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小説「けむりの対局」・第2話

勝つのは、どっちだ? 升田幸三 vs 人工知能




 極楽浄土の蓮池のほとりで、二人は釣りをしていた。
 ときおり吹いてくる穏やかな風が、まっ白い蓮の花たちを揺らし、とてもよい匂いをあたりいっぱいに満たしている。
 釣りをしている一人は、もじゃもじゃの髪とぼうぼうの髭。下界では升田幸三という名前がついていた。あちらの年号で数えると、平成三年の四月からこちら天界の住人になった者である。
 釣りをしているもう一人は、つるつるの頭にまんまるいメガネ。下界での名前は大山康晴で、平成四年の七月から天界に住んでいる。
 まだ人間界にいたころ、この二人は命がけの勝負をなんども繰りかえしたのだが、おたがいに命を失ってからはとても仲のよい友だちになり、今日も並んで釣りを楽しんでいる。
 二人が釣り糸を垂れている蓮池の下には、天上界と人間界の境になっている雲の海がひろがっており、その雲のなかに糸を通しておくと、魚のアタリではなく、人間界の情報がいろいろと伝わってくるのだ。あちらの言葉にすると「クラウド・コンピューティング」ということになろうか。
「なにやら下界が騒がしいようじゃのう」
 升田が言った。
「機械なんかに将棋を教えるからいけないんですよ」
 大山が答えた。
「ちょっと行って助けてやれよ、大山くん。名人位を十八期も獲得したお前さんなら、屁でもあるまい」
「なにを言ってるんですか、升田さん。その名人だった私に香車を落として勝ったのは、あなたじゃないですか」
「そんなこともあったかのう」
「そんなこともありましたよ」
 釣り竿を手にして、二人は思い出の時間にひたる。
なつかしい会話をしばらく続けたのち、升田が言った。
「ならばジャンケンで決めよう。負けたほうが人間界へ出向くというのはどうだ?」
「いいですよ」
 大山が答えた。
 そうして二人は、声をそろえた。
「さいしょはグー。ジャン、ケン、ポン!」
 升田のパーに対して、大山はチョキ。
「ありゃりゃ、負けてしもうた」
 と、ひらいたままの大きな手のひらを見つめながら、升田。
「どうです、相かわらず勝負強いでしょ」
 と、チョキの手で勝利のVサインを掲げながら、大山。
「大山は勝負の鬼、升田は将棋の鬼、か。しょうがない。めんどくさいが、弱っちい人間たちのために、ひと暴れしてやるとするか」
 升田がそう話すと、
「ご苦労さまです。生意気な機械を、うんと、こらしめてやってくださいよ」
 大山がうなずいて応じた。
そのときちょうど阿弥陀如来さまが、二人のいる蓮の池のそばをお通りになられた。そして
「ほどほどに、なさいませよ」
 微笑みながらそうおっしゃって、如来さまは立ち去られた。
 極楽浄土も、そろそろお昼。穏やかな風がまた吹いてきて、蓮の花たちがうれしそうに揺れている。
 
 
 
 
 
 
 

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