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将棋小説「三と三」・第7話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 翌、昭和十一年。二月二十六日の早暁に、武力による政治改革を企てた陸軍の皇道派青年将校たちが、千四百余りの兵を率いてクーデターに踏み切った。彼らは高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監らの要人を殺害し、永田町一帯を占拠したが、陸軍当局によって三日後に鎮圧された。  
 この二・二六事件は、天皇による親政を望む皇道派と、政府への合法的な圧力を用いて軍部主導の政治体制を実現しようとする統制派の、陸軍内部における派閥抗争に他ならなかった。
 そして今、将棋界もまた派閥抗争の渦中にあった。前年に、阪田三吉一派の実力者・神田辰之助七段が、関根名人率いる東京中心の将棋連盟に対してクーデターを起こし、八段陣に戦いを挑んで七戦全勝。七段陣に対しては三勝四敗だったが、合計十勝四敗と東京方を圧倒し、さあさあ俺も八段にしろ、俺も第一期実力制将棋名人決定大棋戦に参加させろと迫ったのである。仰天した棋界は、これを「神田事件」と呼んだ。
 しかし七段たちを相手に一つ負け越したのを言いがかりにして、将棋連盟はこの要求を撥ねつけた。ところが将棋連盟の内部では神田の実力を認める声も次第に大きくなって、ついに昨年の十一月、神田の昇段に賛成する一派は将棋連盟を脱退し、神田らと合流して将棋革新協会なる組織を結成したのだ。将棋界は、将棋連盟と将棋革新協会という二つの派閥に完全に分裂し、互いに睨み合っているのである。
「神田の奴、なかなかやりおるわい」
 初夏の日差しの中、お乳の家の縁側に座って、阪田は満足そうに茶を啜った。
「神田事件でっか。やりましたなあ、辰之助はん。なんせ二十過ぎの頃から阪田先生の配下となり、かれこれ二十年の長きにわたって先生の薫陶を受けてきた男ですからな」
 谷ヶ崎もまた、並んで美味そうに茶を啜り、阪田の言葉に相槌を打った。
 その背後の六畳間には、分厚い将棋盤に向かい、阪田が口述筆記で著した「一手千金 将棋虎之巻」をひもときながら研究に余念のない幸三の姿があった。豊かな栄養の乳をたらふく飲んで、昨秋、幸三は三段に昇っていた。お乳の家の三人は、まことに良い季節の中にいる。
 しかし、ついに関根名人が動いた。向かった先は、三重県の四日市。同じ伊藤宗印十一世名人門下の兄弟子、小菅剣之助邸だった。
 関根より三つ年上の小菅は、まだ八段に昇る前の三十歳の頃から棋界を退いて三重県に移り住み、津や四日市などで米の仲買いや港湾関係の事業を始めた。実業家としての類まれな才覚に、時運をも味方につけて大富豪となり、大正九年には衆議院議員にも選出されたほどの人物である。この偉大なる兄弟子に、関根名人は棋界を分断している二つの派閥間の仲裁をしてほしいと懇請したのだ。
 すでに実業界からも政界からも引退し、隠居をしている七十二歳の老躯だが、関根の哀願に心を動かされた小菅は、六月二十六日に上京すると、直ちに両派の代表者および関係者たちとの話し合いを行なった。そして三日後の二十九日には早くも和解に漕ぎつけ、上野公園の精養軒において手打ち式が行われるという迅速この上ない将棋界の再統一が実現したのだった。
 関根の放った人徳者・小菅の担ぎ出しという勝負手は、双方の諍い疲れの潮時も得て、ものの見事に功を奏し、統一された新しい組織には「将棋大成会」という名前が付けられた。神田は八段昇段と名人決定大棋戦への参加を認められ、さらに将棋大成会大阪支部長にも任じられた。
 こうして、神田事件に端を発した騒動は、将棋大成会結成という果実を生み、日本中のすべての棋士がその会員となったのである。ただ一人、阪田三吉を除いて。

「あかん、神田の奴め、裏切りよった……。なんのかんのと言いながら、結局はこのわてを袖にして、東京方に靡いて寝返って、将棋大成会と仲良しこよしになりよった……。なんちゅう恩知らずや、なんちゅう計算高いやっちゃ……。ああ、もうあかん、わて以外の将棋指しは一人残らず将棋大成会に入ってもうた……。わてはとうとう本物の一人ぼっちになってもうた……」
七月の上旬。まだ梅雨の明けきらぬ曇り空を見上げ、どんよりとした嘆き声を阪田は漏らした。
「そんなことはおまへん。先生には僕を含め、まだまだ大勢の後援者たち、愛棋家たち、それに新聞社がついておますし、棋神・阪田の盛名は、将棋大成会ごときにいささかも後れを取るものやおまへんさかいに」
 隣に座った谷ヶ崎が宥め、
「それに、升田君かて木見門下という立場上やむなく将棋大成会の所属棋士となりましたが、心は阪田門下そのものだす。先日ついに四段に上がりましたが、これはたいへんな出世の早さだす。もはや神田ごとき、気にするほどの男やおまへん。近い将来きっと、この升田君が天下を取って、阪田先生の名誉を不滅なものにしてくれますよってに」
 と、背後の幸三に視線を向けながら、阪田を励ました。
 六畳の間で、阪田の著書「高段棋士 将棋草薙之巻」の内容を盤上に並べ、幸三は研究に没頭している。谷ヶ崎の言葉の通り、彼は快進撃を続け、目覚ましい速度で昇段を重ねていた。初陣から現在まで、公式戦を三十局戦って二十三勝七敗。勝率にして七割六分六厘というたいへんな好成績である。
 幸三は十八歳になっていた。背丈は六尺に届くほどに伸び、谷ヶ崎と並んで立つと、丸刈り頭のほうがわずかに高く見える。成長に伴って鋭い眼光を秘めたまなじりはいよいよ深く、細面であった顔はだんだんと頬骨が張り出してきて、どこか古武士のような剛毅と野性味を帯び始めている。
「全四段登龍戦が楽しみや。なあ、升田君」
 谷ヶ崎が声をかけると、
「全四段登龍戦? なんや、それ?」
 振り向いて、阪田が訊いた。
「東京の新聞社が、臨時の棋戦を企画しましたのや」
 谷ヶ崎が説明を始めた。
「将棋大成会がでけて東西がひとつになって、ふと見渡すと、五段が一人しかおらん。関根門下の土居の、そのまた門下の建部和歌夫だす。ところが四段は、東西合わせて十七人もおる。関東と関西で昇段規定がばらばらやったこともあって、こないな状況になっておますのやが、これでは組織としても好ましうないっちゅうことで、ひとつ棋戦を設けて、成績上位の三名を五段に上げよう、五段の数を増やそういうことになったんだす」
「ふうん」
「まず東西それぞれに予選をやって、関東は十二名の四段の中から五名を、関西は五名の四段の中から二名を選出する。しかるのちにそれら七名を総当りで戦わせ、その結果、上位三名を五段に昇段させる。それが、全四段登龍戦の概要だす。決勝の総当り戦は、この十月から十一月にかけて東京で行われるんだす」
「さよか。それは我らがマスやんにとって、願ってもない好機の到来やな」
 阪田の顔に、笑みが戻ってきた。
「そうだっせ、阪田先生。将棋大成会がでけて、何も悪いことばかりやおまへん。将棋界が大きな組織にまとまったおかげで、これからはいろいろな新聞社と新しい棋戦の契約なんかもでけるようになりまっしゃろ。そしたら将棋界も経済的に潤って、棋士たちへの分配金もちゃんとした給料として増えてって、暮らし向きもどんどん良うなっていくのやおまへんか。そもそも御一新で将棋の家元制度が崩壊してから、将棋指したちの苦難の日々が始まったんだしたなあ。他に仕事を持ち収入のある者たちは兼業で将棋を指していけたけど、将棋しかない者たちは賭け将棋に走るしかおまへなんだ。せやから、将棋指しはバクチ打ちと同じのヤクザな稼業ちゅう冷たい目で世間から見られてきたんでっしゃろ。阪田先生や関根はんのように社会的にも認められ、経済的にも恵まれた名人上手は、ほんの一握り。たいがいの者たちは、今でもヤクザな将棋指しっちゅう視線を多かれ少なかれ浴びせられてるのが、残念ながら現実ではおまへんでっしゃろか。せやけど、こんど将棋大成会ちゅう組織がでけて、日本の伝統娯楽文化を守り続ける立派な団体として認められるようになったら、将棋指しもまた立派な専門棋士、職業人としての確たる地位を得ていけるのかもしれまへんで」
 谷ヶ崎の熱弁を、阪田は黙って聞いていた。それから、ややあって、ぽつりと言った。
「わては、将棋指しのままでよろし。かつては日本一にもなったことのある将棋指し、それでええのや。豊臣秀吉が日本一やったように、この阪田三吉も日本一やった。それでええのや……」
 その寂寞とした口調が気になって、それまで将棋盤に向かい駒を動かしていた幸三は、本を閉じて立ち上がると、顔を阪田のほうに向けた。
 若武者の視線を、両目で受け止めた将棋指しは、しばしの沈黙ののち、先ほどとは打って変わって強い力を言葉にこめ、幸三の目を見つめ返して言った。
「せやけど、マスやん。あんさんは棋士や。これからの時代の、専門棋士や。新しい時代の、職業棋士や。ええか、マスやん。誰からも尊敬される、日本一の棋士になるのやで。日本一の通天閣と同じように、日本一の棋士になるのやで」
「分かりました、さんきい先生。きっと日本一の棋士になってみせます」
 幸三もまた、気迫をこめて答えた。
「その全四段登龍戦、関西予選の相手は誰と誰と誰と誰や?」
「はい。上田四段、神前四段、角田四段、畝四段です」
「ぜーんぶ倒して、東京に行け」
「はい。きっと全勝してみせます。全勝して東京に行き、東京でも全勝してみせます。関東の代表たちを討ち破って、きっと五段に上がってみせます」
 幸三は、きっぱりと言った。


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