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みかんの色の野球チーム・連載第28回

第3部 「事件の冬」 その11

 
  私の悲しみは、3日後に、癒された。
 その夜、「ザ・ニュースおおいたセブン」の放送中。
 いつものメガネのアナウンサーの口から、音吐朗々と発せられたコメントは、コタツの中にだらしなく寝そべっていた私を跳ね起こさせた。
「県民の皆さまに、たいへん嬉しいお知らせです。第39回選抜高校野球大会の出場校を決める最終選考委員会が本日午後、大阪市内で開かれ、我らが郷土の津久見高校が初めて選ばれました」
 反射的にコタツから飛び出した私は、父の仕事部屋のドアを開け、大声で叫んだ。
「たいへんじゃあ! 津高がセンバツじゃあ!」
 背広のボタン付けをしていた父は、私の絶叫に驚き、縫い針を親指に、ズブリ。
「あいたたーっ! 津高がセンバツ! あいたたーっ! そりゃたいへんじゃあ!」
 指をくわえて、部屋からテレビの前へすっ飛んだ。
「……という訳で、本日は特別ゲストとして、この方にスタジオにお越しいただきました」
 アナウンサーの声とともにカメラが引くと、画面に現れた人物がまたまた私たちを驚かせた。
「あーっ! 監督じゃあ!」
「おーっ! 小嶋のニイちゃんじゃあ!」
 ユニフォームを着ていなくても、野武士のような顔は、一目瞭然だった。
「……津久見高校野球部の小嶋仁八郎監督です」
 アナウンサーが画面に向かって紹介した後、隣に座ったゲストに語りかけた。
「監督、このたびは、おめでとうございます」
「はい、おめでとうございます」
 ぷぷっ。人を食ったような受け答えに、私は噴き出した。
「全国から選ばれた24校(※注1)の中に、みごと、津久見高校が入った訳ですが、率直に、今のお気持ちは?」
「はい、率直に、嬉しいです」
 ぷぷぷっ。こんどは父も噴き出した。
「津久見高校としては初めて、大分県勢としても実に18年ぶりのセンバツ出場となった訳ですが、正直なところ、監督、今回選ばれる自信のようなものはお有りでしたか?」
「はい、当然、選ばれるものと思っておりました」
おっほー。私と父は、賛嘆の息をもらした。
「あのう、通常ですと、選出されるには、九州大会でベスト4に入るというのが基本的な目安になっていますよねえ。ところが津久見高校は、2回戦で敗退しています。条件的には、かなり厳しいものがあったのではないかと思われるのですが……」
「いいえ、そんなことは、まったくありませんでした」
「えっ。そ、そうですか。な、何か、根拠のようなものが……?」
「はい、根拠ありです。九州大会を制したのは熊本工業ですが、ウチは2回戦でその熊本工業と対戦し、1対2で惜敗したものの、試合の内容では圧倒しておりました。優勝したチームを圧倒したのだから、ウチが選ばれない訳などないでしょう」
「な、なるほど。そ、それは確かに、根拠と言えなくもありませんね……」
「それだけでは、ありません」
「は……? と、言いますと……?」
「ウチは、国体で準優勝しました」
「あ、そうそう、そうでした。準優勝しましたよねえ、国体で。あれは、みごとな戦いぶりでした」
「その通り。決勝戦は0対1で松山商業に惜敗しましたが、やはり試合内容では圧倒です。国体優勝チームを圧倒したのだから、ウチが選ばれない訳などないでしょう」
「な、なるほど。い、言われてみれば、まさにその通りですよねえ……」
「しかもその国体では、浅田と吉良が、実に良く投げた。これまでの通算防御率は、浅田が0.30、吉良が0.74。どうです、すごいでしょう」
「あ、そうそう、そうでした。浅田投手に、吉良投手。津久見高校の誇る、2人のエースですよねえ。浅田投手の速球は外角低めにビシッと決まるし、吉良投手のドロップなんか、30センチくらい落ちるんではないですか?」
「吉良のドロップは、1メートル落ちます」
「い、1メートル! ほ、ほんとうですか!」
「嘘です」
「え……? あ、あはは……。小嶋監督は、ご冗談がお好きなようで……」
「打撃のことは、訊かんのですか?」
「あ、そうそう、そうでした。キャプテンの山口選手を筆頭に、3割打者がズラリ。通算のチーム打率は、たしか3割6分で、九州随一の破壊力。今回の選出にあたっては、この素晴らしい打撃力も評価されたことは間違いありませんねっ」
「3割6分じゃなくて、3割6厘」
「あ、ど、どうも、失礼しました……」
「打線は、例年よりは小粒です。それでも、夏場に比べたら、ちっとはマシになりましたけどね。今年の津久見は、投手力を軸にした総合力のチーム。そう、ご記憶いただきたい」
「なるほど、投手力を軸にした総合力のチーム、ですか。ところで監督、今回選出された24チームを見ますと、史上最強と噂される京都の平安高校を始め、いずれ劣らぬツワモノ揃いです。激戦必至のこの中で、ずばり、津久見高校の目標は?」
「目標ですか。目標ねえ……」
「過去5回出場した夏の甲子園では、2度のベスト8に輝いていますが、初出場のこの春、果たしてどこまで勝ち上がれるか。私のみならず、大分県民なら誰もがお訊きしたいところでしょう」
「そうですなあ……。ベスト8はもう飽きたから、それ以上、ということにしときましょうか」
「ベスト8以上! と、いうことは……」
「そりゃあ、あんた。ベスト4か、準優勝か、優勝に決まっとるでしょうが」
「ベスト4か、準優勝か、優勝! おお! 期待して、よろしいでしょうか?」
「はい、よろしいですよ。津久見市民の皆さんも、大分県民の皆さんも、全九州の皆さんも、大いに期待してください。われわれ津久見高校は、九州の代表として選ばれました。甲子園では、九州男児の名に恥じない戦いぶりを、皆さんとイッパチローさんにぜひともお見せしたいと思っています」
「イッパチローさん?」
「はい、小嶋一八郎さん。私の父親です。オヤジの名前がイッパチローで、セガレの私がニハチロー。面白いでしょう?」(※注2)
「…………」
「あ、面白くなかったですか。これは、失礼。甲子園では、面白い試合をお見せします。皆さん、どうぞ応援してください」
「……あ、はい、はい。それでは皆さん、3月29日に開幕する、選抜高校野球大会。我らが津久見高校の活躍に期待しましょう。小嶋監督、今夜はお忙しいところを、どうもありがとうございました」
 テレビの画面がコマーシャルに変わった後も、私と父は笑い転げていた。
 津高のセンバツ出場決定の知らせだけでも最高なのに、サービス精神いっぱいで、抱腹絶倒の小嶋監督のスピーチまで聞けて、私の気分は超最高だった。
「小嶋監督っち、こげな面白え人じゃったん?」
 ようやく笑いが止まった私が訊くと、
「ああ。選手の前では、鬼の仁八郎じゃあけんど、みんなの前では、お調子者のニイちゃんち言われて、昔から有名でのう。人を笑わせたり、からこうたりするのが趣味みたいな面白えオッサンよ」
 まだまだ笑い足りないといった表情で、父が答えた。
「良かったなあ、とうちゃん!」
「良かったのう、太次郎!」
 良かった。ほんとうに良かった。私の思いは、その一言に尽きた。
 ユカリの転校とともにどこかへ消えて行ってしまった私の希望が、オレンジソックスの活躍という希望に姿を変えて、私のもとへ戻って来てくれたのだ。
 あの、雪の日。
トレーニング中の前嶋選手から聞いた、小嶋監督の言葉を、私は思い出していた。
 いつ試合が始まってもいいように、準備だけは怠るな。
 その「試合」が、2か月後に、ほんとうに始まるのだ!
 いよいよ開幕するのだ、私たちの、みかんのチームの甲子園が!
 思い返せば、なんと事件の多い冬だったのだろう。
 聞いてしまった、ブッチンの父親の秘密。
 行方不明になってしまった、ユカリ。
 英雄になってしまった、フォクヤン。
 失脚してしまった、ヒゲタワシ。
 そして、東京に帰ってしまった、初恋の人。
 たいへんなショックを受けたり、気が狂いそうなくらい恐ろしくなったり、どうしたらいいのか分からなくなったり、目を疑うほどビックリしたり、煮えくり返るみたいに怒ったり、涙が出そうになるくらい悲しかったり、何かが起こるたびに、私の心はあっちこっちへ振り回された。
 ほんとうに、事件だらけの冬だった。
 だけど、いちばん最後に起こったのは、これから先、何回でも何十回でも何百回でも、繰り返して起きてほしい、最高に嬉しい事件だった。
 
 
 
(※注1)現在は32チームで競われている同大会だが、この当時の出場チームは24校だった。
(※注2)本当の話である。


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