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将棋小説「三と三」・第13話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 昭和十二年二月五日、京都。
 南禅寺内の大書院、南禅院に設けられた対局場に六名の姿があった。対局者の阪田三吉、木村義雄。立会人を務める観戦記者の菅谷北斗星。棋譜を採り、持ち時間の消費を計る記録係の山本武雄、高柳敏夫の両少年。それに、阪田の付添人、長女のタマエである。
 総檜の薫香馥郁たる新書院は「南禅寺の決戦」と銘打たれ日本中が注目する大勝負の舞台にふさわしく、枯山水の前庭に厳冬の朝陽が差しこむ中、先手の木村の駒音がピシッと鳴った。
 7六歩と角の道を開けた初手の駒から指を放すと、木村はじろりと鋭い目つきで阪田の顔を見た。底光りのする、金縁眼鏡の奥の不気味な瞳。
 その視線を大きな額で受けとめて十八分の考慮の後、阪田の手はすっと盤上の右端に伸び、9四の桝目の中へ歩を動かした。将棋史上、何人も指したことのない奇想天外な一着として、後世まで語り継がれてゆく「阪田の端歩突き」だ。
 その手を見て、木村は凝固した。なぜならば、こんな手は将棋に有りえないからだ。後手番の上に、開始早々の端歩突きは大局的に無意味に等しく、阪田は自ら二手の損をした勘定になる。何か特別な狙いを秘めた手なのか? 何か罠でも仕掛けてきたのだろうか?
一時間近い長考の後、木村の口から笑い声が出た。
「ふっふっふっ。分かりましたよ、阪田さん、あなたの考えていることが。どう指そうが、所詮この木村に勝てるはずがない。それならば、いっそのこと万人受けの珍手を指し、負けたのはその趣向のせいであったと対局後に触れ回るつもりでしょう。ふっふっふっ。棋神・阪田三吉、かくも老いたり」
 そう言いながら、ビシッと駒音を立てて、木村は中央の歩を前へ進めた。相手の端歩突きを無意味にし、大局を占めてしまおうという、まさに理に適った一着だ。
 阪田は木村の嘲笑と面罵に動じる気配もなく角道を開け、木村は中央の歩をもう一つ前の桝目へ進めて、昼食休憩の時間となった。両者は、それぞれの控室へ向かった。
 健啖家の木村は、境内にある料亭から美食弁当を取り寄せ、ガツガツと食った。阪田には、京都在住の後援者が湯葉や野菜の浸し物などの精進料理に、生卵、半炊きの粥を庫裡へ差し入れ、それにタマエが手を掛けて給仕した。
「好物の牛肉やのうて、ええの? お父ちゃん」
 三十歳になる愛娘の気遣いに、
「このお寺に居てる限り、わては修行僧や。美味しいのんより浄いのんが肝心なのや。お寺で肉食はあかん、精進料理でよろし」
 阪田は微笑んで答えた。
 昼食後、阪田はタマエと一緒に寺の廊下で日向ぼっこをしながら英気を養い、木村は一人、秘策を練るかのように暗い本堂をぐるぐる回って歩いた。
 昼食休憩の時間が終わり、六名が対局場へ戻った。勝負、再開。阪田は左の銀、木村は右の銀を、おのおの前線へ繰り出していく。
 両者とも一手ごとに長考を重ね、まだ総手数が十を超えたばかりなのに、陽はどんどん傾いて夕刻となった。まるで京都の一年中の寒さがこの時期に集まったかと思われるほどの、二月上旬の厳寒である。対局場の隅には石炭ストーブが焚かれ、阪田も木村も厚手の紋付羽織を着て盤に向かっていたが、気を利かせた僧たちが火鉢を二つ運んできた。
 それを見た阪田は、
「せっかくではございますが、火鉢は要りまへん。火鉢にあたるようなノンキな将棋やおまへんさかいに。命懸けの将棋でおますさかいに」
 ピシャリと言って、下げさせた。木村は無言。紋付羽織の内側に真綿をたっぷり入れたものを着て、スズメのような姿になって座っている。
 そして、十五手目。木村が七十三分を投じた6八玉の手で、第一日目の対局が終了した。

 二月六日、お乳の家。
 朝早くから、幸三と谷ヶ崎は将棋盤を挟んで向かい合いに座り、駒を並べて動かしていた。主催する新聞社の紙面に掲載された昨日の棋譜、ただこれだけが、南禅寺で戦っている阪田と木村の勝負の中身を知るよすがなのだ。
 昨日指された、十五手の展開。それを最初から盤上に再現し、また元に戻して、最初から並べ直す。その繰り返しを通して、二人は進行を知り、内容を評価し、今後の展開を予想しているのだ。
「なあ、升田君」
 谷ヶ崎が言った。
「新聞は南禅寺の決戦の報道だらけで、まるで社会的大事件の起きたような騒ぎやけど、それというのも阪田先生の突きはった端歩のせいや。いろんな棋士たちがこの手について講評してるけど、総じて無茶な手だの苦茶な手だの、評判の悪いことこの上ないで。実際のところ、この手の意味が僕の棋力ではよう分からん。素人にも分かるように、教えてくれへんか」
その声に、一呼吸おいてから、幸三は口を開いた。
「新手ですよ、この端歩突きは」
「新手?」
 訝る谷ヶ崎を諭すように、幸三は話した。
「そう、新手。いまだかつて誰も指したことのない新しい手です。近代の将棋では東京方の棋士たちが中心となって、理論的な序盤戦術の研究を続けてきましたが、それらの定跡は将棋という広大無辺の宇宙においては、か細い糸のようなものに過ぎません。将棋という大宇宙は、無限の指し手の可能性を秘めているのだと私は常々考えているのです。いくら理論的な利益があるからと言って、人真似の手ばかりを指していたのでは、少しも進歩がないでしょう。自ら進んで創造の世界に踏み入り、自由に発想をし、まったく新しい将棋を生み出してみせる。そのような、新手を追究する棋士人生を、私自身もまた送っていきたいのです」
「なるほど、新手一生やね」
「そう、新手一生です。この対局に際して、アッと驚くような阪田将棋を見せたると、さんきい先生がおっしゃっていたのを覚えていますか。それが、この端歩突き。さんきい先生の新手ですよ」
「そうか、阪田先生は新手を遊んではるのやな」
「そうです、さんきい先生は新手を楽しんでいらっしゃるのです」
 幸三の話に納得の表情を浮かべたのち、谷ヶ崎は訊いた。
「ところで、この将棋、この先どないな展開になるのやろ?」
 その問いに、幸三は盤上の駒を操りながら答えた。
「さんきい先生の次の手は、おそらくこうでしょう」
 阪田陣の飛車を、相手の飛車のいる2筋へ幸三は転回させた。
「先生お得意の向飛車戦法です。それから金をここへ、銀をここへ上げて、戦いを起こすのです」
 説明しながら、駒を動かしていく。
「気になるのは、玉の守りが弱いこと。木村は好機に5筋の歩を突いてくるでしょうから、せめて玉をここまで移しておきたい。ここまで運んで安全にしておいてから、戦いを起こしたい」
 そう言いながら幸三は、7二の桝目を指先で突っついた。

 同日、京都。
 南禅寺の対局室では、第二日目の戦いが開始されていた。
 幸三の予想した通り、阪田の指し手は2二飛。これに対して木村は、三十九分考えて、4筋の歩を突いた。阪田からの開戦に備えた手だ。阪田、金を飛車の横へ上げ、攻めの布陣を敷いていく。木村、四十四分を費やして、左の金を上げ、防戦態勢を整えていく。
手番を迎えた阪田は、傍らに付き添う長女に声をかけた。
「ええか、タマエ。お父ちゃんの対局してる姿、よーく見とくんやで。お父ちゃんが命懸けで勝負してる姿、亡くなったお母ちゃんに代わって、よーく目に焼き付けとくんやで」
 長女は無言で頷き、父は駒を動かした。3四銀。幸三の予想通りに、阪田の攻撃態勢は完成した。
 昼食休憩の時間が来て六名は散り、休憩時間の終了とともに戻ってきた。
 木村、7八玉と、安全地帯へ玉を移す。阪田、6二金と、玉の囲いを作る。木村、6八銀と、玉の脇を固める。阪田、六十一分の長考の後、玉を囲いの中へ近づける、7一玉。木村、ピッタリ六十一分の長考のお返しで、防御から反撃をも含みに、4七金。
 日が暮れてきた。寒さが増してきた。体に凍みこむような寒さ。堪らず、阪田、昨日は断わった火鉢を持ってきてくれと頼んだ。
 その様子に、
「ほう。ご老体は正直だ」
 木村が冷たい声で言った。
 運ばれてきた火鉢にあたりながら、阪田は次の手を考えている。十分、二十分、三十分が経っても、考えている。四十分、五十分、六十分が過ぎても、考えている。考えているのは、幸三の推奨した7二の桝目へ玉を移し安全にしてから攻撃を開始する自重策か、それとも玉を不安定な現在地に置いたまま直ちに攻めかかる積極策か。七十分が経ち、八十分が過ぎ、八十八分になったとき、阪田の手が動いた。2四歩。玉の危険は承知で、戦闘開始だ。
 木村、すかさずその歩を取り、阪田、角で歩を取り返した。

 二月七日、お乳の家。
「あーっ、やってしまった」
 掲載紙の棋譜を見て、幸三が声を上げた。
「木村の5四歩突きが襲ってくる……」
 頭を抱える、幸三。その向かい合わせに座った谷ヶ崎が、
「記事によると、大好きな牛肉を断って、青物を食べて精進してはるそうやのに。阪田先生、なんで血気に逸うてもうたんやろ……。玉をしっかりと囲う辛抱がでけんかったんやろ……」
 と、低い声で呻いた。

 同日、京都。
 第三日目を迎えた対局場で、阪田は長考に沈んでいた。
 盤の上には、木村の突いた5四の歩があった。その歩は、阪田の心をも深く突き刺していた。
苦吟、呻吟、愁吟しても、応手は浮かばず、阪田が一手も指さぬまま昼食休憩の時間となった。
 再開しても、阪田は指さない。大きな頭を、盤上を覆うように前傾させて、ただひたすらに読み耽っている。それは優位を拡大するための沈思ではなく、劣勢を挽回するための黙考だ。苦悩、懊悩、煩悶、憂悶。父の横顔を暗く陰らせていく苛みの連続に、付き添いのタマエはとうとう耐えきれず、その場を離れ、控室へ引き上げ、端座瞑目した。そして、父の勝利のために祈り始めた。
 午後四時。三百六十分の大長考を経て、ようやく阪田は駒を動かした。3三桂。桂馬を跳ねて、敵角の睨みから自陣の飛車を守ったのだ。
 その手を見て、こんどは木村が熟慮に入った。金縁眼鏡の奥の目の輝きが示すように、その時間は阪田とは正反対に、楽しいものであるのに違いない。
 百二十八分後、木村が着手した。3六歩。阪田苦渋の桂跳ねを、さっそく咎めに出たのだ。
 ここで第三日目の対局が終了した。両者の長考の応酬で、たったの三手で日が暮れてしまった。初日からの累計消費時間は、先手の木村が十六時間二分、後手の阪田は十六時間二十三分。
「どうやら優勢がはっきりしたようだ。今夜は酒でも飲みながら、頼まれている原稿を書くとするか」
 そう言って、木村は対局場を出た。

 二月八日、お乳の家。
「やはり、木村は5四歩と来よったか。それに対して3三桂に三百六十分とは、阪田先生も、どえろう考えはったものや」
 新聞の棋譜を見ながら、谷ヶ崎が、感に堪えないという面持ちで話した。
「六時間とは驚きですが、他にこれといった手がなかったのでしょう。5四同じく歩と取るのも、4三金と上がって受けるのも、2五歩と打って飛車先を止めるのも、いずれも先生が悪くなってしまいます。3三桂跳ねは、やむを得ない応手ですね」
 変化の手順を、盤面の駒を動かして、幸三が解説してみせた。
「そこへ、3六歩。さすがは木村、機敏な一着です。これに対して同歩と応じるのは、同じく金と攻めに出てこられて、3五歩と受けても2五歩と角取りに打たれ、先生がいけません」
「なるほど。ほなら、どう応じる?」
 谷ヶ崎の問いに、幸三はしばらく考えた後、
「2六歩とでも打ちますか。しかしそれも、3五歩と取りこまれ、同角に3六金と進出されて面白くないな。うーん、さんきい先生、苦戦です」

 同日、京都。
 第四日目の盤面では、幸三が思いついたのと同じく阪田の2六歩が打たれ、幸三が面白くないと言った通りの手順で木村の金が3六の桝目へと進出した。
 苦戦の阪田、百四十三分を使って玉を7二の桝目へと移す。その手は、一昨日にお乳の家で幸三が指摘したように、攻めを自重して十手前に指すべき手であった。つまり勇猛策かと思われた阪田からの開戦が、実は無謀策であって、遅ればせながらの7二玉は、自ら非勢を認めていることを木村に白状する一手でもあった。
 木村、百六十一分を考えて、5三歩成。初日の阪田の端歩突きを嘲笑って指した5六の歩が、5五、5四と一歩ずつ前進して、どうとう「と金」に成った。
 やむなく阪田、それを金で取り払ったが、玉の守りが大きく乱れた。木村、自分の金と相手の角との交換を、いつでも実行できる権利として持ったまま、じっと飛車先を押さえる、2五歩。阪田、乱れた玉の守りを少しでも繕おうと、6二銀。
 四十手まで進んで、対局は終了した。

 二月九日、お乳の家。
「苦しいなあ……」
 と、谷ヶ崎が言い、
「苦しいですね……」
 と、幸三が応じた。
 二人は座布団から立ち上がり、南の縁側から表へ出た。梅の古木には、ぽつぽつと、蕾たちが開花のときを待っている。

 同日、京都。
 対局は、第五日目を迎えた。木村の攻撃は盤上に容赦無く寒風を巻き起こし、阪田の反撃の希望の蕾は一向に開く気配を見せない。
 角と金を交換され、その角を好所に打たれて、非勢から敗勢への下り坂を阪田は転がり落ちている。
 気力を奮い起こして並べ打った防戦の二枚金も、意表を突く銀捨ての強手に遭い、敗色を濃くする結果となった。
 3三の要所に、と金を作られ、それが金を食いちぎって、守りの薄い玉に迫ってくる。早くも寄せを見た木村の三手の間に、阪田は飛車を浮き、飛車を寄り、敵陣深く3九の地点へ成りこんだ。

 二月十日、お乳の家。
「飛車は成りこんでも、こんだけの大差。いわゆる、形づくりという手やな」
盤面をぼんやりと眺めて、谷ヶ崎が諦めの声で言った。
それには耳を貸さず、幸三はじっと、駒の配置を見つめている。十分も、二十分も、凝視している。
「さっきから何を考えとるんや、升田君。今さら考えこんだって、死んだ子の年を数えるようなもんだっせ」
 谷ヶ崎の問いかけに、
「いや、まだ死んではいませんよ、さんきい先生の駒たちは」
 意表の言葉で、幸三は答えた。
「何やて?」
「狙っています、さんきい先生は」
「狙ってる? 何を?」
「大逆転の、頓死ですよ」
 そう言うと、幸三は盤上の駒を動かしながら説明を始めた。
「この局面、確かに負けです。ところが、一つだけ、さんきい先生の勝ち筋があります。次の木村の指し手は、6一銀。それを玉で取らせて、8二金と打ちこめば、あとは手数は掛かっても木村の勝ちです。ところが、もしも木村が欲をかいて、金を二枚手にすれば、8二金と打ちこんだ時点でさんきい先生にはもう受けがない。完全必死で、終了です。その二枚目の金は、ここにあります」
 そう話して、幸三は4六の桝目にある阪田の金を指差し、それから2六の桝目にある木村の飛車を突っついた。
「もしも木村が、この飛車で金を取り、さんきい先生が同じく金と飛車を取って応じたのちに、木村が8二金と打ちこめば……」
「打ちこめば……?」
「木村の玉は詰まされます。頓死です。さんきい先生はそれを狙っているのです」
「ほ、ほんまか……?」
 瞳を輝かせる谷ヶ崎に、幸三は駒を操り、三通りの詰み手順を示してみせた。それぞれ、十一手詰め、十三手詰め、二十五手詰め。
「ほ、ほんまや! どう玉を逃げても詰んでる! さ、阪田先生の勝ちや!」
 興奮を隠せない谷ヶ崎に、
「あくまでも、木村が飛車をくれた場合の話ですよ。持ち時間も残してるし、果たして、木村がそんな過ちを仕出かすかどうか……」
 そう言うと、幸三は縁側の外に広がる早春の空に視線を転じた。

 同日、京都。
 第六日目の対局は、予想通り、木村の6一銀で始まった。阪田、同じく玉と銀を取る。そのときだった、木村が声を発したのは。
「飛車なんて、あげませんよ」
 意地悪な笑みを浮かべて、8二の桝目に金を打ちこむと、
「頓死など、してあげませんから」
 木村は、そう言い添えた。
 その金を見て、阪田の頭ががくんと垂れた。老雄の命運は、尽きてしまった。
 だがしかし、それでも阪田は指し続けた。7一の桝目に、銀を引いて受ける。玉を逃がし、守りの銀を打ち、さらにまた玉を逃がしていく……。

 二月十一日、お乳の家。
「甘うなかったな、木村は」
 谷ヶ崎が言った。
「甘くなかったです、木村は」
 幸三が応じた。
 二人は縁側に立ち、春雨が降るのを眺めていた。盤と駒は片づけられ、新聞も折り畳まれて、座布団の上に置かれていた。もはや、研究の必要はない。今日もまた、京都では最終日の対局が行われているのだが、すでに勝負の終わっていることを、二人は分かっているからだ。
「南禅寺へ行きませんか」
 幸三がそう言い、
「そうやな、行こか、南禅寺へ。よう戦った阪田先生をお迎えに」
谷ヶ崎が同意した。

 同日、京都。
 夕刻前の南禅院から、二つの傘が姿を現した。紺の蛇の目は父親の、赤の蛇の目は娘のだ。ゆるゆると、寄り添うように進んでくる二つの人影に、幸三と谷ヶ崎は近づいていった。
 七日間を戦い抜いた六十八歳の、短い頭髪は白くなり、太かった首筋は痩せて見えた。
「さんきい先生の将棋、存分に堪能させていただきました」
 幸三はそう言うと、小さな紙袋を差し出した。それは、こぼれ梅の入った袋。ここへ来る、参道の店で買ったものだった。
 阪田は手を伸ばし、袋の中身をひと摘まみすると、それを口の中へ入れた。
 再び開いた老雄の口から、小さな声がこぼれ出た。
「わては不味い将棋を指してもうたけど、こぼれ梅はほんまに美味しいなあ……。わての心は苦いまんまやけど、こぼれ梅はほんまに甘いなあ……」


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