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【あつ森】今後のアップデートでユーザーの意見はあまり通らない気がする話

どうも、あつ森はアップデートがあるまでしばらく距離を置いているごちたくです

現在『あつまれどうぶつの森』は日本国内のみで発売わずか4ヶ月ちょいで500万本を突破したのだそう。
しかもパッケージ版の発売本数がこれだというので、DL版を含めたらすでに650~750万本は売り上げを記録しているのではないのかな、と思います
※データ元↓↓↓

しかしながら推定数百万のユーザーがいるとなると称賛の意見ばかりではなく、改善を求める意見や批判意見が同等かそれ以上あることも見受けられます

今後、度々行われるであろうアップデートでいくつか改善されるのだろうと思いますが、あまりにも改善が施されてしまうとそれはそれでどうなのかな、と思うところ。

アップデートによって自分が感じる懸念として、2つあります

・便利すぎるゲームはあまりメリットがない(前編)

・完成品は話題性を萎縮させてしまう(後編。後日公開。)

今回は前編部分を語っていこうかと思います


・便利すぎるゲームはあまりメリットがない

便利に越したことはないが便利すぎるのも考えもの

現状のあつ森におけるプレイヤーの大まかな意見要望はこれだと思います。ツイートで少しまとめました

これは一月前にわざわざ独自のハッシュタグを付けてツイートした内容。最後はトレーダーの一人としての意見というか欲望が入っちゃってるのでそこは無視してもらっていいですよw

この他にも、プレイ開始時のしずえのアナウンス、エイブリルシスターズの試着室の仕様変更、既存施設、キャラの復活(マスターの「喫茶 はとの巣」)、つねきちやジョニーの訪問回数向上などがあるはず。

いくつかは早急に改善してほしいところではある。少なくともしずえさんにはもうちょい頑張ってもらって、来訪者の報告はしてほしい。。。(何か色々と矛盾してしまうからw)

そんなこんなで、意見要望の根幹を辿れば『効率化』に行き着くことがなんとなく分かると思うはず

便利になる=効率化だと思います

ググってもこういった記述は無かったけどね、、、

効率化はプレイヤーの満足度向上に直結します

ちょっと『コンビニ』『スマホ』の2つを例をあげますね

コンビニエンスストア(・・・convenience store)=便利な店と言うように、
24時間営業(最近は時短営業の動きもあるけど)なのはもちろん、食料品や飲料、酒、タバコ。雑誌や新聞、日用品やちょっとした下着。さらにはトイレやコピー機、公共料金の支払いなどなど。
便利過ぎる。地域によっては1km圏内に何店舗もあったりするし。

スマートフォンはLINEやTwitter、InstagramなどのSNSをはじめとして、ゲームやニュース、音楽の再生や道案内なども内蔵。
極めつけはGoogleやSafariなどの検索エンジンでお手軽何でも辞典。
度を超えたような便利さ。

自分たちはこのような便利に既に囲まれていることに慣れちゃってしまって、当たり前のように生活してます

これほどまでの便利に飽き足らずに、まだまだ便利さや効率化を求めるもの。

便利さや効率化を追求するのは申し分なし。行くとこまで行っちゃいましょう

しかしながら、ユーザーの意見要望を汲みまくって、全て効率化してしまうと『便利過ぎるゲーム』になってしまう。

良いことには変わりないけど、それはそれで弊害がアリアリ。
例えば、ユーザーの意見要望のハードルが高すぎてしまう=ユーザーと開発者のバランスが崩れてしまう、こととか。

『満足』にはゴールが無い

『満足』のキャパシティ(容量)は人それぞれ。
Aさんを満足させてもBさんは不満足かもしれない。答えが無いあまりにも抽象的な指標。

さっきも言ったように、コンビニやスマホが当たり前の状況下においても、まだまだ便利さや効率化を求めるもの。『満足』にはゴールがありません

到達点や着地点が無いと、無限ですね。青天井。

しかし、「満足を追求して何が悪いんだ!」と言う意見はごもっとも。俺も可能であればそうして欲しい。

でも、ユーザーの意見要望のハードルが高すぎてしまうことの懸念ポイントが2つ。ユーザーの権力が強くなり過ぎることで開発者が疲弊してしまうこと、開発者のハードルが高すぎて新しい開発者が生まれなくなるんじゃね?(これは多分杞憂)ということ。

サービスは良くて当然!品質は高いことが最低条件!

↑多くの人がこのような考え方に至ってしまうことは遅かれ早かれでは??

2つ目は次章にて解説。

ユーザーと開発者の理想は【50:50】で平等にあるべき

【50:50】←この数字はなんぞや?と言うと、片方がユーザーの満足値や意見要望値。もう片方が開発者側が提供したいサービス値。あくまでオリジナルの指標。

あくまで50:50は理想論であり、片方が60だったり40だったりならまだギリセーフ。こんなバランスを保つゲームやサービスはいくらでもありますよ

しかし、【80:20】や【100:0】のようなバランスが明らかに崩れている関係性になると陳腐化。ゲームで言うとクソゲー化。「支配」とも言える。

「満足」にはゴールが無いため、ユーザーは便利を知りすぎたり慣れすぎてしまうと満足しなくなってしまう

そうなると開発者の立場が辛くなって、開発やサービス提供の場を後にする人が出てきてもおかしくないんじゃないかなってね

ここは任天堂が会社設立から131年、ゲーム機の販売を行ってきた41年の歴史の中で痛いほど経験してきたことでは無いだろうか?と思ったり。
仮に任天堂が経験してなくても他社が経験しているはず。

※あくまで杞憂のつもりなので「ふーん」程度でお願いします

全ての人の意見を聞き入れるのは無理なので、【50:50】のバランスを保った少しばかり不便はあるものの、基本的には楽しいゲーミングライフを送っていきたいな

少しばかり不便が残ってた方が意外に良いかも

便利さや効率化が進むことに越したことはないけど、若干のユーザー側の理解や譲歩もあって良いんじゃないかな

個人的には、コロナウイルスが蔓延して数々の娯楽が失われたところに「あつまれ どうぶつの森」発売という救いの手。これだけでも感謝すべきだし、Nintendo Switchが手に入りにくい状況の中プレイできているだけでも大満足。

現状の満足値を認識するのを忘れずに楽しくスローライフを行なっていきたいね

まとめ

・便利に越したことはないが便利すぎるのも考えもの
・『満足』にはゴールが無い
・ユーザーと開発者の理想は【50:50】で平等にあるべき
・少しばかり不便が残ってた方が意外に良いかも

ちなみにここまで3000文字オーバー。前編だけで力作になってしまいました

後編は『話題性を継続させるための施策かも?』からスタート。

かなり真面目に書いたのでサポートしてくれたら嬉しいな〜

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