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小説「サムエルソンと居酒屋で」第15話

 翌朝。二階のそれぞれの部屋で寝ていた英也と良之は
「ご飯ですよーっ!」
 という実花子の大きな声に目覚めさせられた。
 着替えをし、階段を下りてダイニングルームへ行くと、テーブルの上に四人分の食事が並んでいた。アジの塩焼き、玉子焼き、ワカメとキュウリの酢の物、それに麦茶。キッチンを背に留美と実花子が腰かけており、それぞれの向かい側に良之と英也が椅子を引いて座ろうとすると、留美が立ち上がり、ご飯と味噌汁をよそい始めた。
 その後ろ姿に、良之はどぎまぎした。昨夜、喪服姿で家に着いた彼女たちは、ただちに居間に入り、遺影に拝礼した。ところが、今朝は二人とも軽装だ。いきなり視界に入った留美のひざ上二十センチのミニスカートから目を逸らすと、こんどはバストがはちきれんばかりに膨らんだ実花子のTシャツ姿に直面し、良之はすっかり狼狽してしまった。
 そして食事が始まると
「か、上条さんは料理がとてもお上手ですね」
 と言い
「いえ。作ったのはすべて山内さん。私はただの配膳係です」
 との返事だったので
「や、山内さんはいい奥さんになれますよ。こんなにおいしいご飯をまいにち食べさせてもらえる男性は幸せだろうなあ」
 と言い直したところ
「はい。かならず英也さんのいい奥さんになります」
 と、驚きの発言。さらに
「上条さんが上手なのは麻雀です。明日、全国学生麻雀大王戦の決勝戦を闘うことになっているんですよ」
 と、突拍子もないことを実花子に言いだされたので、良之はまったく頭の中が混乱してしまった。
 ややあって
「冷蔵庫の中の食材が残りわずかになっているの。それにお米とかも。英也さん、きょう買物に行かない?」
 と実花子が言ったので
「じゃあ、あとで留美を駅まで送ってから、その帰りにスーパーへ行こう。車がもう一台あって良かったよ。軽だけど」
 英也はそう返事をした。

 駅の窓口で上りの特急の切符を買った留美に、英也と実花子が言った。
「明日は頑張れよ! 大隈大の誇るミニスカ雀姫の君なら、きっと優勝できるさ!」
「そうよ、留美さんなら絶対に麻雀大王になれる! そしたら、ほそぼそで祝勝会をやりましょう!」
 すると留美は
「瀬川くん、ご両親を亡くしてお辛いでしょうに、激励の言葉どうもありがとう。お兄様にもよろしくお伝えくださいね。実花子ちゃん、ご兄弟のこと、よろしくお願いね」
 と、しんみりした口調で返事をした。やはり自分が予言者のようになってしまったことを悔いているのかと英也が思っていると
「でも、こうして九州までお悔やみに伺ったせいか、どこか気持ちが吹っ切れたようなのも事実なの。明日の勝負は期待してて。かならず学生麻雀日本一になってみせるから」
 留美はそう話して微笑んだ。
 そのとき構内放送が列車の到来を告げた。改札を通り、階段を上って留美が向こう側のホームに立つと、左側から特急列車が滑りこんできた。英也と実花子が手を振ると、列車が止まって乗りこむまで、留美は二人に向かって手を振り続けた。
 列車が走り去っていくと、降車客たちが階段を下り、改札を通って出てきた。その中の一人と目が合った英也は
「い、行こう!」
 と実花子に声をかけたが、遅かった。
「あーっ、ヒデ―っ。迎えにきてくれたんじゃろーっ」
 と、嬌声とともに走り寄ってきた髪の長い女に英也は抱きつかれたのだ。
「ち、違う! 友だちを見送りにきただけじゃ!」
 そう言いながら相手を振りほどこうとしたが
「恥ずかしがらんでもいいじゃろ。ウチがきょう宮崎から帰ってくるのを誰かに聞いて、それでわざわざ迎えにきてくれたんじゃろ。やっぱあ、ウチとヒデの愛の絆は強いんじゃなあ。東京と宮崎に遠く離れて暮らしちょっても、二人の愛は距離なんか簡単に越えてしまうんじゃなあ」
 と喋りながら抱きしめる力を増してくる。く、苦しい、誰か助けてと祈った次の瞬間、体が自由になった。見ると、実花子が女を引きはがし、尻もちをつかせている。
「あなた、いったい、どこの誰? 私の英也さんに抱きついたりして、どういうつもり?汚らわしい」
 と怒気を含んだ声で実花子が問うと、立ち上がった女はジーンズの尻を両手ではたき、相手の顔を睨みつけながら言った。
「ウチの名前は、小原まゆみ。宮崎の短大で学びよる。ヒデとは高校の同級生で、去年の夏休みに、お互い初体験どうしで結ばれた。処女と童貞を捧げ合うたんじゃ。どうじゃ、恐れ入ったか」
 それには動じる気配も見せず、実花子が応じた。
「ふうん、そうなの。ちなみに、私の名前は山内実花子。晶立女子大学の二年生で、英也さんのフィアンセでもございますの」
「ふぃ、フィアンセ……?」
 驚きの声を発しながら、まゆみが英也のほうへ顔を向けると、彼が小さく頷いた。
「ちっきしょーっ、ヒデを取られたーっ……。じゃあけど、なんぼフィアンセち言うてもヒデの初めての女は、この小原まゆみじゃっちゅうことを忘れるなよ」
 そう言うと彼女はバッグを手にし、歩きかけたが、腹の虫が治まらないと見え、
「でっけえ乳。牛みたいじゃのう。そいつでヒデをたぶらかしたんか」
 と、実花子に言葉を投げつけた。すると
「そのコーディネートは、なあに? 赤いタンクトップ、ベルボトムのジーンズ、黄色いサンダル。まるで信号機みたい。南国ボケですか?」
 と、実花子も言葉を返した。
 いつのまにか駅の待合室から大勢の人たちが出てきて、若い娘どうしの口喧嘩を面白そうに眺めている。英也は、穴があったら入りたいという表情だ。
「牛女、乳を吸わせて、うっしっしー」
 まゆみのその嘲弄が、ついに実花子の怒りを爆発させた。
「やがましねっ! はんかくせごとばりゆーなっ! あいーっ、腹わりごどっ!」
 聞いたこともない言葉にまゆみが怯み、戸惑っていると
「翻訳してあげるわね。『やかましいっ! バカみたいなことばっかり言わないでよっ! あーっ、腹立つ!』。お分かり? 秋田の女を見くびらないでね。それとね、まゆみさん。英也さんは交通事故でご両親を亡くしたばかりなの。その気持ちを察してあげてね」                                  
「えっ……? あのおじちゃんとおばちゃんが……?」
 驚くまゆみを後にして、実花子は英也の手を引き、見物客たちを掻き分け、車のほうへ歩いていった。次はスーパーで買い出しだ。英也がハンドルを握り出発すると、助手席の実花子が口を開いた。
「英也さん」
「うん?」
「これだけは言っておきますけど」
「なあに?」
「浮気は絶対に許しませんからねっ」

 夕刻。実花子が食事の準備に取りかかろうとしていると、玄関のベルが鳴った。歩いていき、ドアを開けると、そこに立っているのは、まゆみだった。
 とっさに身構えた実花子だが、相手が喪服に身をつつんでいるのを見て弔問に訪れたのだと知り、居間へ案内したのち、良之と英也を呼びにいった。
 線香をあげ、遺影の前で両手を合わせたのち
「このたびはご愁傷様です」
 と、まゆみが礼をしながら述べると
「お心遣い、ありがとうございます」
 と、礼を返して良之と英也が言った。
「うちは本町で中華料理店をやっているんですが、お父様とお母様にはよく食べにきていただきました。お二人とも海鮮ラーメンがとくにお気に入りで、いつもおいしいおいしいと笑顔で召し上がっておられたのを、子どものころから覚えています」
 まゆみがそう話すと、良之が訊いた。
「あ、もしかすると海山軒さんですか?」
「はい。祖父の代からやっている店です」
「海山軒さんには高校時代の下校の途中、友人たちとよく立ち寄らせていただきました。私は海鮮ラーメンも好きでしたが、蓋を開けるまでどんな具材が乗っかっているのか分からない『なんじゃろ丼』も楽しく美味しくいただきましたよ」
「どうもありがとうございます。実はあの、なんじゃろ丼、私のアイデアなんです。中学のとき、こんなのを出したら面白がられて売れるんじゃないかと父に言ったら、さっそくメニューに加えてくれました」
「ほう、そうなんですか。それは素晴らしい。才色兼備とはこのことです。いかがです、せっかくお越しいただいたのですから、精進落としにビールでも」
「あ、そう言われれば私、すこし喉が渇いてきたような……」
「それではさっそく茶の間で一献。英也、冷蔵庫からビールを二本、それとグラスを四つ頼む。さあさあ、山内さんもどうぞどうぞ」
「私、夕食の支度をしなくては……」
「本日の夕食は、なんじゃろ丼に決まりです。のちほど出前をお願いしましょう」
 茶の間のテーブルに着いた四人は、さっそくビールを注ぎ合い、飲み始めた。
「まゆみさんは、今どちらの学校に?」
「宮崎の陽光女子短期大学。二年生です」
「では来春ご卒業ですね。就職は、あちらで?」
「いえ、大分に戻ってこようと思っています。就職よりも、いい相手がいれば結婚したいというのが本音なんですけど……」
「やっぱり地元がいちばんですよね。私も秋から就職活動を始めますが、県内の優良企業になんとか採用してほしいものです。それが叶ったら、早く所帯を持ちたいなあ……」
「大学は、どちらなんですか?」
「豊後大学。商学部です」
「まあ、ステキ! 国立大学じゃないですか! 私、国立大学に通う男性に、高校のころからずっと憧れていたんです」
「国立といっても、うちは地味なほうで……。この弟なんか、大隈大学の政経学部で学んでいるんですよ」
「大隈大学? はて、どこかで聞いたことがあるような……。たしか、私立の大学じゃなかったかしら。国立と違って、私立の学校はお金がかかりますものね。学ぶなら、やっぱり地元の国立大学じゃないと」
 弾む二人の会話にウンザリし、英也は実花子に耳打ちした。
「女ってのは、実にたくましい生き物だなー」
 実花子が耳打ちを返した。
「堅物のお兄さんも、いざとなったら、やるのねー」

 翌日の夕刻。東京・新宿の雀荘「文明澤田家」では、第七回全国学生麻雀大王戦の勝負が大詰めを迎えていた。
 北から南まで、全国八地区から四名ずつ予選を勝ち上がってきた合計三十二名の選手たち。それらが午前中の一回戦、昼食休憩を挟んで午後からの二回戦と三回戦を闘い、そのたびに弱者たちが脱落していった。今や残り四名となり、決勝の四回戦を前に休憩時間を過ごしている強者たちの中には、留美の姿もあった。
 参加選手中、唯一の女子学生であること、最年少の二年生であること、容姿端麗でミニスカート姿でプレーすることなどに大会関係者たちは大いに興味を抱き、好奇の眼差しを向けてくるが、そんなことは気にも留めず、彼女は缶コーヒーを飲みながら煙草をゆっくりと吸った。
 決勝戦を前にして、留美は追想の中にいた。思えば、子どものころからボードゲームが好きだった。将棋、チェス、囲碁、オセロ、バックギャモン、いろいろやった。なかでも夢中になったのは将棋で、棋書をたくさん読んで勉強するうちにたちまち上達。小学六年生のときに全国子供将棋最強戦に東京都代表で出場し、準優勝をした。これほど悔しい思いをしたことはなかった。終盤のミスで逆転され、優勝を逃したのだから。子供日本一になる夢が破れたとたん、あれほど打ちこんでいた将棋が大嫌いになった。将棋はやめたが棋書の代わりになる難解な本を読みたいという気持ちには拍車が掛かり、父の書斎に入って経済学の本をむさぼり読むようになった。中学時代の三年間、高校時代の三年間。
 ボードゲームの魅力を再発見させてくれたのは、高校時代から交際をしていた一級上の先輩だった。大隈大に進学した彼は、友人に誘われて麻雀の世界に足を踏み入れるや、たちまちその面白さの虜となり、教室ではなく雀荘で学生生活の大半の時間を過ごすようになった。そしてまだ高校生の自分の手を引き、行きつけの雀荘で何時間も勝負の見学をさせた。どうだ留美、麻雀ってエキサイティングだろう。大隈大は、日本でいちばん麻雀の強い大学なんだぞ。俺は近いうちに全国学生麻雀大王の栄冠をかならず手にしてみせるからな。
 まだルールも知らなかったけど、麻雀というのが迫力満点の頭脳ゲームであることを、はっきりと体感できた。自分も強い打ち手になろうと、大隈大への進学を心に決め、そして入学した。あれほど麻雀の魅力を力説してくれた先輩が、バイク事故で亡くなったその三日後に。
 先輩のいなくなった大学で、自分は先輩のように教室ではなく雀荘で多くの時間を過ごすようになった。そして彼の果たせなかった学生麻雀大王戦への出場を現実のものにし、今その頂点を目指して闘っている。人の運命というのは、実に不思議なものだ。
「それでは第四回戦を開始します。選手は直ちに卓へ集合してください」
 大会審判員の声が、留美を現実に引き戻した。
 抽選で決まった席に着き、サイコロで東家になったとき、ふと留美の視線の先のドアが開き、光につつまれた男性が現れた。彼女に手を振り、微笑みかけるその顔と姿は、あの先輩に違いなかった。彼女に近づくと「がんばれよ」と彼は囁き、やがて光とともに消えていった。
「何をやっているんだね。早くサイコロを振ってゲームを始めなさい」
 審判員にそう言われ、今のが幻だったことを知り、留美は麻雀に集中しようとした。そしてサイコロの目が示した山から持ってきた十四枚の牌を眺めるうちに、不思議な感覚にとらわれた。麻雀を覚えて今日まで、何百局、何千局と闘ってきたが、こんな感覚は初めてだった。なぜならば、切る牌がないからである。
 彼女は十四枚の手牌を、同じ種類ごとに順番に並べ替えた。それから慎重に確認を行なうと、牌譜を採るために隣に座っている記録係が
「て、て、てんほ……」
 と喘ぐのをよそに、牌を倒して
「上がってます。天和」
 と宣言した。奇跡とも呼ぶべき親の役満に、驚愕と沈黙が辺りを支配する中、いきなり四万八千点のアドバンテージを得た留美は、この勝負、もらったと確信した。

 表彰式と取材が終わったあと、公衆電話のダイヤルを回すと、英也の声が出た。
「はい、瀬川です」
「勝ったよ、私」
「えっ! 留美、優勝したの!」
「うん。先輩が勝たせてくれたんだ」
 快挙を知らせるその声は、われながら晴れやかだと彼女は思った。

           

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