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小説「ころがる彼女」・第24話

 奥津保信の遺産相続手続きは、速やかに事が運んだ。
 それは相続人たちが、弓子を除き、故人の生家のある大分県B市から比較的近距離内に住んでいるため、すぐに集まって協議が行われ、遺産分割協議書が作成できたからだ。
 保信の長兄の娘である幸代はB市に、その弟である泰知はO市に住んでいる。
 また、長姉の息子である博志はS市に、その妹である京子は宮崎のN市に自宅がある。
 そして次姉の息子である明秀は熊本から、その妹である弓子のみが遠く埼玉からやってきたわけだ。
 司法書士を職業としている明秀は、福岡のQ市役所や葬儀社への連絡と手配のほか、火葬代を含む葬儀費用と遺骨の送料、遺体で汚れたアパートの原状回復費用と故人の残置物撤去費用、夕泉寺への納骨代などの立て替えを引き受けた。さらに、遺産分割協議書の作成も行なった。
 相続人の全員が、被相続人の甥か姪であるという代襲相続だが、幼いころから仲が良く、気心も知れているいとこ同士の協議とあって、もめることは皆無だった。
 明秀は言った。
「調べたところ、叔父さんの財産は、預貯金が三千二百五十万円。その他、不動産やゴルフ会員権、貴金属などの資産はありませんでした。借金もゼロだったのは幸いです」
「明ちゃんに立て替えてもらったお金は、いくらなん?」
 幸代が訊いた。
「Q市の葬儀会社に、四十万円。アパートの大家さんに、百万円。夕泉寺に、三十万円。それに調査費用や交通費、宿泊代などを入れて、全部で二百万円くらいかな」
 明秀が答えると、
「ほんなら、まず明ちゃんが三千二百五十万円のうち二百五十万円を受け取ればいい。五十万円は、いろいろやってくれた手数料や。それから残りの三千万円を六で割って、一人五百万円ずつ貰うことにすりゃあいいやろ」
 と泰知が話し、
「それで、いいやろ、みんな」
 同意を求めると、周囲から賛成の声が上がった。
「五百万円も貰うて、いいんやろうか」
 博志が申し訳なさそうに言い、
「相続税は、かかるん?」
 京子が小声で訊くと、
「かかりません」
 明秀がきっぱりと答えたので、協議者たちは一様に安堵の表情を浮かべた。
 話が一段落したところで
「ビールでも飲もうか」
 と、泰知が言った。
「お寿司を注文しよう。握りの桶盛りの大を三つ」
 と、幸代も続いた。
「ついでに焼酎のボトルも持ってきてもらおうな」
 と、博志。
「うちはワインがいいわ。白ワインも二本追加してな」
 と、京子。
 そうするうちにも遺産相続の打ち合わせのテーブルは、宴の卓に変わってしまった。久しぶりに再会したいとこたちは、酒を飲み、寿司を食べながら近況を語り合った。そしてようやく、亡くなった叔父のことが話題にのぼった。
「そやけど、びっくりしたなあ。お骨がトラックに乗って帰ってくるんやから」
「世のなかには孤独死した親族の遺骨を引き取らんかったり、引き取っても捨ててしまう遺族もおるとか、こないだテレビでやりよった。それに比べたら、叔父さんは幸せなんやないかな」
「ところでみんな、叔父さんの顔、どんな顔やったか覚えてるか? 俺はぜんぜん覚えてないんやけど」 
「うちも覚えてない」
「僕も」
「私も」
「小さいころに一度か二度会ったくらいの、縁の薄い叔父さんだったんだから、覚えてなくても不思議ではないよ」
 と、明秀。
「昔の人にしては珍しく大学を出て、大企業の福岡支社に勤務するエリートやったのに、どうして安アパートに住んでたんやろ?」
「独身のままでいたのは、女嫌いやったんやろか?」
「せっかく独身なんやから、貯金ばかりしないで、自分の好きなことにお金を使えば良かったのに。それこそ独身貴族の生活ができたろうになあ」
「変わり者やったんやな、叔父さんは」
「親兄弟が亡くなったのに、一度も帰省しなかったんやから、よほどの変わり者に違いないわ」
「六十で定年退職したとしても、亡くなるまでの十八年間、どんな生活をしてたんやろか?」
「同じアパートに住んでた人に訊いたんだけど、部屋のなかに引き
こもっていることが多かったみたいだね。通院するとき以外は」
 明秀がそう言うと、
「通院? どこが悪かったん?」
 の質問が飛んだ。
「叔父さんのカード入れから、総合病院の診察カードが見つかったんだ。調べてみたら、循環器内科と精神神経科を受診していたことが分かった」
 明秀の返答は、波紋を呼んだ。
「精神神経科? やっぱり心を病んでたんやな、叔父さんは」
「変わり者やったんは、精神病のせいやな」
「奥津家は、精神病の家系なんかな」
「遺伝するっていうものね、精神病は」
「やめてよ、そんな話」
「そうや。変わり者は叔父さんだけや。ほかの人たちは、まともに暮らしてる」
 そのとき、弓子が口を開いた。それまで、ずっと沈黙を守っていたのだ。
「叔父さんだけじゃないわ。この私だって心を病んでいます。双極Ⅰ型障害。いわゆる躁うつ病を、もう二十四年間も患っているの。どう? 驚いた?」
 弓子の発言は、新たな波紋を呼んだ。静寂という名の波紋を。みんなが黙りこみ、視線を逸らすなか、明秀だけが驚いた顔を妹に向けている。
「お兄ちゃんにも話してなかったけど、私、そういうことなの。病気のせいで人様に迷惑をかけたり、辛い思いもいっぱいしてきたけど、なんとか生きているから、心配しないで」
 そう弓子が言ったあと、しばらく間を置いてから、泰知が話題を変えた。
「循環器内科も受診してたということは、叔父さんの死因は心臓病やったんやろか? 救急車を呼ぶこともできずに布団のなかで死んでしまったんは、そういうことやったんやろか?」
「気の毒になあ」
「辛かったろうなあ。苦しかったろうなあ」
「ほんとうに寂しい死に方やなあ、孤独死というのは」
「死後ずいぶん経ってから見つかって、遺体の損傷も激しかったから、死因は特定できてないんだけど、何らかの心疾患で亡くなった可能性は否定できないよね」
 明秀の言葉に、
「叔父さんが孤独死をしたのは、私が無視したから。叔父さんのことを、私がずっと無視し続けていたから、孤独死をするしかなかったんだわ。可哀想な叔父さん、ごめんなさい。ほんとうに、ほんとうに、ごめんんなさい……」
 そう言うと、弓子は泣き出した。
 すると、いとこたちの間から、声が上がってきた。
「弓ちゃんばかりじゃねえ。俺だって、そうや。お叔父さんのことを、ずっと無視してきた。叔父さんのことを思い出すことなんか、まったくなかった」
「うちだって、そうや。叔父さんのことを、考えたこともなかったし、会いに行こうとしたことも一度もなかった。弓ちゃんは遠いけど、うちは同じ九州に住んでいたのに」
「僕も、そうだ。叔父さんのことを、赤の他人みたいに、自分の心から遠ざけてきた。曲がりなりにも、血のつながりがあるのに。親しくしようと思えば、できたかもしれないのに」
「私も、そう。近しくないからという理由で、相手にしてこなかった。なのに、遺産相続の話の席には、ちゃっかり座ってる。こんな自分が恥ずかしいわ」
「そうや! 酒なんか飲んでる場合じゃねえ!」
 泰知が立ち上がった。
「まだお線香もあげてなかった。これから夕泉寺へ行って、お墓参りをしよう。叔父さんのご冥福をお祈りしようや。タクシー二台、すぐに呼んで!」

 墓参りを終え、宿泊先のホテルへ兄妹は戻ってきた。ラウンジのソファーに座ると、明秀は口を開いた。
「みんなには話さなかったけど、叔父さんの行動について分かったことがあるんだ。それをおまえに知らせておくよ」
「叔父さんの行動?」
 弓子が言うと、兄は頷いた。
「叔父さんのカード入れからは、Q市の図書館の利用者カードも出てきたんだ。病院の診察の帰りに、叔父さんは図書館へ立ち寄っていたらしい」
「…………」
「叔父さんがどんな本を読んだり借りたりしていたのか興味があったので、その図書館へ行き、職員に尋ねてみた。すると、叔父さんのことを覚えていた人がいて、こう答えてくれた。奥津さんは本を探したり読んだりするのではなく、いつもパソコンの利用席に座っていました。どこかのサイトにアクセスして、それを読んでいたようです」
「…………」
「それは何というサイトですか、どんな内容の記事ですかと訊いてみたんだけど、職員はそこまでは知らなかった。だけど、叔父さんの口から一度だけこう聞いたのを覚えていた。私の姪は回文が上手なんですよ、と」
「えっ……」
「いつも無口な叔父さんが言葉を発したので、職員の記憶に残ったんだろうね。回文のサイトって、弓子、心当たりはあるの?」
「私のブログ。そのなかで『回文エブリデイ』という記事を連載していたの。今は休止状態になってるけど……。叔父さん、弓子という名前と、プロフィール欄を読んで、私が書いていることを知ったんだわ」
「そうか。コピーライターは言葉の職人だものな。おまえの記事を叔父さんが楽しそうに読んでいる様子を想像すると、なんだかとても嬉しくなってくるよ」
「叔父さん、楽しんでくれたかしら? 喜んでくれたかしら?」
 妹の問いかけに、
「もちろんさ。可愛い姪の作品だもの。言葉の持つ力は偉大だな。一千キロの距離を超えて、人の心を動かすんだから」
 兄はそう答えた。
 


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