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わきまえていないのは 4-5

 FUJI ROCK FES.から、約ひと月の時間が過ぎました。

 FUJI ROCK FES.由来の大きなクラスター発生のニュースが届いていないことについては、少しずつ息を吐き出すように安堵しています(参加者の追跡調査に課題があることは理解しています)。

 現在に至っても、胸を張って当時の自分の判断を肯定することはできません。コロナ時代のフェスの開催にひとつの先例ができたことは、フェスの側に立てば大きな前進かもしれませんが、感染者の増加がピークを迎えるような状況で人流を増加させる催しが行われること、世間的には強行のようなかたちに見えていたこと、そのリスクを懸念しつつもフェスに参加したことなど、自分のなかにある割り切れない思いは抱えたままでいます。

 どんな言葉を発するべきだったか。あるいは黙ってステージに立って自分の役割にだけ徹するべきだったのか。フェスが終わってからも、分断の先頭に立ってしまったような罪悪感がずっとありました。

 どんな言葉を投げかけられようとも、大きな葛藤に引き裂かれて、自分もズタズタになる以外に方法はないと思いました。そして、割り切れないことを割り切れないまま書くこと、社会の複雑さを体現すること、それが自分の役割だと思いました。そうした役割は、ひとりの生活者として、市民として、これからも担い続けていくつもりです。

 Twitterは休止しましたが、その間も、たくさんの批判と意見はしっかり読みました。個別の反論をここでは控えさせてください。今は率直に、多方面からの叱咤と激励に感謝します。

 今後は、お互いの分かり合えなさのエッジに立って、じっくりと言葉を練り、柔らかく誠実に活動していきたいと思います。そして何より、コロナ以降の時代にあっても、音楽や芸術にまつわる様々な仕事が、人々の賛同を得ながら持続可能な活動になっていけるように、その真っ只中で努力していきます。

 音楽には、僕たちの軋轢や分断を越える何かがあると信じています。まったく考え方が合わなくても、何もかもが違っても、ビートやメロディやサウンドのテクスチャーに対する感性では通じ合える瞬間があるかもしません。僕らは全然知らない誰かと歌ったり踊ったり揺れたりしながら、ここまで歩んできました。驚くほど距離が離れていても、生きた時代が違っても、です。

 そんな力を信じて、ゼロからではなく、この続きからやり直します。

 応援してくれた人、心配してくれた人、ありがとうございました。またどこかのステージの上で、その恩に応えたいと思います。


 ここからは追伸です。

 このnoteの文章と重複するところがありますが、様々な想いをラジオで話しました。『ゼロエフ』を書いた古川日出男さんと話せたのは、自分にとってとても大きなことでした。


 FUJI ROCK FES.から自宅に戻って悶々とするなかで、SSWの七尾旅人さんがはじめた「フードレスキュー」のことを知りました。


 そして、Fast DOCTORという自宅療養者を守るために活動する医師たちへがフードレスキューに賛同し、クラウドファンディングを立ち上げたことを知りました。フジロックの出演料の全額に自己資金を足して、こちらに寄付しました。

 自宅で苦しんでいる人たちの状況が、少しでも改善されることを願います。東日本大震災以降に思い知りましたが、少額でも、多くの人の少しの善意が集まるとあっという間に大きな力になります。

 他にも様々な寄付先はありますが、お気持ちのある方はぜひ。

 以下はアジカンで出演予定だったフェスの支援プロジェクトです。中止の決断は大変に重いものだったと思います。僕もモンスターバッシュの存続を願うひとりです。僕は主催の立場ではありませんが、とても多くの寄付が集まっていることに感謝します。

 そして、蛇足かもしれませんが、いくつかの記事へのリンクを。