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みかんの色の野球チーム・連載第32回

第4部 「熱狂の春」 その4
 
 
 プレーが再開された。
 守備要員の前嶋選手を、初回から起用するという奇策。これが、はたしてどう出るか、15人は気が気でないが、ところがこれが「吉」と出た。
守りが代わって、ゲームの流れも変わったのだ。
 倉敷工の3番打者、小山のピッチャーゴロを捕球した吉良は、すばやく三塁に送球して、走者はアウト。
 続く4番の金田、5番の西山を、得意のドロップで連続三振に抑え、みごとピンチを切り抜けたのである。
 小嶋の采配、ずばり的中。
「やった、やった! ユキにいちゃんの強運が、チームに乗り移ったんじゃあ!」
 大はしゃぎのヨッちゃんの顔を見ながら、
「ふっふっふっ」
「ほっほっほっ」
 カネゴンの爺ちゃんと婆ちゃんは、静かな笑い声を、そろえて出した。
 
 2回、3回は、両チームともに無得点。津高1点リードのままゲームは進み、すっかり本来の調子を取り戻した吉良は、ここまですでに7個の三振を奪う好投を見せていた。
 テレビの前の観客たちも、やっと穏やかな顔になっていたが、そろそろ追加点をというのが、みんなの共通した願いだ。
 そして、4回の表、津高の攻撃。
 この回の先頭打者、4番の岩崎がチャンスを作った。右中間を深々と破るツーベースをかっ飛ばしたのだ。
「よっしゃーっ! よう打ったーっ!」
「今日の岩崎は、大当たりじゃのーっ!」
 ノーアウト二塁。絶好の追加得点機に、金子電器店球場が盛り上がる。
 ここでバッターボックスに入ったのが、1回の裏のピンチからセカンドの守りに着いた、5番の前嶋。今日の初打席だ。
「守備要員の前嶋じゃあ、ここは送りバントしか無え。きちんと送れよー」
 カネゴンの父親がそう言うと、
「守りは上手いんじゃろうけど、バントはどげえなん?」
 カネゴンの母親がそう訊き終わらぬうちに、前嶋は二度続けてバントをファウルしてしまった。あっという間に、ツーナッシングのカウントだ。
「あっちゃー。もう、こうなったら、何でもいいけん、打ってくれー」
 カネゴンの弟が、力のない声を出した、そのとき。
 インコースに投げこまれた第3球目を、力いっぱい、前嶋が引っぱたいた。
 ガッチーン!
 派手な音とともにレフト方向へ高く舞い上がった打球は、右からの風に乗り、左へ左へと流されながらも伸びて行き、ラッキーゾーンの金網に当たってファウルグラウンドに跳ね落ちた。二塁ランナーの岩崎が2点目のホームを踏み、打った前嶋もセカンドへ。
「やったーっ! ユキにいちゃんが、打ったーっ!」
 大喜びの、ヨッちゃん。
「守備要員が、タイムリー・ツーベースじゃあーっ!」
 驚き顔の、私の父。
「世の中は、何が起こるか、分からんのう! ああ、ビックリじゃあ、ビックリじゃあ! なんまんだぶ、なんまんだぶ!」
 和尚も、然り。
 テレビの前の15人全員が、驚き、驚き、驚いて、喜んだ。
 だが、みんなの驚きは、これだけでは終わらなかった。
 画面は、セカンドの塁上でガッツポーズを取る前嶋選手から、ホームベースの後方に集まった主審と3人の塁審たちの姿に移り変わっている。そして、4人の審判による協議が終わると、主審が右手を上げ、ぐるぐると回したのだ。
 それは、ホームランの宣告に他ならなかった。
 なんと前嶋選手の打球が当たった金網は、ラッキーゾーンのそれではなく、左翼ポールに取り付けられた幅わずか30センチほどの金属ネットだったのである。(※注)
 思わぬ判定に喜色満面の前嶋選手は、二塁上から三塁ベースを蹴って、3点目のホームイン。それはこの17歳が、生まれて初めてのホームランを完結させた瞬間だった。しかも、相手を一気に突き放す、価値あるツーランの一発だ。
「すっげえ……」
「すっげえ……」
「強運じゃあ……」
「強運じゃあ……」
「今日は4月1日じゃあけんど……」
「まさかエイプリルフールじゃ無えじゃろうのう……」
 飛び上がって喜ぶヨッちゃんの横で、驚嘆の呟きを繰り返すブッチン、ペッタン、カネゴン、私。
夏休みの終わりの、駄菓子屋でのクジ引き。冬休みの初めの、雪球の宝探し。それらに続く3度目の奇跡を、この春の甲子園で、前嶋選手は私たちに披露してくれたのだ。
これほどのラッキーボーイのいるチームが、試合に負けるはずがない。もはやこのとき、勝敗は決したのだと言っても過言ではないだろう。
 
 その後も熱戦は続き、7回の裏、倉敷工は2安打に2盗塁をからめて2点を返し、9回の裏にもワンナウト二塁の得点機を得たが、後続の打者が吉良のドロップの前に連続三振に倒れ、ついにゲームセット。
 3対2。実力伯仲の大接戦だったが、結果的に12個の三振を奪った吉良の力投で、何とか津高は逃げ切った。
「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
 テレビの前に15人が立ち、ベスト8入りの三唱をしていると、画面に小嶋監督の勝利インタビューの光景が映し出された。
「それでは、みごとベスト8進出を決めた、津久見高校の小嶋仁八郎監督にお話を伺います。監督、どうも、おめでとうございます」
「はい、おめでとうございます」
「ははは。それにしても手に汗を握る大熱戦でしたが、振り返ってみて、いかがですか?」
「今日は吉良の出来がパッとせず、最後までヒヤヒヤ。勝てたのは、ラッキーでした」
「ラッキーと言えば、4回に飛び出した前嶋選手のツーランホームラン。3対2という結果から見ると、あの1本が大きかったのではないでしょうか?」
「大きかったですねえ。送りバントを2回続けて失敗したときは、引っぱたいてやろうと思いましたが、その直後、よくぞボールを引っぱたいてくれました」
「クリーンアップを打つ荻本選手に代えて、控えの前嶋選手を初回から起用。この作戦がずばり当たった訳ですが、監督にとっては予定通りの策だったのですか?」
「いえ。一杯やってたら、思いついただけです」
「はあ?」
「いえいえ。精一杯やろうと、思っただけです」
「なるほど。さて監督、いよいよ次はベスト4を賭けて、県岐阜商との対戦です。こんどは、どのような作戦で試合に臨むおつもりですか?」
「なあに、思いつきでやるだけです」
「はあ?」
「いやいや、思いきってやるだけです」
「なるほど、ただ全力を尽くすのみ、そういうことですね。監督、どうもありがとうございました」
「はい、ありがとうございました」
 いかにも小嶋監督らしいユーモアたっぷりの受け答えだったが、その裏には苦しい戦いに競り勝った者だけに許される、大きな安堵のあることが、はっきりと窺えた。甲子園で勝ち上がっていくのが、いかに大変なことであるのか、それが私にも分かったような気がした。
 果たして、みかんのチームは、どこまで行けるだろうか。
 家に帰ったら、真っ先にスケッチブックを開いて、赤いマジックペンで、ぶっとい線を引いてやろう。
 歓喜の中で、私は、そんなことを考えていた。
 

 
(※注)この小説における野球の試合の内容は、投手の一投、打者の一打、走・攻・守のすべてにわたり、42年前のデータに基づいて、事実をそのまま再現している。打球が左翼ポールの金属ネットに当たったことで、判定がツーベースから変更された前嶋選手のホームランも、100パーセントの事実である。とにかく彼は、強運の持ち主だったのだ。


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