた。
山育ちで、海での体験が少ないのもあるかもしれない。

それに対して、ヤクさんは海も大きく動いている感覚。
風もあるし、対流もあるし、潮流や潮の満ち引きもある。
だから、川と同じように常に動いていて一度離れた場所には戻れない。
川は、水が狭い範囲で動いているので、反応が早くてわかりやすいだけ、だと。

ヤクさん自身、海の上でも、川と同じように動いているところ、動きのあるところで楽しむことが多いので、余計、川と海と一緒に感じるのかもしれない。
離岸流をつかって沖に出られる場所で遊ぶのが好きだったり、
「ダウンウインド」という風に乗って風上から風下へ移動するツーリングもよくやるそうだ。

ちょっと話はそれるけれど、ヤクさんは今年の冬、ダウンウインドで相模湾横断したそうだ。
そのとき、遡っているような大変さがあった。
あとで調べてみたら、黒潮が大きく蛇行していた影響だった。
雪すら降らない暖冬だったからね。
地球の大きな変化を、ちっぽけな身体で感じられるのがパドルスポーツのいいところだね。

ちなみにヤクさんは、時間軸で考えても、その土地のもつ過去の記憶を感じられることもあって、けっして一方向ではない気がする。
(この感覚って川が地形によって逆流しているのと似てるのかな?)

***

川の始まりと終わりが、生命の成り立ちに似てるという話もした。
だからわたしは、海は死とか老いに近いイメージを持っているのかも。

そんなことを話したら、水辺に比べて山は疲れたらなかなか回復しない。
川や海にいると、運動しても疲れにくいし、回復も早いのに。
と、ヤクさん。

山や岩は、固まったまさしく死のイメージなのかも。
オーストラリアのエアーズロックなんかは、象徴的。
でもそれは、生命のスタート地点でもあるのかな?
昔のひとが大きな岩や山をご神体として拝んできたのも、終わる場所であり、始まりの場所だからなのかも。

それを考えると、多摩川のはじまりは御嶽神社の奥の院なのかもね、って話になった。
多摩川の生まれている場所。
実際はちがうのかもしれないけれど、古代のひとは御岳山に神社をつくり、その奥の山を遥拝してきた。

少々スピリチュアルな話になるんだけれど、わたしは神社は気のいいところと悪いところとがあるように思ってる。
巨岩神社が好きでよく巡るのだけれど、その違いをはっきりと感じる。
気のいいところは、岩や山が宇宙からのパワーを受け取る場所みたいなかんじがする。
反対にあまり居心地のよくない神社は、由来を知ると何かを閉じ込めたり、押しとどまらせるために建ったものが多い。
気のいい神社は、明るく開けていてすっきりするんだよね。

ヤクさんともそんな話もして。

コロラド川の源流に湖があって、そこはネイティブが川の始まるところとして大切にしている場所だってのも聞いた。
それって、諏訪大社に似てるな・・と聞きながら思った。
諏訪大社は、日本列島の南北と東西に走るフォッサマグナ(大地溝帯)がぶつかり合っているところで、そこに建っている。
だから古代のひとってすごいなー、と常々思っていたので。

***

そんな話をとめどなくして、気づいたら1時間半がたっていた。
時間と流れ、水と山、気の話などなど、ヤクさんとじゃないとできない対話だった。

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