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小説「ころがる彼女」・第14話

 弓子が入院した。
 彼女の夫から、そう聞いたのだ、つい先ほど。
 通院している心療内科に朝一番で妻を連れていった彼が、昨夜の大騒ぎの件を告げると、入院することを勧められたと言う。
 彼女の病勢は亢進しており、自宅で養生できればそれに越したことはないのだが、隣近所にまた迷惑をかけてはいけないからと医師は語ったそうだ。
 以前勤務していた精神科病院に、医師が電話をし、入院の手筈を整えてくれた。Y市にある病院だった。会社に今日は休むと連絡を入れ、さっそく向かった道中、入院生活に必要な洗面用具、入浴用品、衣類などを買い揃えたりしていると、病院に着いたのは午後になった。
 それから入院の手続きを済ませ、看護師からいろいろと説明を受けた。いつ退院できるかは、今後の経過を診てからの医師の判断によること。一か月先になるのか二か月先になるのかは、現状では分からないということ。病状が落ち着いたら、面会ができること。それは午前九時から午後七時までの間に三十分間だけ許されること。患者の貴重品や携帯電話などは、ナースステーションの預かりになること。患者が電話連絡をする際は病棟内に設置された電話を使うこと。テレホンカードは院内の売店に売っていること、などなど。
 弓子を病棟まで見送ると、昼食も取らず車に乗り、来た道を引き返した。帰りの道中、菓子折りを買った。近隣の家々に詫びを言って回るために、いくつ必要なのか分からなかったので、三十個ほど買いこんだ。
 帰り着くと、すぐに謝罪を始めた。あの大音響が届いたと思われる範囲内の住居のすべてを訪問し、頭を下げ、菓子折りを差し出した。三十個が一個にまで減ったときには、すでに夜。最後の訪問先となったのが、邦春の家だった。
 西原は、憔悴しきっていた。無理もない。深夜に叩き起こされ、騒動を止めさせて弓子を寝かしつけ、おそらく自分は一睡もできずに朝を迎え、それからは彼女の入院と尻ぬぐいに忙殺されたのだから。昼食も夕食も抜きで。
 家のなかへ彼を招き入れた邦春は、二階の洋室へ行き、話を聞いた。三か月前に、この部屋で彼は妻の病気を明かし、入院歴のあること、近所にかけた迷惑から引っ越しを余儀なくされたことなども包み隠さず話したのだ。その悲劇は、また繰り返すのか。
 西原の顔を、邦春は直視することができなかった。それは、彼への同情心というより、むしろ罪悪感からだった。すぐ目の前にいる男の妻と、自分は不倫をしたのだ。
 しかし、それでも邦春は、彼に言いたいことがあった。それは、大騒音となった、あの音楽に関することだ。ローリング・ストーンズの、馬鹿騒ぎとしか言いようのない曲に、実は何かメッセージのようなものが込められているかもしれないと思ったからだ。弓子があのような真似をしてまで、世のなかに伝えたかった、何かが。
 邦春は、口を開いた。
「奥さまが流していた音楽ですが、CDか何かあれば、お借りできないでしょうか。昨夜はあまりにも音が大きすぎたので、こんどはボリュームを下げて聴いてみたいと思いましてね。もしもよろしければ、いつでも結構ですから、郵便受けに入れていただけたら助かるのですが」
 その言葉に、
「承知しました。そのようにいたします。このたびは本当に申し訳ございませんでした」
 と、深々と頭を下げたのち、西原は帰っていったのだ。

 翌朝、ウォーキングから戻ると、郵便受けのなかに小さな紙包みが入っているのを邦春は見つけた。
 部屋に上がり、開いていくと、CDケースが現れた。西原はさっそく約束を果たしてくれたのだ。
 朝食を済ませると、ケースを開け、ブックレットを取り出した。その表紙には小さなモノクロ写真がたくさん並べられており、右上に「ROLLING STONES: 〝EXILE ON MAIN ST〟」と、紫色の手書き文字で記されていた。なかに折りたたまれた日本語の解説シートには「メイン・ストリートのならず者」というタイトルが付いていた。
 寝室からCDラジカセを持ってきた邦春は、それを居間のテーブルの上に置いた。亡くなった敬子が、大好きな演歌のCDを聴くのに使っていたものだが、今は彼がもっぱらラジオを聴くための道具にしている。
 コードのプラグをコンセントに差しこむと、電源ボタンを押し、ディスクをセットして、音量を小さめにしてから邦春は再生ボタンを押した。
 しかし、いくら小音で流しても、うるさいものはうるさく、くだらないものはくだらなかった。最初の曲、次の曲、その次の曲、そのまた次の曲と、唐突で単調で猥雑で軽薄な騒音ばかりが続き、ようやく五番目に問題の曲が流れてきたのだが、それもまた不愉快極まりない雑音だった。女どもの合唱とともに吐き出される、ミック・ジャガーとかいう野郎の下劣な歌声が、邦春の耳に障って仕方がなかった。
 ロック界の第一人者だか何だか知らないが、よくもまあ、こんな音楽を愛好する人たちが世のなかにいるものだ。まるで音の暴力団みたいな連中に、踊らされ、大騒動を起こし、入院までさせられてしまった弓子が、哀れに思えてならなかった。
 停止ボタンを押すと、邦春はCDラジカセの電源を切った。もうこれ以上聴いても、意味がないと判断したのだ。
 もしも、この「ダイスをころがせ」という曲のどこかに、少しでも惹かれるところがあったなら、日本語訳をじっくり読んでみようと思っていたのに。魅力がまったく感じられないどころか、がさつな音の垂れ流しだった。
 ソファーに寝ころんだ邦春は、スマホを取り出し、ブラウザを立ち上げ、「ダイスをころがせ」と打ちこんだ。この騒がしい音の重なりが、世間ではどのように評価されているのか、暇つぶしに調べてみようと思ったのだ。
 画面に出てきた曲名をタップすると、解説文には聞いたことのない音楽用語がずらりと並んでいたので、スクロールしながら読み飛ばしていくと、「全英五位、全米七位につけるヒットとなった」と書いてあった。
 へえー、物好きだねえー、イギリス人もアメリカ人も。そう思いつつ読んでいくと、「リンダ・ロンシュタットがアルバム『夢をひとつだけ』のなかでこの曲をカバーした」との記述が現れた。
 えっ。リンダ・ロンシュタットなら知ってるぞ。懐かしい名前を目にし、邦春はソファーから起き上がった。横浜のお店で出会った男の子にナンパされた、というくだりが歌詞のなかにある曲、あれは何と言う曲だったっけ?   ダウニン・ヨコハマ、ダウニン・ヨコハマ。横浜を母港として愛する船乗りの自分には、とても嬉しい響きの曲だったのに、その名が思い出せない。ダウニン・ヨコハマ、ダウニン・ヨコハマ。ああ、どうしても思い出せない。
 ならばスマホに教えてもらおうと、素晴らしい歌唱力を持つ米国の女性歌手の名を、邦春は新たに打ちこんだ。「楽曲」をタップし、どんどんスクロールしていくと、「シングル」のなかに、その曲名はあった。「POOR POOR PITIFUL ME」。そうそう、そうだった。「私はついてない」だ。
 さらに「経歴」をタップして読んでいくと、「ミック・ジャガーと噂があった」などと記されてあり、腹が立ったが、続けて「ミックがリンダのことを歌ったのが『ダイスをころがせ』である」という解説には、興味を抱かざるを得なかった。
 そうか。あの曲は、一方的な男の自己主張のように聞こえるが、実は女性の気持ちを歌ったものなのか。それなら聴いてみる価値があるかもしれない。ミックの野卑な叫びではなく、リンダの麗しい美声を通して。
 スマホを手にして、一か月半。操作にもずいぶん慣れてきた邦春は、ECサイトにアクセスをし、パスワードを設定するなどして、自分のアカウントを作った。
 そして「リンダ・ロンシュタット夢をひとつだけ」と打ちこみ、いくつか並んだ商品写真のなかから値ごろなCDを選んでクリックすると、収録曲目のなかに「ダイスをころがせ」と「私はついてない」のどちらも入っているのを確認した。
 さらにタップを続けて、購入手続きへ。八十四歳は、生まれて初めてネットショッピングというものを体験した。


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