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小説「けむりの対局」・第3話

勝のは、どっちだ? 升田幸三 vs 人工知能




 人間界では、時が二日ほど進み、第四回電人戦の前日を迎えていた。日本将棋協会本部ビル五階の特設フロアでは、対局会場の設営作業が、朝から進められていた。
 インターネット中継用のカメラやプロジェクター、コンピュータ将棋の「指し手」となるアーム型ロボット、「頭脳」を動かすハイスペック・パソコンをはじめ、さまざまな機材が搬入され、据えつけられていく。
 慌ただしい風景のなかで、一人の男の存在が周囲の目を引いた。コンピュータ将棋史上最強ソフトの呼び声が高い「戦友」の開発者、
早見俊介である。
 急ピッチで動いているセッティングの人員たちと対照して、この早見だけが、静かに、悠然と、明日の対局準備を進めている。
 電人戦が定めているハードウェアの統一規格をクリアし、なおかつ最速に演算を行うCPUと、64ギガバイトもの大容量の高速メモリを搭載したマシン。この動作環境にふさわしい見事な戦いぶりを、自分の生み出した「戦友」がいかんなく発揮してくれるよう、早見は最終調整を行っているのだ。
 帝都大学に在学中は、将棋部の選手として、全国大会でも活躍。早見の棋力は、アマチュアの五段を超える。情報工学者の道を歩みはじめてからは、人工知能の研究に励み、フィールドワークの一環として将棋ソフトのプログラミングに専念。ついに三年前、戦友の開発に成功した。
 コンピュータ将棋大会にデビューするなり、戦友は並みいる強豪ソフトたちを次々となぎ倒し、またたく間に最強ソフトの座を獲得した。それ以降も年々バージョンアップを重ねていき、ただいま同大会を四連覇中。
 第一回電人戦での完勝に始まり、第二回そして第三回においてもプロ棋士チームの大将を圧倒したのは、この戦友にほかならない。そして、明日の第四回電人戦最終局。戦友の標的は、日本将棋協会の最後の駒、深川秀夫名仙だ。
 色白の細面に、きりりとした眉、黒目勝ちの大きくまるい両目。まだ三十になったばかりの、この天才プログラマーは、以前の記者会見でこう述べたことがある。
「僕の仕事は人工知能の研究であり、将棋はその研究対象の一分野にすぎません。言ってみれば、遊びのようなものですね。僕個人の棋力は、将棋のプロの先生方には遠く及びませんが、一緒に遊びながら戦ってくれる強い友だちさえいれば、棋士の皆さんにも容易に勝つことができる。その友だちが、戦友なんです」
 開発したソフトのネーミングの由来を語りながらの会見に、多くのプロ棋士たちが激怒した。
 だがしかし、実戦において棋士たちが行う形勢判断をさらに正確に実行できる評価関数の設定に優れ、これまでに数多の棋士たちが残してきた膨大な分量の棋譜を分析しながら、自動的に将棋の勉強に励むことのできる機械学習の方法を最も効率的に採りいれた戦友は、事実トップクラスの棋士たちを撃破しつづけているのである。
 それゆえ最初のうちは地団太を踏んでいたものの、認めたくない実力の差という現実を、認めざるを得なくなったいま、棋士たちの感情は、怒りを通りこし、畏敬の念にさえ変わりつつあるのだ。
 対局会場の設営作業は、順調に進んでいる。
 フロアの向こうから、朝比奈会長が、早見のもとへ歩み寄ってきた。そして、やや青ざめた顔に愛想笑いを浮かべながら、
「どうですか、調子のほうは?」
 と訊いた。
 早見は、パソコンの画面から顔を上げることなく答えた。
「順調です。明日は、日本将棋協会にとって、最悪の一日となるでしょう」
 
 
 
                          
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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