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24年前

阪神間に生まれ育ったものとしてはやっぱり素通りできないと言いますか。

1995年1月17日午前5時46分。今でこそ「未憎悪の大震災」なんて形容されるけど、被災された方は口々に仰ってるけど「地震だと思わなかった」と。

1995年1月17日午前5時45分まで、阪神間に住む人がこれまで体験したことのある「地震」と1995年1月17日午前5時46分の「地震」はまったく別物で、あれが誰もがすぐに地震と認知できなかったほどの揺れ。

やれマンションが爆発したとか、飛行機が墜落したとか、ほんといろいろと形容される。僕は家のすぐ近くに大きな国道が走ってるから、ダンプかクレーン車か工事用車両が連なって走ってるのかなーくらいに思った。でも、その音がどんどん近づいてくるように大きくなって、、、明らかに車の音ではないとわかるほど大きな轟音になって、、、「なんだ!?」と思ったとたんに「ドンっ!!!!」と一瞬で下に落ちたような感覚。もうこの時点で何がなんだか。

近くに父方の祖母が住んでいて様子を見に行くために、車を出す。状況を知ろうと、車のラジオで地震速報が流れてる。ちょうど、ラジオ関西。スタジオは震源地にほど近い須磨にある。ありえないぐらい揺れ、建物も被害を受けていると思った。いくらプロのDJさんでも、原稿を読む声が明らかに震えている。そして、一向に読み終わらない各地の震度。。。そして僕の頭の中で今度は「みんな”地震”だと思ってるけど、違う。日本沈没だ!」訳のわからんことを思い始めて戦慄した。そう。もう訳のわからない状況だった。

実はこの2日前、僕は成人式を迎えた。

地元には大して友達はいなかったけど、スケートボードをしたりして、あちこちに友達がいたり、当時彼女がいたりで、神戸三宮で互いの成人式を祝い、どうでもいい話をして、ちょうど成人式の1月15日が日曜日だったことから翌1月16日(月)が振替休日で連休。また三宮で同じ友人たちと遊んで、仕事で関東から地元に帰って来た子は有休使ってもう1日神戸にいるからオールで遊ぶわーとか、僕は17日の朝から仕事だったんで、「いいなー」とかぶーたれながら、終電で帰宅。どこの誰でも感じたことのある「あー仕事やだなー」のあの感覚。で、大地震。あっという間に仕事がなくなった。幸い職場は無事だったんだけど、僕は電気がないとできない仕事だと痛感させられた。避難所でのボランティアで、被災者の散髪したげる理容師さんとか見て、如何に自分の仕事はあらゆる何かに支えられてできている仕事なんだと痛感した。あの日から24年。まったく想像していない時代になり、自分自身も想像していない自分になり、ただ仕事に関しては、立場も会社も何度か変わったけど、根っこはそんなに変わっていない。

嫌なことも本当にたくさんあって、「男40にして惑わず」なんて嘘っぱちでむしろもがきまくる40代を過ごしてるけど、やっぱり、せめてこの1月17日だけは、厳かな気持ちになり、今自分のいる場所、自分のできることをしっかりと立っているこの場所を見つめる日にしている。


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