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ぴぃちゃんの話(1)

インコのぴぃちゃんは9歳と1ヶ月。うちにやって来たのは2015年1月。生まれたのは2014年の年末らしい。南大沢のペットショップで生まれたばかりなのに大きなお腹を上にしてひっくり返っていた。それを見た僕の妻と娘は、ほかのインコにいじめられているのではないかと勘違いして、一旦帰宅したものの、翌日、ペットショップに急行してぴぃちゃんを買い求めたという。だが、その実態は、虐められていたどころか、餌をたらふく食べて苦しくてひっくり返っていたというのがその真相だ。

小さい時から食い意地がはって、元気いっぱいだったぴいちゃん。身体も大きかった。黄色いセキセイインコ。雄だ。全身綺麗な、ちょっと蛍光色がかった黄色だ。ちょっと見ると黒い目は明るいところで近づいて見ると、赤い。

リビングに置いた鳥籠の中が自分の家だと知っていたが、一日一回は(時には2回も)部屋に出してあげると、自由に飛び回っていた。イタズラ好きで自分は強いと思っていたのか、自分より大きいヨウムのケージに飛び乗って挑発するもんだからヨウムはイライラしてぴぃちゃんの足を齧った。だからぴぃちゃんは足の指が少し足りない。痛かったと思うけど、なぜかもう一回挑発して、さらに指が少なくなった。それでもその後何回もケージに乗って挑発していた。ヨウムは外に出れないから、自由に飛び回るぴぃちゃんが羨ましかったのかも知れない。この黄色い小鳥めが・・・!と言う気持ちだったのかも知れない。ぴぃちゃんがケージに止まるたび、僕は大きな声で、ダメだよ、ぴぃちゃん!と怒鳴ってことなきを得ていたが、とてもハラハラさせるよ。冒険家なのか。挑発なのか。いや、単純にそばに行っただけなのかも知れない。

朝、かけてあるタオルを持ち上げて、おはよう、ぴぃちゃんというのが僕の日課になった。週末は仕事がないから、朝食後は、ぴぃちゃんを出してあげた。食卓に飛んできて、うんちをしたり、マグカップに乗ったりするから、食器を片付けて、ダイニングマットを裏返すと、それを見ていたぴぃちゃんはかごから出たくて、扉に張りつている。扉を開けると、ぴぃちゃんの体重が扉越しに感じられる。勢いよく飛び出して、さぁ今日はどこへ行こうか、まずはヨウムにちょっかいを出して、その後は台所へ飛んできて、水遊びをしたい、という顔をする。細く水を出して、水飲みで受けると落ちてくる水を人のように嘴を差し出して直接飲んだりもする。水飲みに入って軽く入浴したりもする。濡れそぼって、反対側のカーテン前の物干しに乗る。そこがぴぃちゃんの定位置だ。

そこでひとしきり囀ると、僕が食卓でスマホをいじっているとスマホに飛び乗ってくる。スマホを僕の目の位置に持ち上げてぴぃちゃんを同じ高さにしてあげる。そうすると僕がスマホをいじろうとすると僕の指を突っついて、やらせてくれない。そうやって面と向かって何か話した後、今度は僕の食卓で遊び始める。一時はワインボトルのコルクを目の前に立ててあげると、勢いよくそれをぶっ倒し、タイヤ転がしよろしくテーブルの端までコロコロして、しまいに突き落とす。コルクは転がる物だとわかっているわけだ。何個もコルクを立ててあげると端っこから順番に突き倒しては、転がして落っことす。時々、テーブルの端から床を見て、落ちたコルクにとどめを刺すが如く、床に降りてコルクを転がしたりしている。ぴぃちゃんの大好きな遊びだ。面白いもので、しばらくその遊びを毎日していたが、いつからか飽きてしまったのか、興味がなくなったのか、まったくしなくなった。

スマホといえば、テーブルに置いてある僕のスマホに乗って嘴をスマホで研いでいる。スマホがほんのりあったかいのか。暖かいところが原産だからね。その後、立つ鳥あとを濁さずどころか、うんちをして行く。それに気づかずにスマホをいじると、あっ、なんだこれ、とその瞬間すでに僕の指にはうんちがついている。ウグイスの糞で顔を洗うという話を聴いたことがあるから、まぁ、そんなに気にしなくてもいいのかも知れないが、やられた!と言う気分になる・・・。

機嫌のいい時はよく囀っている。なぜか「焼き鳥」なんて言葉を交えて喋っている。「楽しかったねぇ」とか、人が喋る言葉を捉えて似たような言葉を交えてあたかもしゃべっているように聞こえる。歳をとってくると、「出す」という言葉と「入る」という言葉はその意味も含めて覚えたらしく、「ぴぃちゃん出る?」という扉に張り付いて、「出せ!」というジェスチャーをするし、もういい加減お家に入ろうよ、というと自分から籠の扉(「発射台」と僕は呼んでいたが)に乗って今度はご飯ちょうだいというポーズをする。餌箱に餌を入れていると肩に乗ってきたり、餌を入れているスプーンから直接食べたりする。少しでも餌を足してあげないと籠に入らない。僕が餌を入れるのを、よく見ているのだ。

ぴぃちゃんにとって、籠の中にいるというのはどういう気持ちだったのだろう。自分で入るからそこが自分の家だということは知っていたのだろう。そこにいれば安全だと言うことも、まぁもっとも「安全」と言う概念を持っていればの話だが、知っていたのだろう。朝、タオルをあげてあげると、止まり木で思慮深い顔をしてリビングを見ている。鳥の記憶というものはあったのだろうか。一年前、いや、昨日はこうだったとか、覚えているのだろうか。家族の顔は覚えているみたいだから、そういう意味で記憶力はあるのだろう。一日中、籠の中で何を考えていたのだろう。過去の出来事や体験を覚えていないとしたら、今見ているものは今見ているもので、今聞こえているものは今聞こえているものでしかないし、そういうものなのだろうか。何かやらなければならないことがあるわけでもないし、気分がよければ籠の中のおもちゃを突っついたりしているが、それはどういう意味を持ってやっているのだろう。コルクを転がすと転がると知っていたことのほかに、コルクの鍋敷をコリコリやってコルクを崩すのが日課になったり、台所の水切りに溜まった水を飲んだり、ゴミ箱の蓋を突っついて、表面のプラスチックをほとんど剥がしてしまったり、昨日やったことを継続してやり続けるというのはあるからやはり過去の記憶はあるのだろう。

9年1ヶ月が過ぎたころ、今年の冬の急激な気温の降下が歳を重ねた身体には厳しかったのか、急に体調を崩して、床にうずくまるようになってしまった。去年まではこんなことはなかったのだが、やはり10年の壁は高いのだろうか。籠をパネルヒーターで暖めてあげて、一時は元気を取り戻して、囀ったり、部屋をとび回ったり、ライフワークとなった鍋敷攻略を再開していた。しかし、初夏のような異常気象の後、再び、急激な冷え込みを前にして、ついに力尽きたのか、2024年2月22日午前2時に息を引き取った。最後まであざやかな黄色い色が褪せることなく、静かに向こうの世界に行ってしまった。

こうしてぴぃちゃんの思い出を綴ってもとても書き足りない。そりゃそうだ。9年と1ヶ月の年月を1日残らず書き記すには9年と1ヶ月の歳月が必要じゃないか。去年ごろから、もう10年近い年齢だと思えば、毎朝、籠に掛けたタオルの中でかさこそ音がすると、ああ、今日も生きているんだなと僕は安心したものだ。籠から出ている時は、ぴぃちゃんがいろいろ邪魔をしてきた時もあって、もういい加減、籠に戻ってよ、と願う時もあったが、そんな迷惑すら愛おしいではないか。長い間、一緒に過ごせて楽しかったな。ありがとう。ぴぃちゃん。住人がいなくなった鳥籠の前を通る時、つい「ぴぃちゃん」といってしまう。今日もタオルの中でかさこそ音がして、籠から出してよ!と言ってるんじゃないかという気になるよ。

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