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Dolphin Saneリスニングメモ(初稿2)

アルバム2曲目「ミカン」について書く前に、このアルバムのタイトル”Dolphin Sane”の意味を勝手に深読みしてみよう。

英語だと思って普通に考えてみると、「Dolphin=いるか」、「Sane=正気の」と言うことになるが、それではなんのことだかまったくわからない。ここで思い出すのがDavid Bowieの”Aladdin Sane”だ。「アラジン・セイン」、実は分解してみると”A lad in sane”つまり、「気のふれた若いの」となるんだと言うのを以前、何かで読んで、「ああ、なるほど・・・!」と嬉しくなったことがある。この”Dolphin Sane”は分解してもそのような隠れた意味はないようだが、「アラジン」を「ドルフィン」に替えて単純にボウイのアルバムタイトルからヒントを得たのかも知れない。

もう一つ、「いるか」といえば、古くからのGLIDERファンには思い出すものがある。今でこそ「本庄にStudio DIGあり」なのだが、その昔(笑)、彼らが「でいとりっぱー」と名乗っていた頃、彼らの本拠地といえば「いるかスタジオ」だった。普通の家の離れを改造したプライヴェイトなスタジオで、ドラムを初めアンプ類も揃っていて、彼らはそこで毎週日曜夜に練習を積んでいたのだ。GLIDERと改名してからも、そこで録音したCD-Rをリリースしたこともある。

そんなこともあって、「いるか」は将治にとっては特別な存在なのではないか、と推測する。

アルバムジャケット写真を眺めてみよう。想像を逞しくするまでもなく、手前の花を「いるか」に見立てた場合、奥に佇む将治が、これから餌を撒く調教師・・・そんな風景に見えてこないだろうか・・・。

さて、前置きはこのくらいにして、2曲目の「ミカン」である。この曲は先日Studio KiKiでのLive動画配信のひとつとして公開されたのでご覧になったファンも多いと思う。その動画と並行して、暗闇でインスタライヴをやっていて、偶然見た僕は何が起こったのかまったくわからず、iPhoneの画面を通して、ぼんやり見えるDIGにいると思われる将治の喋りを聞いていると、この曲を弾き語りしたのを見ることができた。深夜と言うこともあり、スローなアレンジで、ちょうど発表されたスタジオライヴとはまったく異なるアレンジだった。そんな楽曲に対して、タイトルの「ミカン」とは・・・?歌詞のどこにもいわゆるオレンジの蜜柑が出てこないし、それを思わせるヒントすらない。

ミカン、みかん、未完・・・未完成・・・もしかして、この曲は未完成のままと言う意味が隠されているのかもしれない。この種の言葉遊びで最初に面白いなと思ったのが、Dark II Rhythmに入っている「関越シャドウ」だ。これは関越とシャドウ(影)と言う意味ではない。そう、「関越自動車道」のことなのだ。「自動」を省くことで、やるせないドライヴに似た効果をもたらすことに成功している。「ミカン=未完」、そうか、だから暗闇のインスタライヴではスローでジェントルな調子で弾き語ってみせたのか・・・。いや多分、原曲はこのアレンジだったのだろう。こっちも捨てがたい気もするが、どんなふうにアレンジしてもきれいなメロディと言える。歌詞もこれは将治ではないか?

この曲はこのアルバムに収録された9曲のうち、最も古典的な楽曲と言える。むしろ、でいとりっぱー時代すら彷彿とさせるストレートなポップナンバーだ。アルバムテイクでは、イントロのリズムマシーン的エイトビートに続くポール・マッカートニー的なベースがリードする快活なメロディにフルートが絡む。フルートの起用はどこから思いついたのだろうか。アルバム後半で再びこのフルートが活躍するのだが、僕の乏しい知識で想像するに、ボサノバあたりからインスピレーションを得たのではないだろうか。ロックに夢中だったリスナーが刺激を求めてロック以外の音楽ジャンルを聴き始めるのはよくある話だが、ボサノバやブラジル音楽に行くのも割とよくあるケースなのではないかと思う。もうかなり前、本庄に行った時に最近よく聴いていると言ってジルベルト・ジルを聞かせてもらったがそういったリスニングと探求の積み重ねがこのソロアルバムにはたっぷりと入っているんじゃなかと思うのだ。
(続く)

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