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BリーグNo.1エンターテイナーがオールスターゲームに出なかった理由

 

初めてnoteを書きます。

普段は、スポーツ実況を中心とした声の仕事を主にしています。スポーツが好きです。特にバスケットボールに関しては、Bリーグが誕生した2016年から、毎年、バスケットLIVEでレバンガ北海道のホーム試合の実況を年間20試合程度、担当しています。もちろん、観ることも大好きで、趣味はNBA現地観戦、(これまでに、ロサンゼルス、トロント、フィラデルフィア、ニューヨークなど)

オールスターやBリーグのチャンピオンシップにはレバンガ北海道が出場しなくても観戦or取材に行きます。

さて、スポーツ中継におけるアナウンサーの役割は、解説者と試合の見どころを見極め、選手のプレーそのものを伝える事。状況に応じて、選手やチームの想いを伝える事はあっても、それがメインではありません。

選手やチームのファン、同じ想いを持っている人たちと情報をシェアしたいのに中々できない…そんなモヤモヤとしたものがずっとありました。

TwitterやInstagramではこれまでも情報の発信はしてきたけれど、やはり文字数が足りない…じゃあnoteしかない!

そして、今回noteを書こうと思った決定的な出来事は、「素晴らしいバスケットボール選手の事をもっともっと知ってもらいたい」と思った出来事があったからです。

レバンガ北海道 松島良豪選手の引退発表

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1992年2月3日生まれ、沖縄県出身の28歳。ポジションはポイントガード。2014年に当時のNBL兵庫ストークス(現在の西宮ストークス)でプロバスケ選手としてデビューし、2015年にレバンガ北海道へ移籍。

高いアシスト能力を生かし、2018シーズンには、1試合18アシストというリーグ記録を樹立。また、オフコートでも、試合前にダンスやコントなどのパフォーマンスを披露する「劇団松島」で脚光を浴びる唯一無二のムードメーカー。近年では、「BリーグNo1.エンターテイナー」と呼ばれるまでになりました。今季でプロ6年目を迎え、アスリートとして体力も気力も充実している最中で突然の引退発表。これには北海道のファンのみならず、日本中のバスケファンが驚きました。しかも、その理由が、かねてからの夢であった「指導者になるため大学院に進学したい。その準備のため」というものでした。

引退発表で改めて感じた松島選手の存在感

クラブが引退会見の内容を文字化してくれています。

なので、このnoteでは会見の内容をなぞるのではなく、引退会見から感じた「松島良豪 選手」を書こうと思います。

この会見で、私はアナウンサーとして代表インタビュアーを務めました。

集まった記者はテレビ・ラジオ・新聞記者、合わせて約30人ほど。テレビカメラは北海道の局が全て来ました。普段、試合会場で見かけない記者やアナウンサーも来るなど、注目度の高さがわかりました。

ちなみに、レバンガ北海道が引退発表会見を行うのは、今季2度目。松島選手の前に、日本バスケ界のレジェンド・折茂武彦選手がシーズン前に今季限りでの現役引退を発表しています。その際も、私は代表インタビューを務めましたが、その時の反響と比べても負けず劣らず…いや、正確に言えば、来たメディアの人数こそ折茂選手の方がダントツで多い(100人以上来た)のですが…

何よりSNSの反響が凄かった。

私のTwitterアカウントは主にバスケを始めとしたスポーツ全般、日々の業務、たまーにプライベートなど。

フォロワーも850人ほどで特段多いわけではありません。キー局のアナウンサーなどは、1万以上の方もザラにいますし、1千人を超える人も沢山。

私のようなローカル局のバスケ大好きサラリーマンアナウンサーからすると、何気ないいつものつぶやきで400以上のいいね、リツイート50越えはびっくりの数字。

閲覧数3万以上、エンゲージメント数も1800以上なので、このツイートが北海道のブースターを飛び越えている事が伝わりました。そして、Twitter全体のつぶやきを見ると、レバンガブースターだけでなく、色んなクラブのブースター、選手、クラブ公式アカウントまでが、松島選手の引退表明に際してコメントをしています。いかに、今回の引退表明が、北海道のファンみならず、日本のバスケファンにとって驚きであり、「松島選手がBリーグにとって特別な存在」だった事が伺えます。

しかし、

松島選手は、「SNSをやっていない」

松島選手の携帯は未だにガラケー。彼にLINEする時は、絵文字やスタンプは送らないようにしています。(送ってもほぼ表示されないから)返事はだいたい電話で来る。

ちなみに、会見前に行われたチーム練習では、松島選手は誰よりも大きな声を出してチームを鼓舞し、いつも通りのムードメーカーぶりを発揮していました。およそ、これから引退会見をする選手とは思えないようなエネルギーの塊。むしろいつも以上に声を出しているような…そんな風にも見えました。

そして、練習後に始まった会見。

松島選手が会見場に入ります。

私の第一印象

「あれ、マツ、緊張してるな

そりゃそうだよな。いくらマツとは言え、引退発表会見だもんな…これが最初に私が感じた事。

おそらく、会見の動画や音声を聞いてもわからないかもしれない…でも確実に緊張していた。(会見後に聞くとやはり緊張していたとのこと)

松島選手は、レバンガでも最もメディア出演の多い選手の一人です。時にはレジェンド折茂選手やその年のキャプテンを差し置いて笑

松島選手は、頭の回転が抜群に速く、喋りが立つし、中身もある。時に、後輩や先輩を例え話に出し、大先輩の折茂さんをもいじる。そしてシンプルに、「面白い」のである。これまで公私ともに仲良くさせていただいてきて、彼が緊張している姿を見た事がない。試合も、会見も、テレビ生出演も、収録ロケも、劇団松島のときも…。そのマツが緊張している!だから、私にとっても結構びっくりした事であると同時に、うまく彼の言葉を引き出せるだろうか…と一瞬、不安になりました。しかし、クラブが文字起こしをしてくれた文章を見ると、

それは杞憂であったことはすぐにわかります。笑

師匠である折茂武彦選手への想い

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冒頭に松島選手の挨拶があり、会見が進んでいく中で、印象的だったことをクラブHPから抜粋。

「僕自身、引退するならこのチームでという気持ちがありましたし、レバンガ北海道にとてもお世話になってきて、このチームで引退してこのチームに恩返しがしたいと思っていましたので、家族とクラブには相談していました」

「折茂さんにはこれまでオンコート、オフコートを含めて一番お世話になってきましたし、お兄ちゃんのような存在でいつも優しく接してくれました。
折茂さんがいたおかげで、僕のバスケット観が180度変わりましたし、成長させてもらったので、とても感慨深いところがあります。
お互いプロ選手としての試合数は残り少ないですが、少しでも一緒にプレーしたい気持ちもあります。
正直なところ、折茂さんに最後まで花を持たせたかったので、僕の引退会見はせず、いつまでも折茂さんのアシスト役をしていたいとも思っていました。
僕の引退もありますが、ファンの皆さん、スポンサーの皆さん、関係者の皆さんには、折茂武彦のことを一番に支えて最後の花道をつくってほしいと思っています」

松島選手は、本当に義理堅く、人情味溢れる人間です。彼は2015年に北海道へ移籍してきて今季で5年目。

「いつも◯◯さんにはお世話になっているので…」

「◯◯さんにはよくしてもらっているので…」

普段、松島選手と会話していると、何気ない中でも、周りへの感謝、支えてもらっている事に対してありがとうという気持ちを、常に持ち、それを言葉にする選手です。

今回の会見ではありませんが、以前、取材の中で折茂選手の話になった時、

「あの人はすごいっすよ。僕は引退しても一生ついていきます」

こんな事、本人が聞いたら…僕なら泣いちゃいそうな一言をさらりと言える松島選手の人間性も素敵ですが、折茂さんとの信頼関係が何より強い。

一方の折茂さんも、松島選手に対して、

「事あるごとに色んな話をマツにはしてきた。ガードとして、いまのプレイにはどんな意図があったのか。それを全て説明できないならダメ。ガードとして、最後、マツが崩れるとチームが崩れてしまう。だからマツには1番たくさんの話をしてきた」

「1番成長した選手もマツだと思う。この3年間、彼からのアシストでシュートを決める。その回数が1番多かったと思う。いいコンビだと思っていたので残念」

と松島選手には抜群の信頼を寄せている。

偶然にも同じシーズンに引退する2人。松島選手の引退で、恐らく1番寂しいのは折茂さんかもしれません。

指導者というより教育者になりたい

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今回の会見で一貫していたこと、それは、

「自分の夢に対してまっすぐな事」

シーズン中に大学院進学の準備をしていたという松島選手。勉強をして、30枚近い提出書類作成をし、試験を受ける。なんと、試験日は、1月18日だったそう。

そう、今年札幌で開催されたBリーグオールスターゲームの日である。

選手なら誰だって出たいオールスターゲーム。しかも地元・札幌開催である。選手として出られる可能性だってあったし、出られなくても劇団松島として、オールスターを盛り上げる事もできたはず。だからこの話を聞いた時は、少し耳を疑った。

それでも彼は、夢であった指導者になるため、試験を受ける事を選んだ。その決断する力はすごい。

以下、会見コメント抜粋↓

「自分がバスケをはじめた頃から父親が指導者をしていて、その姿にずっと憧れていました。
大学卒業時には教員免許も取得しており、将来はバスケットボールの指導者になりたいと思っていましたが、指導者になる前に選手としての力を試したいという考えもありましたので、就職活動をしながら、結果的にプロの道へ進みました。
そして5年間、プロの世界でプレーをし、これまで指導してくださった方々のおかげで色々なバスケを学ぶことができましたし、このタイミングで指導者を目指すための道に進むことを決めました。
今後は、Bリーグの選手や日本代表になれるような選手を育てていきたいと思っています」

「僕は指導者である前に教育者になりたいと思っていますので、プロ選手というよりは、大学生・高校生・中学生といった、バスケット以外のことも教えていける存在になりたいと思っています。
これまで、僕より上手な選手、ポテンシャルを持った選手を沢山見てきましたが、途中であきらめたり、高校や大学をやめる選択をした人たちを見てきた中で、そういう人たちに何か声をかけることでその人が違う道、より望んでいた道を歩めたのではないかと考えてきました。
そういう選手を一人でも少なくしていきたいという気持ちがあるので、指導するカテゴリーは決めていませんが、教育者の方に進んでいきたいという考えはあります」

兼ねてからの夢であった「指導者、教育者になりたい」という真っ直ぐな松島選手の想いに、泣きそうになってしまった。いや、正確に言うと少しだけ泣いた。

父への憧れとこれからの松島選手

会見が終わり、その後、補足で聞きたい事を本人に聞く、囲み取材と呼ばれるものがあるのですが、ここからはクラブのコメントにも載っていないものなので印象的なものを少しだけ書いておきます。

Q地元・沖縄県に恩返ししたい気持ちは

「それももちろんあるんですけど、僕としては、沖縄の子たちを日本で活躍させてあげたいです。沖縄って、北海道もそうだけど島国じゃないですか。外の世界を本当に何も知らない。だから、センスがあって県外に出てしまう子を受け入れてあげて、その子たちの成長をもっと促してあげたい。だから色んな子たちの指導をしていきたいですね」

Q尊敬するお父さんについて

指導してもらったのは、中学3年まで。当時はわからなかったけれど、今考えると父の凄さが本当によくわかる。朝練習をして、午後自分の仕事をして、夕方またバスケの指導をして、夜自分の仕事に戻る。今、自分が同じ生活をしろと言われてもできないですもん。

中学生の指導者なんですけど、中学生を1人の大人として見ていて、同じ目線で喋っている。こっちが本気になれば向こうも本気になるから、生徒たちと一日一日本気の勝負をしているんだと言っていました。それがすごいなと。大人になると、どうしても上から目線ですごいことも言うこともあるけれど、子供たちのために、人のためにできる父親の姿に憧れているので、これからはバスケットボールの未来のために、何かできればいいと思っています。父親の姿を思い浮かべながら、少しでも近づきたいです。

終わりに

大分長くなりましたが、少しでも松島良豪という素晴らしいプレイヤー、そして、人間を知ってもらいたい思いで書きました。松島選手とは、取材はもちろん、プライベートでも仲良くさせてもらっています。彼は本当に兄貴分な性格で、後輩の面倒見がいい。彼が後輩にお金を払わせているところを私は見たことがありません。新加入選手が来れば、率先して食事に誘い、チームに打ち解けられるようにサポートする。オンコートはもちろん、オフコートでのコミュニケーションをすごく大事にしていて、彼を慕う選手は非常に多いです。それでいて、先輩の懐にもするっと入り込める人懐っこさも持ち合わせている。また、他クラブの選手からの信頼も厚く、某クラブのトレーナーの結婚式のために、バブリーダンスをそのクラブの選手に教えてみんなで披露したりも。笑

とにかく、彼の周りには人が自然と集まります。太陽のような人です。でも、実は、人一倍周りの事をよく見ていて、誰よりも空気を読む気遣いの人。そんな繊細で、案外寂しがり屋で、他人のために力を注ぐ事を惜しまない、松島良豪選手が私は大好きです。松島選手の残りのシーズンを目に焼き付け、そして彼のプレイに想いを込めて実況したいと思います。最後までご覧いただき、ありがとうございました。






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