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小説「ノーベル賞を取りなさい」第27話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 十一月二十七日、日曜日。午前十一時に笹塚の駐車場を出発した柏田の愛車プジョー3008GTは、甲州街道を西へ走っていた。  
 ハンドルを握る柏田は黒いダウンジャケット、デニムのパンツ、黒いスニーカーという身ごしらえ。助手席の由香はフードの付いた茶色いダウン、茶色いトレーニングパンツ、茶色いスニーカーという出で立ち。それは冬も間近な寒い日に、北風の吹きさらす河川敷で、最高のパフォーマンスを発揮できるようにするためのコーディネートだった。
「上から下まで茶色、しかもトレパンだなんて、こんなダサい格好で外出するの、生まれて初めてだわ」
 由香が不服そうに言うと
「河川敷で保護色となって目立たなくするには、茶色がいちばん。しかもダウンのフードを被れば、中川に顔を見られないで済む」
 と、柏田が応じた。
 車の後部座席には犬用のキャリーバッグが積んである。首尾よく捕まえたらその中に入れ、世田谷区成城の由香の家まで運べば任務は完了だ。日曜日とあって、やや混んだ道路を走っていると、左前方にコンビニが見えてきた。
「弁当と水を買っていこう」
 そう言うと柏田はスピードを落とし、駐車スペースに車を乗りいれた。

 中川の住む二階建ての家は、調布駅の南口からビルが連なる商業地域を通りぬけたところにあり、おあつらえ向きにその正面がコインパーキングになっていた。
 時刻は十一時五十分。車を駐め、中川家の門からの人の出入りに視線を注ぎつつ、二人は弁当を食べはじめた。
「調べたところ、中川の家から多摩川の河川敷まで、歩いて四十分くらいかかるよ。往復八十分に、犬を四十分遊ばせるとして、合計二時間か。飼主も犬も疲れちゃうだろうなあ」
 と、柏田。
「ジャックラッセルテリアは、もともとキツネ狩りのために生まれた狩猟犬。だからお散歩も、運動要求量が大きいの。二時間くらいなら、へっちゃらでしょ、ガガちゃんは。中川さんも、いい運動になると思うわ」
 と、由香。
 二人が弁当を食べ終え、ボトルから水を飲んでいると、中川家の門から一人と一匹が出てきた。中川は赤いダウン、ガガも赤いパーカーと、お揃いの色を着て、南へ歩きはじめた。
「よし、行くぞっ」 
 柏田は料金を精算したのち、車を発進させた。

 追跡は順調に進んだ。三十メートルほど先を歩く中川とガガの服装が赤いのが幸いして、見逃すことはなかった。そうして四十分ほどが経った頃、前方に多摩川の土手が見えてきた。飼主と犬が道路から脇道に入り、それを昇りはじめたのを見て、柏田は停車した。
「車で行けるのはここまでだ。さ、由香ちゃん、出番だよ。俺はこの辺で待機してるから、捕まえたら急いで戻ってきてくれ」
「了解。行ってきまーす」
 そう言うと、由香は車外に出た。それから勢いよくダッシュし、土手を一気に駆け上がった。するとそこには遊歩道が伸びており、こんどは堤防を下ると河川敷だ。多摩川がゆったりと流れている。
 河川敷の左の方には、赤い服を着た中川とガガの姿があり、いままさにリードを首輪から外そうとしているかのような動作が見えた。由香はダウンのフードを目深に被ると、堤防を駆け下りた。そしてガガが解き放たれ、河川敷の右の方へ向かって走りだすのを見ると一目散に追いかけた。
 十メートル、二十メートル、三十メートル。ガガがリードする。四十メートル、五十メートル、六十メートル。由香がガガに並ぶ。
ガガは由香の存在に気づいたらしく、駆けっこをやめると、ハアハアと息をしていたが、やがてクンクンと鼻を鳴らして由香に近づいてきた。
 チャンスだ!と思った由香は、ダウンジャケットのポケットから「いなばのWanちゅ~る」を取りだし、ガガが飛びついてくるとそのまま抱きかかえ、堤防を駆け上がっていった。ちらと右下方に目をやると、中川が呆然と立ち尽くしているのが見えた。

「オーケー、オーケー、さすがは我が教え子の由香ちゃんだ」
 ガガを抱いて車に戻った由香を、柏田は大喜びで迎えた。そして
「さっそくキャリーバッグの中に入れよう」
 と言ったが、
「私が抱っこして後ろの席に座るから、このままで大丈夫よ。ガガちゃん、私のことが好きみたい」
 車を発進させ、世田谷に向かい走らせていると由香の声がした。
「あっ、ガガちゃん、シートにオシッコした」
「おいおい、勘弁してくれ。新車なんだぞ、これ」
「あっ、ガガちゃん、こんどはウンチした」
「ぎゃーっ、やめてくれーっ。がるるるるるるーっ」
 
       

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