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毒親との日々〜いろいろ小話〜

思い返すと、母の異常性は幼稚園の頃からあった。
全てに関わりたいからと、保護者会的なものの代表を立候補してやっていた。ここまではまだ良い。
私が驚いたのは、姉の幼稚園の行事全てについて行くのである。遠足、芋掘り、全てに。もちろん親は参加するものでは無いので、うちだけ。よく園側も許したな…と思うが、おそらくモンペだったんだろう。
幼い私を連れて参加する。姉の集合写真には私が写っている。先生や他の園児の親御さんはどう思っていたんだろうか…
大人になってなぜついて行ったのかきいてみると
「だって見たいじゃん」と。
見たいのはわかるけど…うん…言葉が出なかった。母にとってはなんにもおかしいことでは無いらしい。親が子供の行事を見たくてついて行くことは当たり前だと言わんばかりだった。
私の時についてきていたかどうかは覚えていない。

姉との扱いの格差は良く感じていた。
姉の同級生やその親とは関わりを持っていた。みんなで集まりご飯を食べたり、公民館を借りてパーティーをしたりしていた。
しかし私の同級生は名前すらあまり知らなかった。
私は近所に同級生が多く、その近所の人たちとの関係性が良くなかったので、それも関係しているのかもしれない。

姉が中学生になり部活が始まると応援に行くようになった。特に先輩が引退した後は、同じ部活の親同士連絡を取り、試合はもちろん練習試合でも差し入れを持って応援に行っていた。
私もいつも一緒に行っていたので、いつか自分もこうなるのかな、頑張らなきゃな、などと思っていた。
しかし私の時は全く来なかった。唯一中学最後の引退試合の時だけは来てくれた。

私は母からの愛情を感じたことがなかった。しかし母も姉も「姉は厳しくされていたが、お前は甘やかされて育った」と口を揃えて言う。
朝起きられない私のために、近くで働いていた母は私を起こすために1度帰ってきていたと。
歩いて帰れる距離の習い事、姉は迎えに来て貰えないことが多かったが私は迎えに来て貰えないことは少なかったと。
母は笑って「姉はブスだから大丈夫だけど、あんたは可愛いから攫われたら困るじゃん」と。姉も笑って「酷くない?」と。その場で取り繕った笑顔をしていたのは私だけだった。
姉は自分からもこういった話をして、母と笑い合い、茶化しながらありえないよね、などと話す。いつもの流れ、といった感じで。
仲がいいから話せる、茶化せる、私にはそう見えた。
私には母と姉とその関係性が無いので、どう対処していいのかわからなかった。反応に困ったし、合わせるので必死だった。彼女達と過ごす時間で、楽しいと思ったことは無い。楽しいフリは得意だったけど。

母が泣く私を見て笑うことはよくあった。幼い頃、こわがる私の頬を掃除機で吸って爆笑する。私は泣きながら必死で逃げる。その頃自分にとって高い場所だったソファーに登るが、もちろん大人にとっては逃げ場になどならない。泣きわめく私の頬を掃除機で吸う。何が面白いのか全く分からない。私は自分の子にこんなこと絶対にできない。

お前は唇が分厚い、たらこだ!と言われ、たまごっちのクチパッチのようなキャラクターを見ると、これはお前だ!似ている!などと言われバカにし笑われる。嫌だと言ってももちろん辞めてくれない。
みなさんはこのことから石原さとみさんや浜田雅功さんのような唇の厚さをを思い浮かべるだろうか?全くそんなことなく、むしろ平凡な唇だ。唇が分厚いと言われたことは無い。不思議だ。

またちょこちょこ思い出したら、書き溜めて投稿します✍️

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