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わきまえていないのは #3

 FM COCOROの特別番組で、Moment Joonの『Passport & Garcon』というアルバムを紹介しました。僕が主催している『APPLE VINEGAR -Music Award-』という音楽賞の特集で、今月はノミネート作品を紹介させてもらっています。

 その番組の中で、Moment Joonの紹介、アルバムの紹介のときに、僕はとても失礼な紹介の仕方をしてしまいました。放送を自分で聴きなおしましたが、とても粗末な内容だったと思います。

 彼の新しいアルバムは、いくつかのフレームの内側と外側をめぐるストラグルが身を切るように綴られています。辛辣な言葉もありますが、様々なリリックが「TENO HIRA」というラストトラックの最後のHOOKに向けて、フレームやジャンル分け、偏見やラベリングの前に立つ人たちを優しく包み、そっと傍に立つようなフィーリングに回収されて光るような、そんなエンディングを迎える作品です。

 作品を語る上で、その内側と外側の話、フレームの話を前提とするのはとても失礼かつ本質から外れていて、僕の紹介はその部分に終始してしまいました(韓国/日本、HIPHOPの内と外)。むしろ自らフレームを立てるような物言いでした。はっきり言って「わかっていない」と言われて仕方のない内容だったと思います。

 彼が闘ってきたであろうことを考えれば、もっと別の言葉があったと思うし、付け加えないといけない言葉があったし、切り口が違うし、この作品を聴いてなお消化しきれない様々な言葉、逡巡や戸惑いや内省を、そのまま誠実に言葉にするべきだったと反省しています。

 とても恥ずかしい気持ちです。

 今月末に発表になる作品では、彼と楽曲を一緒に作りました。先日のD2021ではその曲を一緒に演奏しました。そういう関わり方をしている人間なのだから、もっと然るべき言葉で作品を語らなければならなかったと後悔しています。

 来週の日曜のFM COCOROの番組収録が今日ありました。そこで、もう一度、『Passport & Garcon』の紹介をやり直させてもらいました。僕はこのブログを書くのにも緊張しているけれど、この作品について語るときの緊張を、そのまま言葉にしました。その言葉すら、絶望的に「分かっていなさ」の塊なのではないかという不安もあります。

 本来、誰かの作品について語ることや書くことには、そうした困難さがつきまとうのだということも、改めて痛感しました。人生をかけたものであるならば、なおさらです(誰の作品でも同じですよね)。

 自分のなかにあるマジョリティが持つ暴力性、それに気が付くのはとても痛いし、恥ずかしいし、情けなく、辛いことですが、その辛さは、暴力に晒される側の比ではありません。無自覚に、自分がそういう物言い、立居振る舞いをしてしまうことにもっと注意して行動、発信していきます。

 『Passport & Garcon』はとても素晴らしいアルバムです。このnoteを読んで、多くの人が作品に触れ、様々な感情がそれぞれの場所に生まれることを願います。

 Moment Joonの活動と作品へのリスペクトを込めて。


<3/24に追記を書きました。以下のリンクにて>