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みかんの色の野球チーム・連載第42回

第4部 「熱狂の春」 その14

 

 深大寺ユカリから手紙が届いたのは、4日後の木曜日だった。
 その日は、4月13日。
 私の13回目の誕生日でもあった。
 中学生になり、野球部に入ったばかりの私は、朝早くからの部室の掃除や、夜遅くまでの球拾いにクタクタに疲れていたが、帰宅後、封筒の裏に書かれた差出人の名前を見ると、たちまち元気になった。
 練習で汚れた手を、石鹸でよく洗い、私は手紙を開封した。
 
 HAPPY BIRTHDAY!
 今日が石村君のお誕生日だってこと、ちゃんと覚えていたよ。
 私の誕生日パーティーに電話で誘ったとき、4月13日生まれだって言ってたものね。
 牡羊座だから、めえええーって鳴くのかって、石村君、言ったでしょ。
 それが、とてもおかしくて笑っちゃいました。なんだか、懐かしいなあ。
 今日から、私も中学生です。
 東京の港区というところにある、私立の学校で、入学式がありました。
 クラブ活動は、テニス部に入るつもり。勉強もスポーツも、ばりばり頑張るよ。
 石村君は、野球部でしょう? もう練習で、しごかれてるのかな?
 お誕生日のほかに、もうひとつ、おめでとう!
 津久見高校、センバツ初出場で初優勝!
 やったね! すごいね! 日本一だものね!
 私、ずっとテレビで応援してたよ。すっごく感激しちゃった。
 パパの転勤で、初めて津久見に行った5年生のとき、正直いってビックリしました。
 こんな田舎の町で生活をしなくちゃいけないのかと思うと、とても悲しかった。
 東京が恋しくて、ときどきベッドの中で泣いていました。
 でもね、1月の下旬にこっちへ戻ってきて、しばらくすると、だんだん津久見のことを懐かしく思い出すようになったの。
 山と海しかなくて、いちども好きになれなかった町なのに。
 1年と9か月しかいなくて、友だちもできなかった町なのに。
 どうして自分はこんな気持ちになったんだろうって、不思議だった。
 そしてね、いろいろと考えているうちに、気がついたの。
 山と海のほかに、津久見には、とてもいいところがあったことに、気がついたの。
 津久見の人たちは、とても優しかった。
 その優しさというのは、えーと、どう説明したらいいのかなあ。
 たとえば、木とか草とか花を見て、ふっと気持ちがなごんだり、鳥や魚や虫たちの姿に、なんとなく気持ちが安らいだり、夜空の月や星を眺めて、知らないうちに気持ちが素直になったり、そんなことってあるでしょう?
 それは、自然というものが、不思議な優しさを持っているから。
 それを、私たち人間が、心の中に受けいれているからだと思うのね。
 まわりの自然に向き合うような心で、まわりの人たちの心ともふれ合っている。
 津久見の人たちって、なんとなく、そんな感じなの。
 東京にだって、優しい人はたくさんいるよ。
だけど、それとは違う、なんにも飾らない心が、津久見の人たちにはあるの。
 山みたいなの。海みたいなの。津久見の人たちって。
 津久見のいいところって、そういうところだと、私は思う。
 東京で生まれて、東京で育って、東京のいいところしか知らなかった私だから、そんな津久見の良さに気がついたんだろうな、きっと。
 だから、テレビを観ながら、ずっと津久見のことを応援していたんだろうな。
 津久見のことは、これから先、高校生になっても、大学生になっても、大人になっても、いつまでも忘れないと思います。
 石村君のことも、いつまでも忘れないと思います。
 だから、石村君も、私のことを忘れないでいてほしいな。
 私の誕生日パーティーに来てくれて、ありがとう。
 病院にお見舞いに来てくれて、ありがとう。
 黙って転校して来ちゃったから、いま、こうして手紙を書いて、私の気持ちを伝えます。
 夢がいっぱいの、中学校生活。
張りきっていこうね、お互いに。
 東京と津久見に離れていても、ずっと同級生だものね。
私たち、いつまでも、同い年だから。
 4月10日   石村太次郎様   深大寺ユカリ
 
 ユカリからの手紙には、便箋といっしょに、同封されたものがあった。
 それは、ピンクのリボン。
 あの誕生日会の席で、彼女が身につけていたものだ。
 私の憧れが、いっぱい詰まった、ピンクのリボン。
 どこまでも鮮やかで、けれど、はかなさを湛えたその色は、今まさに散り去っていく、桜の花びらにそっくりだった。
 
 
 
次回はいよいよ最終回です。これからの時代を生きていく、若い方々へのメッセージも、つけ加えたいと思います。お読みいただけたら、幸いです。


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