吉村さんちとオサムんち
連休最終日である。今日ぐらいはどこかに出かけようか思っていたが、今朝ぼんやりと洗濯機など回していると仕事のメールが入り、大した手間ではなかったので2時間ほど対応した。
どうせヒマでもんもんとしているのだから仕事をさせてやろうという心遣いか。ありがたいったらありゃしないもんである(ぶつくさ)。
というわけで、出鼻をくじかれたのでまたnoteを開いた。今日は、ちょっと前に吉村さんちに行ったのでそのことを書いて画像でも上げてみたいと思う。
吉村さんというのは作家の吉村昭で、私はファンを自称できるほど熱心な読者とはいえないのだけれど、「零式戦闘機」「戦艦武蔵」「熊嵐」「星への旅」等々、強く印象に残った小説がいくつもある。
先日、小説云々とか文学云々とはぜんぜん別方面の興味から、太平洋戦争中の潜水艦のことが知りたくなって久しぶりに彼の著作を読んだ。「深海の使者」という作品だ。
やっぱり「参ったな」と思った。他にも気になっている作品はあるので、これからもまた少しずつ読んでいきたいな、と反省し、あれこれ調べていると、井の頭公園のすぐそばに「三鷹市吉村昭書斎」という施設が今年開館していたことを知った。
ちなみに吉村昭関連の施設はすでに荒川区に「吉村昭記念文学館」というのがあって、なんとなくぶらぶらと出かけていったことがある。こちらにも仕事場/書斎が復元されており、三鷹では「あ、荒川区のやつとそっくりじゃん」なんて思ったが当たり前である。そっくりじゃないと困る。
ただ、三鷹市の方は実際の建物を移築してリノベーションしたものらしく、まあ、言ってみれば、ほぼほぼホンモノである。でも、さまざまな展示資料や解説の充実度では荒川区のほうが頼もしく感じられ、甲乙つけがたい。
なんでこんなことになっちゃってるのかというと、吉村さんが荒川区の出身で、後に三鷹に引っ越して晩年まで過ごした経緯がある。
ちなみに吉村さんは太宰治賞の初代受賞者でもあり(第1回目は受賞作がなく、第2回目の受賞者が吉村さんだったようだ)、その辺でも三鷹市との縁が深い。
せっかくなので、吉村さんの書斎を辞した後、オサムんちにも寄ってみることにした。オサムって誰だよ、なれなれしいな。
三鷹のオサムといえばあの人なわけだけれど、駅前のビルにある「三鷹市美術ギャラリー」には「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」という施設があって、彼の下連雀の住まいの一部が復元されている。
さすがに他にも部屋はあっただろうし、戦後は別に仕事部屋を借りたりしていたようだけれど、なんともつつましいスペースで意外な感じがした。若い駆け出しの頃ならまだしも、もう妻子もあっての住まいである。一昨年、友人につきあってしぶしぶ訪ねた津軽の斜陽館(私が青森旅行に行ったのはただ単に弘前で津軽三味線を聴きながら酒を飲みたかっただけなのだ)のインパクトがそれなりに強かったのでなおさら。
で、実をいうと私は太宰治にやや偏見があって食わず嫌いのようなところを抱えたままオトナになり、青春も遠く過ぎ去ったわけなのだけれど、ちょっと彼のことがかわいそうになったというか、きみもいろいろ大変だったなというか、好きになったというか、はじめてそんな気分になりました。
まあ、ミーハーなんだな。