見出し画像

ストーンズを聴こう!その3 “Under My Thumb”

アフターマスに収められたオリジナルはブライアンが演奏するマリンバが印象的だが、Live演奏されたものを聞いていくといろいろと面白い発見があった。

この曲のLiveバージョンと言えば”got LIVE if you want it!”と”Still Life”のものがすぐ頭に浮かぶが、どちらもシングルでもないこの曲をLiveの一発目に持ってくるのは何か訳があるに違いない。とはいえ、”got LIVE…”の方は実際には2曲目で1曲目に演奏された「黒くぬれ!」があまりの観客の興奮からレコードにすることができなかったと言われているが…。それでも81年全米ツアーはこの曲がオープニングナンバーだと知ると”got LIVE…”時代ひいては60年代への回帰なのか!?と興味を掻き立てられたものだ。

“got LIVE…”のはこれでもかと言う位スピードがあげられている。タイガースの例を持ち出すまでもなく若気の至りと言った赴きだがスピードアップすることでスタジオ版にはない魅力を出している。いわゆるスリーコードのロックンロール調ではない曲の成り立ちが、アップテンポになることでワイルドになったと言っていい。余談だが、先日、たまたまこの曲の元歌(と思われるもの)を友人のストーンズマニアの投稿で知り、聴いて、なるほど!と思ったのが、フォートップスのこの曲だ。
“It's the same old song Four Tops”(1965年7月発売のシングル)

https://m.youtube.com/watch?v=CkKJy4UaPHM

一方、過度ともいえるスピードアップした1966年ヴァージョンに対して、過剰なまでのスローなペースになったのが1969年全米ツアーのヴァージョンだ。軽快なところはまるでなく、所謂GROOVEを強調したものとなっている。もっとも69年の演奏はおしなべてゆったりとしたリズムでなされ、この曲ばかりでなく、似たような出来上がりとなった「アイム・フリー」やもっと明白には、「かわいいキャロル」や「リトル・クイニー」といったチャック・ベリー・ナンバーにそれが顕著である。初期にチャックの「トーキン・バウト・ユー」をスローなアレンジでやった彼らだが、69年のこれらは、単にスローにするだけでなくもっとソウル/ジャズ的な「大人っぽい」ノリを目指しているようだ。ブライアン・ジョーンズが抜けて、過去の俺たちとは違うんだぜ、とでも言いたげなアレンジである。

ところで、この劇的な変化はどこから来たのだろう?実はずっと前から引っかかっていたが、今回の調査でそのヒントを偶然見つけた。個人的に大きな収穫だ。すでにファンの間では知られたものかもしれないが、1969年6月7日にハイドパークで行われたフリーコンサートにおけるBlind Faithの演奏がまさにそれであった!
Blind Faith(69年6月7日ハイドパーク)
http://www.youtube.com/watch?v=VXasKYQnL6o

クラプトンの「ストーンズのナンバーを演奏するよ。アンダー・マイ・サムだ」という紹介からジンジャー・ベイカーのドラムが刻むリズムに乗って、ゆったりとスタートする。ジンジャー・ベイカーのドラムもスティーヴィー・ウィンウッドのオルガンもジャズっぽい雰囲気を感じさせるが、いまでいうフリー・ソウル的な心地よさを作り上げている。

では、それがどうやって69年のストーンズのヴァージョンになっていったかが興味あるところだ。

1969年ハイドパークと言えば7月5日のブライアン・ジョーンズ追悼コンサートがすぐ頭に浮かぶ。このストーンズのコンサートはTV放映され、DVDにもなっているが、そこではストーンズの演奏を観に来たポール・マッカートニーの姿がとらえられている。それと同じように、こちらも、ひょっとしてストーンズの誰かがこの演奏を観に来てて、インスパイアされたのではないか?と妄想した。

Blind Faithはこれがデビューギグであり、当時スーパーグループとして話題になっただけあって、一般の音楽ファンだけでなくプロのミュージシャンも観に行っても不思議はない。調べて行くと、ビンゴ!まず、当日の模様をのちに映像で観たファンが書いており、そこにミックがいたと証言している。
THE 60'S AS IT REALLY WAS: EXCELLENT TIME CAPSULE!
See all reviews by kebebosby: kebebos ( 438 )
“This film makes me misty-eyed at the loss of those days when a guy like Steve Winwood would move his own microphone stand from the RMI piano to the Hammond organ. ・・・(中略)・・・ You'll see Winwood sing "Under My Thumb" while Mick Jagger watches from the crowd.”

やはり、ミックが来ていた!

そして、さらに調べて行くと、マリアンヌ・フェイスフルと連れだって現場にいた姿を捉えた写真まであるではないか!これは動かぬ証拠である!
証拠写真
http://www.gettyimages.in/detail/news-photo/mick-jagger-and-marianne-faithfull-at-a-blind-faith-concert-news-photo/163741126

トラフィック時代から同じジミー・ミラーがプロデュースしていたこともあってストーンズとBlind Faithのメンバーは交友が盛んだったと推察されるが、それゆえ、事前の連絡などもあったと思われるし、さらに妄想を膨らませると、「アンダー・マイ・サム」を薦めたのはミック本人だったかもしれない。となると、友人であるミックは少なくとも彼らのリハーサルを観にスタジオに行ったかもしれないし、すでにそこでその曲を推薦していたかもしれない。このBlind Faith効果がこの曲にとどまらず、上述のチャックのナンバーにも応用したのも、ひょっとしたらBlind Faithがバディ・ホリーの”Well, Alright”を独自のアレンジでやっていることがヒントになったのではないだろうか?

69年の全米ツアーの模様は、映画「ギミー・シェルター」で観れるほか、いろいろなブートで確認できるが、この曲はその時々でアレンジを変えながら演奏されていて、ハイドパークのBlind Faithヴァージョンにもっとも近いのがオルタモントのヴァージョンだ。ここでミックは荒れた観客に対して、「喧嘩よりGROOVEに身を委ねてくれ」と言い、バンドはこの曲を緩いGROOVEにアレンジして演奏し始めるのだ。そしてあの悪夢の殺傷事件が起きてしまう。

このあとしばらくこの曲がライヴ演奏されることはないが、81年全米ツアーで復活した時はアフターマスのヴァージョンにきわめて近い軽快なアレンジで69年の悪夢はみじんも感じられなくなっていた。これも妄想だが、この曲の間に殺人が行われていることを映画の制作過程で知ったストーンズのメンバーはこの曲を封印したかったのだろう。しかし、ロン・ウッドもバンドになじんできて、パンク・ロックの嵐も過ぎ去ったあと再びロックンロール・バンドとして活動を始めた彼らが、あえてこの曲をオープニング・ナンバーに選んだことはまさに正解で、「明るい」ロックンロール・バンドとしてその後も長く活動できたのもそういう切り替えの賜物だったのかもしれない。

この曲は、その後もライヴ演奏されているが、ビルが去った後の演奏はなにか失ったものがあるようで物足りない。

ごとう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?