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将棋小説「三と三」・第31話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 順位戦のB級リーグに参戦した幸三は、六月の対局を五勝一敗の好成績で乗りきり、早くも首位に立った。
 ほぼ三年ぶりに実戦を指してみて気づいたのは、戦争による空白にも関わらず、将棋が衰えるどころか、いっそう強くなっていることだった。
 これは戦地で死線を掻いくぐった経験が、自分の精神力を逞しくしてくれたのだと、幸三は考えた。死と隣り合わせの日々の中で、打倒木村の執念が、自分の闘志を盛んにし、将棋を強靭なものにしたのだ。
 対局場として使われたのは、東京・麻布の若松寺。その本堂にある八畳と六畳の二部屋に、それぞれ二組ずつ盤、駒、駒台が設置され、八名の棋士による四局の対戦がいっせいに行なわれた。
 むろん宿泊施設などはない。幸三のように汽車に乗って上京してくる者たちは、寝袋にくるまるなどして睡眠を取った。まるで野宿だが、内地と戦地、足掛け六年も軍隊にいた幸三はまったく苦にならなかった。
 広島に戻った彼は、九月以降の対局に備えて引き続き健康の増進と滋養の強化に努めたが、ある日、ふと阪田や谷ヶ崎のことが頭に浮かんだ。
 元気にしているだろうか、さんきい先生は、谷ヶ崎社長は。無事に、戦火を逃れただろうか。
 そう思うと、居ても立ってもいられなくなり、七月の末に幸三は大阪へ向かう汽車に乗りこんだ。
 
 ところが東住吉区の阪田の家を訪ねると、老師は他界していた。それが、つい十日前のことであったと遺族から聞かされて、ああ、もっと早く会いにくるのだったと、幸三は悲しみをつのらせた。
 涙を流し、仏壇に手を合わせて、幸三は念じた。さんきい先生、あなたのご存命のうちに木村を平手戦で倒してご覧に入れたかったのに、その願いはついに叶えられませんでした。木村に挑戦するのは、今のB級順位戦を勝ち抜いてA級に昇級し、それをまた勝ち抜いてからになります。再来年の春に開催される名人戦が、その舞台となりますが、七番勝負では必ずや木村を討ち破り、先生の果たせなかった名人就位を、この私が成し遂げてみせます。その日まで、先生、しばらくお待ちになってください。
 顔を上げ、遺影を見つめると、「そないに長うは待たれへんがな」と、阪田が言ったような気がした。
 そのとき、部屋の襖が開いて、谷ヶ崎の姿が現れた。幸三と目が合うと彼は驚き、それから笑顔になって言った。
「三年ぶりやな、升田君。戦地から生還したんは順位戦の新聞記事で知ってたけど、とても元気そうで何よりや。泉下の阪田先生も、きっと喜んでいやはることやろ」
 そう言うと彼は幸三と入れ替って仏壇の前に座り、手を合わせた。かつては六尺あった背丈は縮み、豊かだった銀髪は薄くなり、瀟洒だった身なりは茶褐色の国民服姿に変わっている。その様子は戦時下で彼が被ったであろう様々な苦難を、幸三に感じさせずにはおかなかった。
 拝礼が終わると、幸三は声をかけた。
「谷ヶ崎社長、再会できて、とても嬉しいです。お幾つになられましたか?」
「七十五や。何とか生きてますわ。会社が焼けて廃業したよってにもう社長やおまへんけどな。升田君は幾つになったんや?」
 その問いに、
「二十八です。これから順位戦を二期勝ち抜いていかなくてはなりませんから、木村と勝負して倒すには、三十まで待たざるを得ないのが悔しいところです」
 そう幸三が答えると、しばらく沈思黙考したのち、谷ヶ崎はこう言った。
「そないに待たんでもええやろ。今年中に木村をやっつけることがでけるかもしれへんで」
「えっ……」
「升田君、『新大阪』という新聞を知っとるか?」
「新大阪……?」
「今年の二月に創刊された夕刊紙でな。娯楽の情報に飢えた読者のために、いろんな企画を立てて意欲的にやってる。その編集局長というのが、その昔、この僕が何かと世話を焼いた男なのや。そこに新企画として持ちこんだらどうや。例えば『木村・升田五番勝負』なんて、ウケると思うでえ」
「木村・升田五番勝負! それは凄い! ぜひ指したい!」
「よっしゃ、善は急げや。今から新聞社へ行こうやないか」
 
 大阪市西区川口。新大阪新聞社の応接室で、にこやかな顔をした編集局長が二人にこう言った。
「谷ヶ崎先生、升田先生、よくぞ訪ねてくれはりました。実はこっちから出向いて対局をお願いしよう思うていたところだったんだす。『木村・升田五番勝負』、ぜひやりましょう。さっそく将棋大成会の本部に打診してみますよってに」


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