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ストーンズを聴こう!その2 ”Before They Make Me Run”

“Before They Make Me Run”が収録されたアルバム”Some Girls”の制作について、「キース・リチャーズ自伝・ライフ」の日本語版449ページにこう書いてある。

「実はパリに行くまで、俺はなんの準備もしていなかった。曲は全部スタジオで毎日書いたんだ」
「(スタジオは)車で通う場所だ。行き帰り、毎日のようにジャクソン・ブラウンの『ランニング・オン・エンプティ(孤独のランナー)』を聴いてたな」

ここでいうスタジオはパリのブローニュ・ビアンクールにあるPathe Marconiであり、時期は1978年1月から3月のことである。

“Before They Make Me Run”はその歌詞の内容と芯のある力強い演奏と曲調からキースのドラッグ常習癖との決別の歌と認識されている。もっとも歌詞にはグラム・パーソンズを示唆するものもあるとされている。

僕はこの曲を聴くと、いまだに”Some Girls”がニューミュージックマガジンでレビューされた際の「ザ・バンドを思わせる」という形容を思い出す。そう評したのがとうようさんだったか北中氏であったか忘れてしまったが、なるほど、ディスコやパンク・ロックを意識したアルバムの中にあって、案外いい表現だと思ったものだ。織り込まれて圧縮された何本ものギターの響きがそういうニュアンスを強調しているのだと思った。

今回の原稿を書くにあたって、この曲が出来た経緯を探っていたら、当然のように冒頭の記述に目が止まった。“Running On Empty”はもちろん知っているが、”Before They Make Me Run”との関係は考えたことも感じたこともなかった。

改めて調べてみると、”Running On Empty”のシングルとしてのリリースは1978年初頭となっている。

スタジオの行き帰りに車で聴いてたというのは、もちろんカーステレオで聴いていたのだろうし、1978年ではCDも登場していないからカセットテープかラジオで聴いてたのだろう。毎日聴いてたとなるとこの曲がリリースされてホットなヒット・シングルとして繰り返しラジオ・プレイされていたのであろう、と納得がいく。聴いてた場所がフランスであることを考えると、当時フランスでどの程度のヒットでありラジオとの親和性があったのかが気になるところだが、そこまでの情報は探せなかった。

一方で”Before They Make Me Run”は当初”Rotten Roll”と呼ばれていたとキース本人が語っているようだ。”Rotten Roll”というのは当然未発表曲で、ブートの世界では別名”Munich Hilton”というナンバーと言われている。この”Munich Hilton”はThe Rolling Stones Databaseによれば1977年に最初の録音が試みられている。この時はまインストであったようだ。そのあと、1979年にもスタジオで演奏された記録がある。

曲調はゆるやかな8ビートナンバーで”Before They Make Me Run”と似ているのは4度のコードからルートのコード(キーがCならFからC)へと展開される部分くらいで全体的にはそれほど似ているとは思えない。”Before They Make Me Run”はAメロのキーはC、コーラスはGではないかと思うが、F//Em//Cというところから始まり、コーラスはG//C//Dと鳴っているからそっくりそのままというわけでもない。ましておぼつかないヴォーカルが入ってくる1979年と思われるVersionを聴くと、この曲が別の曲へ変容していくように思える。もしこの曲が発展して”Before They Make Me Run”になったのだとしたら、そもそも正規版発売後になってまでいじくりまわしているのは不自然だ。

それでは”Running On Empty”はどうだろう?

この曲もAメロは4度からルートへ展開されて始まる。メロディや言葉の数もよく似ているものがある。そして全体のビート感というかテンポも「走っている」感じを出したいためかいわゆる「疾走感」というやつがある。

“Running On Empty”とは「ガス欠で走っている」と言う意味で、主人公は「孤独」を強調したいわけでもなければ「むなしく」走っているわけでもない。ツアーに明け暮れる毎日を送っている現在の生活が自分が17歳や21歳の時に思い描いていたものと違うのではないか?それでも走るしかないんだが・・・という内容で「ガス欠」というのを息切れみたいなものと掛けているように感じる。

キースはこの歌を聴いて、まず「走る」という単語にひっかかったのではないだろうか?この時期のキースは前年カナダで予想していなかった厳しい状況に追い込まれ、それでもドラッグはまだやめられなかったようだ。しかし、この1978年夏の全米ツアーを前にしてついにドラッグから脱出する。”Before They Make Me Run”はそんなドラッグ常習癖最後の時期にまさに自分の強い意思を表明するものとして書かれた。おもしろいのはキースはまず「走る」前に「歩く」ことをしたかったということだ。ここで、おまけ的に思い出すのはジョン・レノンの”Mother”の一節、「歩けなかったのに走ろうとしたんだ」というあの一節だ。また「走る」ということから1974年のヒットアルバムであるブルース・スプリングスティーンの”Born To Run”も連想する。

後年、ブルースがストーンズと共演していること、これはHall Of Fameイベントの副産物なのかもしれないが、キースはブルースにかなりの共通項や共感を感じているのではないか?これはかなりこじつけだが、この”Before They Make Me Run”を初めてLiveで演奏した1979年の彼のファッションはワイシャツにベスト。これはかなりスプリングスティーンの影響があるのではないかと僕は想像、いや妄想する。

かなり主題からそれてしまったようだが、話を”Munich Hilton(Rotten Roll)”との関係に戻したい。別の曲になっていったとしてもキース本人が初期はそう呼んでいたんだと発言していることを尊重すると、この曲はやはり”Before They Make Me Run”の元歌であったと思う。77年にすでに骨格が出来ていたのだが、まだはっきりした歌にはなっていない状態でキープしていたのだが、78年初頭にラジオからたびたび掛かるRunning On Emptyを聴いてスタジオでリハーサルを繰り返すうちに”Munich Hilton”をベースに”Before They Make Me Run”を仕上げたのではないだろうか。5日もスタジオに缶詰になって試行錯誤を繰り返し相当難産だったと書かれているが、たぶん”Running On Empty”の影響を受けつつも自分なりのリフを編み出し、オリジナル曲に仕上げるのが大変だったのではないだろうか?

そういえば、「ライフ」の記述でもう一つ気になるのが”Before They Make Me Run”はミックとのコラボレーションだったという点だ。これほどキース色が強いナンバーのどこにコラボの跡があるのかはまた少し考えてみたい。

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