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みかんの色の野球チーム・連載第13回

第2部 「連戦の秋」 その5

 
  自宅を出て最初の角を右に曲がり、踏み切りを背にして、ブッチンの住む家とは反対の方向へ。
 コンクリート製の橋を渡り、川沿いの舗装された道路をしばらく歩いていくと、高台の上に建つユカリの家が見えてきた。その向こうは、もう海だ。
 深大寺宅を訪れるのは今日が初めてだが、家の前を通り過ぎたことは、これまでに何度かある。ブッチンやペッタンやカネゴンやヨッちゃんといっしょに、自転車を漕ぎながら。青く広がる太平洋を眺め、南の方へサイクリングを楽しみながら。
 だが、道路から離れて緩やかな坂道を昇り、門の前に至った私は、矢倉セメント工場長一家の暮らす社宅が、その他大勢の津久見市民の居住する家屋と比べてケタ外れに大きく堂々たる威容を見せていることに言葉を失った。
 高台を独り占めしているその敷地は、私たちが学校の昼休みに遊ぶドッジボールのコートが10個くらいは収まりそうなほど広く、私の背丈よりもずっと高い門柱から、ぐるりと一周、コンクリートの分厚い塀で囲まれていた。
 門から20メートルほど左へ進むと、高い塀はそこだけが黒い鉄製の扉になっており、鉄柵の隙間から、同じように黒くて大きな乗用車が置かれているのが見えた。
 豪邸とは、こういう家のことを言うのかと、私はあらためて思った。ブッチン宅の大家さんである高木先生の屋敷が、これまでの私が知っている一番の邸宅だったが、深大寺工場長一家の住居は、何よりもそのスケールの大きさで先生宅を圧倒していた。この建物が、ふだん見慣れている日本家屋ではなく、クリーム色の外壁を持つ洋館であることも、私に与えた衝撃の度合を強めていた。
 腰が引けそうになるのをこらえて、門の前に戻り、コンクリートの柱に取りつけられたチャイムの赤いボタンを、恐る恐る、私は押した。
 
 この家の使用人らしき中年の女性に案内されて、広い敷地の中を歩いていくと、前方に瓦屋根を葺いた木造家屋が建っていた。
 矢倉の工場長宅には料亭が併設されており、そこでは毎晩のように津久見市のお偉いさんたちが集まって酒宴に興じるのだとブッチンから聞いたことがあるが、それがこの建物なのだろうか。同じ敷地内のクリーム色の洋館にはまったくそぐわない和風の佇まいだが、それでも市内の歓楽街に並ぶ居酒屋に比べれば、遥かに立派な店構えをしている。
 引き戸を開けて中へ通されると、広い店内の右半分は座敷、左半分は石張りの床という構成になっており、床の上にはテーブルが細長く並べ接がれて、すでに10名ほどの人たちが着席していた。
「あっ。最後のゲスト、登場―っ」
 テーブル席の真ん中に座ったユカリが、私を見るなりそう言い、
「さっ。早く座って」
 と、促した。
 出席者の全員がこちらを振り向く中、きょろきょろとテーブルを見まわした私は、左隅に空席が1つだけ残っているのを見つけ、居並ぶ人たちの外側を半周してたどり着くと、椅子を引き、腰を下ろした。
「みんな、紹介するね。彼は、津久見小学校の6年生。私のクラスメートの、石村太次郎君です」
 緊張しながら私がお辞儀をすると、みんなも会釈を返した。
「あのね、石村君。ここにいるのは、みんな青江小学校の生徒さんたち。お父さんたちが、私のパパと同じ、矢倉セメント津久見工場で働いているの」
 ユカリの説明に、なるほどそういうことか、父親の部下の子供たちに誕生日を祝ってもらうのが恒例になっているのだなと、私は悟った。しかし、宮山の向こうのセメント町のあんなに遠くからやって来るなんて、たいへんだな。歩けば2時間以上はかかるだろうに。それとも、自転車に乗って来たのかな。
 そんなことを考えていると、
「石村君、紹介するね。あなたの右隣から順番に……」
 ユカリがそう続けたので、私は出席者の1人1人と挨拶を交わすことになった。
「5年生の、大沢修一君。6年生の、染谷正則君。6年生の、山崎友春君。4年生の、野中竜介君……」
 私を含めて、男子は5人。
「それとテーブルのこちら側、あなたの一番遠くに座っているのが、5年生の菊池博子さん。あなたの真向かいに座っているのが、6年生の麻生信子さん」
 ユカリを入れて、女子は3人。彼女は、同性よりも異性の方が好きなのだろうか。
「最後に、私の左にいるのが、パパ。深大寺和宏、43歳です。パパは、東京大学の工学部を卒業してるのよ」
 自慢顔の娘からの紹介に、
「きょうは、ユカリのためにわざわざ来てくれて、みんな、どうもありがとう。いっぱい食べて、たくさんお話をして、楽しいお誕生日会にしようね」
 父親が笑顔満面の挨拶で応じると、
「はいっ!」
 と、自分を除くゲストの6人が揃って大きな声を発したので、しまった、遅れを取ったかと、私は悔やんだ。
「そして、私の右にいるのが、ママ。深大寺礼子、36歳です。ママは、聖心女子大学の文学部を卒業。皇太子妃の美智子様と、同じ大学の同じ学部で、4つ先輩なのよ」
 娘がやはり得意そうに紹介すると、
「まあまあ……」
 上品な笑みを浮かべた母親は、
「みなさん、これからも、ユカリと仲よくしてくださいね」
 優しい声でそう言った。
「はいっ!」
 他のゲストたちと、今度は私は声を合わせた。
 みんなで交わす挨拶の合間に、私は各人の着ている衣服を観察し、自分のそれと優劣を比較していたのだが、父が心血を注いで作ってくれた日本一の洋服の右に出るものはなく、ホッと安心するとともに、とても誇らしい気分になっていた。
 ただし、テーブルの向こう側の中央に陣取る親子3人の装いには、さすがに東京の上流階級の底力がこもっており、その着こなしの見事さに私は目をみはった。
 まず、父親。
 焦げ茶色をしたツイードのジャケットに、チャコールグレーのズボンの組み合わせ。黄色いシャツの襟元を締める、緑と銀色のレジメンタルネクタイ。渋い色調の中に光る鮮やかなカラーコーディネーションは、もうすぐ晩秋を迎える季節に催されている愛娘の祝宴を象徴しているかのようだ。
 そのうえ、彼はとてもハンサムだった。濃い眉毛に大きな目をした顔はよく日に焼けており、どこか加山雄三を思わせるスポーツマンの雰囲気は、加山雄三の曲を風呂場で歌う私の父には微塵もないものだった。(※注)
 ブッチンは「津久見を真っ白にするために来た男」と悪態をついたが、この人がそんなことをするとは、とても考えられなかった。
 次に、母親。
 秋の深まりとともに実をつける、山葡萄のような、濃い紫色のスーツ。仕立ての良さが際立つジャケットとスカートはシックそのもの、まさしく貴婦人の装いだ。胸に輝くプラチナのカメオには、微笑む女神の横顔が浮き彫りにされ、それは愛娘の誕生日を祝福する彼女自身の喜びを映しこんだもののように見える。
 そして、彼女の美貌を形作っている色白の肌や涼しげな目、つややかな黒髪は、まさに愛娘に受け継がせたものだった。母親とユカリは、とてもよく似ていたのだ。
 ユカリから聞かされた、皇太子妃と同窓という事実。まもなく開催される大分国体には、皇太子ご夫妻もお見えになる。ああ、何という絶妙な符合なのだろう。
 最後に、ユカリ。
 本日の主役のいでたちは、落ち着いた色調の、ピンクのワンピース。襟元、袖口、裾に控えめに覗いている白いレースの飾り付けと相まって、彼女の可愛らしさを、いちだんと引き立てている。
 椅子に座ってぶらぶらと動かしている2本の足元には、白いソックスと焦げ茶色の靴。つま先が丸みを帯びた小さなその靴には、彼女が着ているワンピースとまったく同じ色調の、ピンクのリボンが付いている。そして、そのピンクのリボンは、きれいに手入れされた、つやつやのロングヘアーの両耳の辺りにも。
 そう言えば、彼女のランドセルも、またピンク。それは、一番お気に入りの色であるのに違いない。花の都からやって来た、ピンクのピンクのプリンセス。
 
憧れの少女に見とれていると、洋装をした男の給仕が数名、10人分の食器を運んできた。
 恭しくテーブルの上に並べられていくそれらの中には、父の心配していた、たくさんの器具や、水の入った小さな容器はなく、大小数枚の皿と、グラスと、ナイフとフォークが1本ずつだったので、私は「ボールを持つ手にナイフ、グローブをはめる手にフォーク」と、頭の中で確認するだけで事足りた。
 それぞれのグラスに、お好みのジュースやコーラが注がれると、大きなバースデーケーキが登場し、ユカリの目の前に置かれた。
 イチゴやクリームやチョコレートで、賑やかに装飾が施されたその上には、12本のロウソクが立っており、給仕が1本1本、火を点けていく。
 やがてすべてのロウソクが赤く灯ると、出席者たちの間から手拍子とともに「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」の歌声が湧き起こり、それに促されるように身を乗り出したユカリが、12本の火に向かって息を吹きかけた。
ふーっ、ふーっ、ふーっ。ふーっ、ふーっ、ふーっ。ふーっ、ふーっ、ふーっ。
 小さな口から出る息は、なかなかロウソクの火を消すことができず、何度も繰り返して彼女が吹きかけるうちに、ようやく作業は完了した。
 パチパチパチパチと高鳴る拍手の中、招待客たちが祝福の声を上げていく。
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとう、のう、ユカリ!」
 7番目の声が上がった直後だった。突然みんなの拍手が鳴り止み、しいんとした静寂にテーブルが支配されたのは。
 そして、本日の輝かしい主役である我らがお嬢様のことを、名前で呼び捨てにしたのが彼女の父親ではなく、母親でもなく、お誕生日会の新参者であるこの私であることをゲストたちが知ったとき、強烈な敵視の光線がいっせいに彼らの両目から放たれ、私の顔や体に突き刺さった。
 憎々しげな表情をむき出しにした彼らの無言の攻撃に、私は一瞬ひるんだ。
 けれども、自分は彼女への祝福の気持ちを素直に言葉にしただけなのだと、やがて思い直し、いつも学校生活をともにしているクラスメートの名前を親しみをこめて呼んだのがなぜ悪い。ふん、この、使用人根性丸出しの、情けないやつらめと、心の中で反発した。
 しかし、敵意いっぱいの6人の招待客たちは、非難の視線を私に浴びせるだけでは満足できず、ついに言葉を武器にした攻勢に転じた。
「なんじゃあ、こりゃ、おまえ。お嬢様のことを呼び捨てにして」
 6年生の染谷正則が、口火を切った。
「矢倉セメント工場長のお嬢様に対して、失礼なこととは思わんのか」
 同じく6年生の山崎友春が、後に続いた。
「初めてお嬢様のお誕生日会に来たくせに、偉そうな態度を取って」
 5年生の大沢修一もまた、攻撃に参加した。
「こいつはバカモンじゃあ。大バカモンじゃあ」
 4年生の野中竜介までもが、侮言を声にした。
 そのとき、せっかくの祝宴のステージが、あわや抗争の場になりそうなことを懸念したユカリの父親が、
「まあまあ、みんな。喧嘩はやめよう、仲よくやろう。石村君の言ったことは、別に失礼なことでも、偉そうなことでも、なんでもないんだから」
 両手を広げて、ゲストたちを制しようとしたが、
「いいえ、工場長様。津久見市のこちら側で暮らしているこの人には、矢倉セメントという存在の偉大さが、分かっていないみたいです。津久見市の全体に大きな貢献をしている、矢倉セメントのありがたさが、分かっていないみたいです。私たち青江小学校の生徒は、セメント町の代表として、こちら側のこの人に教えてあげなくてはなりません。矢倉セメントの工場長様が、どれだけご立派な方かということを。矢倉セメントの工場長様のお嬢様が、どれだけご立派な方かということを」
 戦火は女子の間にも燃え広がり、私の真向かいに座った6年生の麻生信子が、優等生の発言をした。
 そして、
「ほんとうじゃあ。あん人、なーんも分かっちょらんのじゃあ。頭が悪いけん、なーんも分かっちょらんのじゃあ。頭が悪い証拠に、あげな派手なネクタイをしちょるんじゃあ」
 一番遠くの席から、5年生の菊池博子が最後の雑言を吐いたとき、私の忍耐はとうとう限界を超えた。根拠のまったくない悪口が、私ばかりでなく、父の作ってくれたオレンジネクタイにまで及んだ今となっては。
 
 
 
(※注)この頃、「加山雄三」は、カッコイイ男の代名詞だった。1961年に「夜の太陽」で歌手デビュー。1965年12月に映画「エレキの若大将」の主題歌として発売された「君といつまでも」は、350万枚の大ヒットになった。


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