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僕のギターはフェルナンデス・その3

3本目のフェルナンデスを買ったのはこんな理由からだ。

音楽祭がきっかけとなり、社内の音楽シーンが活発化して、何かと演奏の機会も増え、会社の帰りにスタジオに寄って練習して帰るということも多くなった。音楽祭を会社の肝入りでやってるくらいだから、ギターを提げて出社しても抵抗がなかったし、そのままロッカーにギターをしまい、帰りに取り出してスタジオに向かった。

その頃僕は結婚して、会社の近くに住んでいたが、それでも行き帰りにギターを担いで行くと言うのはちょっと面倒だった。適当なのを一本買って、ロッカーに置いとくか、と思い、買ったのがレスポール・ジュニア・ダブルカッタウェイ、Burnyブランドのフェルナンデス製だった。確か4万円くらいだった。

80年代初頭、ダブルカッタウェイのジュニアを弾く筆者

ピックアップ一つにヴォリュームとトーンが一つずつ、実にシンプルな作りだ。ネックはわりと幅広で、肩から下げるとボディーが小柄なせいか、ネックの方が下がってしまうようなバランスだ。黄色いTVモデルの方が見栄えは良いが、楽器屋にあったのがこのチェリーだったのだろう。この連載の第一回で、はじめて買うギターの候補にこのジュニアが入っていたことを書いたように、こういうシンプルでチープなモデルが好きだった。俗に言うスチューデント・モデルと言うジャンルで、フェンダーで言えば、マスタングやブロンコ、さらにパティ・スミスが弾いてたデュオソニックなどに憧れたものだ。余談になるが、TELEVISIONの写真を見た時からダンエレクトロに魅了され(とは言ってもリチャード・ヘルが弾いていたのはベースであったが)、ずっと探して、21世紀になって、お茶の水を歩いていたら、目の前に入荷したばかりのダンエレクトロがずらっと並んでいるのに出くわし、翌日買いに行ったものだ。「チープなギターでいい曲を書く」と言うのが僕のモットーだ。

さて、ジュニアである。ゴトー&カメレオンズのデビューライヴの写真を見ると、僕はジュニアを弾いている。しかし、前回載せた象徴的な初期のゴトー&カメレオンズの写真はエスクワイヤーなので、おそらく、曲調やらバンドのイメージを考えるとエスクワイヤーがよりマッチしていたからそっちをメインにしていたのだと思う。

息子が生まれ、バンド活動を休止した僕は、その後仕事でベルギーに赴任となり、途中の一時帰国を挟んで、再び日本に帰って来たのは、2001年の9月だった。帰国してしばらくバンドはやっていなかったが、2004年になって、まだ音楽祭が続いていることを知り、17年ぶりに出演してみるか、と若い同僚に声をかけ、ステージに復帰した。その時のギターにはエスクワイヤーではなく、ジュニアを選び、バンド名も屋号である「ゴトー&カメレオンズ」とした。ずっと音楽をやり続けている赴任前からの顔見知りも多く参加していて、嬉しい再会でもあった。何日かして、昼休みにステージの動画を観ていたら、後ろを通りかかった部長が「ローリング・ストーンズみてえだなぁ!」と笑いながら放言していったが、演奏が、ではなく、当時50歳を超えてバンドをやっていることに対してのコメントであることは明らかだった。

その後、ゴトー&カメレオンズはメンバーを変えながら、続いて行ったのだが、その長い活動の中で、さすがにレス・ポールをライヴで使うことはなかったが、エスクワイヤーやジュニアで演奏することは、ままあった。

2018年にゴトー&カメレオンズでジュニアを弾く筆者

会社の先輩で「そろそろ、どう?ギブソン・・・」と僕に耳打ちしてくる人もいたが、これまでに買ったギターで一番高価なのが最初のフェルナンデスで65,000円。今やギブソンやフェンダーもあの頃に比べると随分と手に入りやすくなったと思う。またその1に書いたように、中古市場で往年のヴィンテージ・モデルを選ぶ人も普通にいるようだ。そんな中、突然悲しいニュースが伝えられ、僕の3本のフェルナンデスにまつわる話を書きたくなった。読んで頂き、どうもありがとう!

終わり



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